30.リラーティナの親子
領内を歩き回り、そしてちょっと演説を見てから、俺とお嬢様とヒカリは屋敷に戻った。
お嬢様の言った通り、今日は何も起きなかった。逆に不気味なぐらい、平穏に一日は終わりを迎えようとしていた。
そう、迎えようとしていたのだが、そんな事にはならなかった。
「久しぶりね、ラーナ。会いに来たわよ。」
屋敷の扉を開けて、真っ先に俺達を迎えたのはエルディナだった。俺は何が起こっているかわからなくて、思考を停止してしまう。
本来いるはずがないし、いてはいけないはずの人物である。そもそも公爵家の人がこんな気軽に来れるはずがないし、来れたとしてもヴェルザード領からリラーティナ領はかなり遠い。
色んな事を考慮しても、ここにいるのがおかしいのである。
腕を組んで仁王立ちをするエルディナの隣には、疲れた様子のノストラがいた。
そう言えばリラーティナ家の次期当主だというのに今朝はいなかった。この状況から考えるに、エルディナに関する対応に追われていたのではないだろうか。
「お兄様、一体何故……?」
「昨日の夜にヴェルザード公爵から連絡があってな。どうやら第一王子殿下の旅に同行したいらしく、私が屋敷まで案内したんだ。流石に空から来るなんて聞いていなかったが……」
何故かエルディナは自慢げである。別にノストラは褒めてないんだけどな。
「アースはいないみたいだけど、まだ戻って来ていないの?」
「今から戻って来るところよ。本当に貴方ははいつも……いや、もういいわ。それが貴方だものね。」
「……? よく分からないけど褒められたのね、ありがとう!」
お嬢様の言葉に嬉しそうにエルディナはそう返した。
というか旅についていくと言っても後はアグラードル領に行って、それから王都で最後だ。苦労してまで合流する価値があるのだろうか。
いや、そこら辺は何も考えていなさそうだな。エルディナは基本的に損得で物事を考える性格じゃない。
「アグラードルの当主が第二王子についていったんだから、私だって行ってみたいと思ったの。最近は他の領地に行く機会も減ってきたし、久しぶりにラーナに会いたかったし!」
まあ、そうなのか? そんな簡単に出て行って良いものなのだろうか?
「後、王選の儀の閉式に代わりに出るようにも頼まれたの。そのついでに皆と一緒に行動するって方が正しいわ。」
「……だからヴェルザード公爵も許可を出したのね。」
呆れたようにそう言いながらお嬢様はエルディナの横を通り過ぎて、屋敷の中へ入っていく。
「取り敢えず、アースが戻ってくるまでディナとヒカリは部屋でゆっくりしておいて。」
「……俺は?」
「お父様が用があるそうよ。先に応接室に入って待っていなさい。」
俺だけ別室待機か。しかもリラーティナ公爵から用だなんて怖いにもほどがある。
あまり会った事はないし、ちゃんと話したこともない。それでもアースの裁判の時の迫力は今でも思い出せるほどに強力だった。あの人の子供なら、お嬢様もああなるだろうと納得するほどである。
「ついでだ。私が案内しよう。」
ノストラはそう言って歩き出す。
「悪いなエルディナ。また後で。」
「いいわよ、別に。私にはヒカリがいるもの。」
そう言ってエルディナはヒカリを抱き寄せる。ヒカリも別に嫌そうな感じはない。
俺はノストラの後ろについていき、応接室に向かった。
「ここが応接室だ。上座に座れ。一応は客だからな。」
「そう言われると座りにくいんだが……」
「そんな軟弱な気骨でお前は本当に妹の騎士ができると思って――」
「わかったわかった! 座るから!」
扉から遠い方の長椅子に俺は座る。対面にノストラが座った。
気まずい沈黙が流れる。俺から話すような事柄はないから、自然とあっちの言葉を待つ形になるわけだが、中々ノストラは口を開かない。
そもそも俺に用があると言っていたのはリラーティナ公爵であり、何故ノストラも椅子に座ったのかもわからない。
「……次に向かう先はアグラードル領と聞いた。」
「ああ、それがどうした?」
「行くのはやめておけと、殿下に伝えておいてくれないか?」
それは、急な話だ。俺が決めれるような事でもない。
「フィルラーナは嫌な予感がすると言っていた。そして、ファルクラムの一件だけで今回の王選の儀が終わるとは思えない。王都にはオルグラーがいる。となれば、危険なのは間違いなくアグラードル領だ。」
ノストラは立ち上がる。それと同時に足音が廊下から聞こえてきた。
「下手をすれば、王子が両方死ぬかもしれない。そうなれば最悪だ。」
足音が部屋の前で止まる。
「もし無理なのなら、お前がなんとかしろ。頼むのは癪だがな。」
ノストラはそう言って部屋を出て行った。そして入れ替わるようにして、リラーティナ家の当主、シェリルが顔を出す。
少し不思議そうな顔をして、俺の顔を見て、そして部屋を見て再び歩き始める。
「……なるほどね。」
リラーティナ公爵はさっきまでノストラが座っていた場所に座った。
そして品定めをするように俺の全身を見た後に、椅子の背もたれに背を預けた。かなり気を抜いているだろうという事は、あまりこの人の事を知らない俺にでも分かった。
「ノストラはきっと君に警告したのだろう? 少し荒々しい側面があるが、本質にはしっかりとリラーティナの血がある。言わなくては気が済まないんだ。許してくれ。」
「別にそれは構わないけど……用ってのは一体?」
「個人的な話さ。だから君も気を抜いてくれていい。大した事ではない。」
そう言われて、直ぐに気を抜けるような図太さなら、きっとノストラも俺に文句を言っては来ないんだろうな。
俺は人の幸せを願っておきながら、人を信用する事はできない。これは間違いなく前世が関係しているのだろう。
「アース殿下のような幼馴染ではなく、全く素知らぬ他人でもない。娘に仕える騎士として、聞きたい事がある。フィルラーナの事をちょっとね。」
お嬢様の事か。そんなもの、俺よりもこの人達の方がよくわかっていると思うのだが。
「フィルラーナは運命神の寵愛を受けて生まれた。そのせいか、親の私でも妙に感じる時がある。」
「ただ天才なだけでは?」
「確かにそれもある。リラーティナ家は元より天才の家系だ。しかしそれでは説明できないほどに鋭い時があるんだ。」
疑問に思ったことすらなかった。そういうものだと、無意識下に受け入れていたのもある。
運命神の寵愛とお嬢様の優秀さ。それが合わさって、本来ありえないような未来予知のような事ができるのだと思っていた。しかしよく考えれば、お嬢様は答えを言う事はあっても、そこに至るまでの過程を話した事はない。
それでも疑うことはなかった。俺は、誰よりもあの人に救われているのだから。
「だからこそ、君の目からフィルラーナがどう写っているのか教えて欲しい。私にはあの子が何かを抱えているように見えてならない。」
何かを抱えている、ねえ。お嬢様が悩んでいる所なんて俺は一度も見たことがない。既に出会った時から、人生二週目の俺よりも完成されていた。
そんな完璧超人が抱える悩みなんて俺如きには想像できない事だ。
「俺には、わからないな。俺は何があってもお嬢様の下で、全力で夢を叶えたいだけだ。」
「そうか……すまない、変な事を聞いた。この事は忘れてくれ。できれば、フィルラーナにも言わないように頼む。」
俺が頷くと、リラーティナ公爵はありがとうと、それだけ言って部屋を出て行った。
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