36.兄弟喧嘩

 よくよく考えれば、フランはスカイの護衛をしていた。ともなればアースと同じようにスカイも襲撃されて、それから洗脳されてしまったのだと想像はつく。

 きっと俺達と同じように逃げ出してきて、この倉庫に辿り着いたのだろう。


「悪い、気付かなかった。」

「構わないさ。ぼくでも同じことをやるかもしれないからね。」


 ユリウスはそうやって流してくれた。穏和そうな雰囲気そのままで、公爵家の当主にしてはどこか覇気がないというか、だらしないようにも見える。

 だけど、こういう人の方が恐ろしい事はよくある。目に見えて恐ろしい人は大した事がないんだ。それこそ、お嬢様みたいに……


「アルスがいるって事は、兄上も、ここに?」


 スカイはそう俺に尋ねた。


「勿論、奥の方にいる。と言っても、こっちはこっちで状況が最悪だが。」

「……何があったんだい。」

「護衛の騎士は全滅、エルディナは洗脳された。」


 自分で言いながら、情けなさに頭が痛くなる。それにもはや慣れそうになっている自分が、一番嫌だった。

 俺は強くなっているはずなのに、戦いは楽にならないどころかより苛烈さを増している。手を伸ばしても届く感覚が全くと言ってよいほどない。自分の正義を貫き通すのに必要な力が大きすぎる。守りたいものを守る事さえ、俺の腕では難しい。


「そっちはそっちで大変だったみたいだねえ。心労は察するよ。」

「一番大変なのはお前だろ、ユリウス。ここはお前の領地なんだから。」

「いや、そうでもないさ。領主は確かにぼくだけど、領地を運営、管理しているのは別の団体だ。ぼくの責任は……まあ、半分ぐらいだね。」


 そう言ってユリウスは笑う。

 自分の領地がこんな惨状なのにやけに能天気だ。一体何を考えているんだか、俺にはよくわからない。もっと慌てていてもおかしくないと思うのだが。


「……とりあえず、まずはみんなで話し合おう。ついて来てくれ。」


 俺は歩き始める。今はとにかく人手が必要だった。アグラードル家は武家だと聞くし、ユリウスもきっと戦力になるはずである。どこまで期待していいかはわからないけど、いないよりは絶対にいた方がいい。


「ねえ、アルス。」


 歩きながら俺はスカイに呼びかけられる。


「兄上は、怒っていたかい?」

「怒っていた? 何にだ? 頭を悩ませてはいるが、アースは怒ってないと思うぞ。」

「――ああ、ごめん。そうだよね。変な事を聞いた。」


 ここに来た時から、スカイの様子はずっとおかしい。いや、もしかしたら王選が始まってからずっとかもしれない。スカイと話すのは王選直前以来だ。いつこうなってしまったのかは、俺には分からない。

 そもそも俺はスカイとそんなに関わりがあるわけじゃない。ただ明るいイメージがあったから、今の暗いスカイに違和感があるだけかもしれない。


 倉庫の奥へ進んで行くと、アース達の姿が見える。ディーテがいたから大丈夫だとは思っていたが、こうして姿が見えると安心する。また何かが起こらないと確約はできないからな。

 あっちもこっちの姿が見えたのか、ヒカリが手を振ってくる。地面に座り込んでいたアースは立ち上がった。


「その二人は誰だ?」

「アースの弟と、この領地の領主だ。洗脳されている様子もないし、敵じゃない。」


 ディーテの質問に俺はそう答えた。

 ユリウスはここにいる人の顔を一人ずつ確認し、そしてよろしくとディーテに言った。対してスカイはずっと、アースの顔を見ていた。

 アースは大きく溜息を吐く。そしてこっちの方にツカツカと歩いてきた。ユリウスを手で退かし、しっかりとアースとスカイは目を合わせる。


「スカイ、二日ぶりだな。フランが洗脳されたみてーだが、元気そうで何よりだ。」

「……」

「正直、死んだ可能性まで視野に入れてたぜ。とりあえずお前が死んでなかったことが、何よりの吉報だ。」


 スカイは口を開かない。まるで蛇に睨まれた蛙のように、スカイは動きを止めていた。耐え難い沈黙が続くが決してスカイは口を開かない。

 何か言って思い空気を振り払おうとしても、気の利いた言葉は思い浮かばない。


「……全員、席を外してくれ。俺様とスカイ、二人で話さなくちゃいけねーことがある。」


 まず最初に、ディーテがこの場を離れた。ディーテは依頼を受けてきた冒険者だ。不要な事に口をはさむつもりはないのだろう。

 次に足を動かしたのはユリウスだ。ユリウスは一度、スカイの頭を掴んで乱暴に撫でてからディーテと同じようにこの場を歩いて去った。


「それは、私たちが聞いちゃいけない事なんですか?」


 ヒカリはアースにそう聞いた。アースは無言で頷く。ヒカリは二人を少し気にしながらも、走ってこの場を去っていった。

 この場に残ったのは二人を除いて俺だけになった。


「……何の話をするつもりかは知らないけど、ちゃんと勝つための作戦を用意しといてくれよ。悪いが俺には思いつかない。」

「ああ任せろ。元々こっちは俺様の領分だ。お前に期待なんざしてねーよ。」


 俺は二人を背にして、倉庫の入り口の方へと歩いて行った。






 二人の王子が向かい合う。しかし両者の態度や表情は対照的だった。

 アースは真正面から、決して目を逸らさずにスカイを見ていた。その心にやましいものなど何もない。王になるための気風を充分に備えていた。

 対してスカイは、アースを直視できなかった。それもそのはずである。この事態は、スカイに大きく責任がある事だった。何よりそれをアースに言えていないという事が、一番スカイにとって辛い事であった。


「……俺には5人、絶対に疑わねーって決めている人がいる。たとえ何があってもな。」


 口を先に開いたのはアースだった。


「フィルラーナ、アルス、父上、オルグラー、そしてお前だスカイ。この5人だけはどれだけ信用できなくなっても、絶対に疑わない。できないって確信してても、この5人の言う言葉ならば俺は疑いなくやる。この5人が、俺が死ぬことが最善と結論付けたのなら、迷わず首を差し出す。俺はそう決めていた。」


 何でかわかるか、とアースはスカイに聞いた。スカイは横に首を振る。


「俺はな、スカイ。お前を疑いたくないんだよ。どんな嫌な事があって、家族まで疑わなくちゃならねーんだ。この世には敵が多すぎる。特に俺達、王族にはな。だから俺は、この5人だけは絶対に味方だって信じていたかったんだ。」


 疑いたくない人がいる。おかしいなと思っても、間違いだと薄々気づいていても、それでも、盲目的に疑いたくない人がいる。

 それでもアースは王族として、目を背けちゃいけない事があった。


「お前は、何を理由に脅されたかわからねーが、名も無き組織と一時的に手を組んだ。違うか?」

「……いや、違わない。」

「だろうな。じゃなきゃ、お前が無事にアグラードル領までたどり着けるわけがない。いくらお前の馬車が超高速でも、あの規模の洗脳された人から逃げれるなんておかしい。フラン一人からだって逃げ切れるかわかんねーのによ。」


 アースの顔に陰りが見える。問い詰めているはずのアースの方が、何故か辛そうだった。


「俺はお前に怒ってるんじゃねーんだよ。ただ、悲しいんだ。」


 この二人は、兄弟喧嘩をした事がない。しかしそれは仲が良いとは決して言えない。子供の頃からずっと一緒にいて、些細な喧嘩すらしないのは普通じゃない。

 二人はずっと、本音で語り合えていなかったのだ。だから今、大きな溝が二人の間にある。


「俺にそれを伝える方法はいくらでもあったはずだ。監視をつけられていたとしても、俺にだけ通じる合図をお前なら考えられたはずだ。」


 アースはスカイの胸倉を掴む。力が弱くて、スカイであれば簡単に振りほどけるはずだ。

 それなのに、スカイは痛くて、苦しくて、辛かった。自分の腕が鉛のように重くて動かなくて、まるで鬼に胸倉を掴まれているのではないかと錯覚した。


「何で、お前はいつも一人で戦おうとするんたよ。」


 掠れるようなアースの声が、スカイの耳の奥を引っ掻いた。

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