21.天の戦い

 天使とは神の使いである。

 常に神の意思を代弁し、世界を管理する兵士と言っても良い。人が想像する通り、天界とは規律正しい世界だ。

 であれば、原初から存在する天使王はそれを体現する存在でなくてはならない。


 故に天使王は、原初に与えられた使命に従い、神の世界へと繋がる天門を守り続ける。

 その為に、数百、数千年間に渡って天使王は玉座から離れない。

 だからこそ天使王に会うには必然的に、玉座の前へと立たなくてはならなかった。


「質問する。最も新しき智天使ケルブよ、此処に来た理由を述べよ。」


 天使王の前に、一人の天使が立っていた。

 その背中からは3対6枚の翼が生えており、並の天使とは違う雰囲気を身にまとっていた。


「天使を辞めにきた。」

「理由を述べよ。」


 その天使の簡潔な言葉に、天使王も簡潔に答えた。


「……天使の役目は絶対にして至上の神に付き従い、その意志を代行する、だったか。」


 アグレイシアに存在する神は一柱ではない。最高神である支配神やスキルを管理する技能神、世界の記憶アカシックレコードを司る情報神など、複数の神によって世界の法則や情報は管理され続けている。

 しかし、神は神界から出る事を禁ずるという絶対のルールにより、直接的な介入を行う事は不可能であるのだ。

 その為に天使はいる。実際に世界を見なければ得られない情報や、実際に現地に訪れて修正しなければならない問題を修正する為に天使は活動する。


 これを嫌がる天使はいない。神とは絶対にして至高の存在である。それが、天使の共通認識だ。

 それはある意味の依存と言える。神に従っていれば、天界にて安らかで安全な生活が保障される。だからこそ堕天する天使など、歴史を見ても一人や二人程度しかいない。


「私は神の言葉に疑いを持たなかった。それに付き従う天使をおかしいとは感じなかった。だが、それも数百年前までだ。」


 依存は決して悪い事ではない。現代社会の人も、何かに依存して生きている。否、そうでなくては生きられない。

 人は社会や親に依存して生きている。このルールに従っていればいいと、言う事を聞いていればいいと、心のどこかでそう思いながらそうやって生きている。

 だってルールに従っていれば安全が保障される。自分のつまらない冒険心を満たす為だけに安全を破るなど馬鹿のやる事だ。

 しかも天使はそれを神が保障してくれる。何かに挑んで怪我を負うより、安全に生きた方が良いに決まっている。


「人は、神を殺したぞ。」


 絶対であるはずの神が、しかも創造神にその力を分けられた破壊神が、人によって殺されたのだ。

 殆どの天使はその人を称賛し、その人にスキルという権能を与えている神々を褒め称えた。悪神として破壊神を捨ておこうとした。

 しかし、この天使は違った。その光景を見て、違う感情を抱いた。


「身体能力や権能において人は天使や悪魔に絶対的に劣る。しかし、天使がいくら束になっても敵わない神に、人は勝ったのだ。」


 それは彼女にとってあり得ない事だった。

 人は弱い。生まれたての天使にさえも、一介の騎士では勝てない。種族としての格が違う上に、天使は階級が上のものであれば特別な権能だって与えられる。人に強さで劣る要素など一欠片もない。

 だが、人は偉業を成した。天使には未来永劫絶対にできない事を、人が成したのだ。彼女はその理由が気になってならなかった。


「聞くに、人には天使にない『夢』という力があるらしい。私はそれが何故、神をも滅ぼせたのかを知りたい。」

「質問する。それは、天界での暮らしを放棄してまでの行為であるのか?」

「当然だ。」


 天界から堕ちれば、神々からの守護は得られない。

 食べなければ生きてはいけず、排泄の必要が生まれ、天使の翼だって失ってしまう。天界から降りるというのは、失う事が多過ぎる。


「私は、智天使ケルビムの座やこの翼よりも、人として世界を見る事に価値を感じたのだ。」






 天使王は立ったままそこから動かず、魔導や権能を使ってクリムゾンと戦っていた。

 あの『承認欲』を抑え込めているだけでも十分ではあるが、決定打が足りない。それは他ならぬ天使王が弱体化している証拠であった。


「『光の障壁』」

「らあっ!」


 天使王の目の前に展開された光輝く半透明の板が、クリムゾンの振り下ろされる刃を防ぐ。


「『質量増加グラビティ』」


 再び、クリムゾンは体が重くなり地面に手をつく。しかしそれは立てない程ではない。

 それを天使王も分かっているからこそ、空かさず次の攻撃の手を放つ。


「『光の槍』」


 四方八方から、クリムゾンを突き殺すような速度で光の槍が降り注ぐ。

 それを両手の剣で、クリムゾンは全て撃ち落とした。いつも通りであれば、そう簡単に撃ち落とせる攻撃では決してないが、弱っている今では容易に破壊できるものである。


「ああ、分かるぜ。このまま長期戦になれば、お前が有利だ。体が治れば俺を倒すのは簡単だろうよ。」


 天使王とクリムゾンは互いに睨み合う。


「だから、奥の手を使わせてもらう。」


 クリムゾンの眼に魔力が集まる。

 この中でも、ヘルメスにだけはそれが何か分かった。魔力の感覚が、自分の持つ眼と似たような感覚である事を理解した。


「暴れろ、『狂鬼の赤眼』」


 クリムゾンの両眼は紅く染まる。

 この世に存在する五つの祝福眼の内の一つにして、最も戦いに長けた眼。それをクリムゾンは授けられていた。


「悪いな、俺は殺すのは好きだが、殺されるのは嫌いなんだ。」


 さっきとはまるで速度が違った。高重力をものともせず、クリムゾンは天使王の眼前でその剣を振り上げる。

 ヘルメスも、フィルラーナも反応すらできない高速。止める事はできない。



「ここまでだな。」



 ――ディーテを除けば、という話ではあるが。


「下がっていろ、天使王。元々アルスを引きずり出すのは、お前にしかできない。こいつの対処は私がする。」


 クリムゾンの剣は、ディーテが握る刀身の長い光の剣に止められていた。

 あの状況からクリムゾンと天使王の間に入り、その攻撃を防いだのだ。クリムゾンは警戒して後ろに距離を取る。


「天使王が戦う姿は珍しいからな、良いものが見れた。」


 そう言ってディーテは微かに笑いながら、光の剣を霧散させる。


「……理解不能。当機の戦う姿にそこまでの価値はない。」

「お前がそんな風だから、天使は全員つまらないのだ。」


 天使王はそう言いながらも後ろに下がる。ディーテが危険とは全く考えていない。

 それも当然だ。天使王を除けば最高階級である智天使ケルビムに最年少でつき、その中でも最強と言われ、最も熾天使セラフィムに近い天使と呼ばれた者、それこそがディーテなのだから。

 天使王には確かに及ばないが、その実力はクリムゾンが殺した天使とは圧倒的に格が違う。


「……ああ、分かるぜ。」


 どこかずっと遊びのように戦っていたクリムゾンに、芯が入る。

 紅い眼はより魔力を帯び、闘気はクリムゾンの体をより頑強にする。だらりと下がっていた切っ先を、ディーテへと向けた。


「お前、強いな。俺よりかは弱いけどよ。」

「たわけが。私の方が強い。」


 ディーテは顔につく仮面を掴み、それを捨て去った。

 それと同時にディーテから濃密な魔力が漏れ出し、空間を軋ませる。その身からは天使としての権能の力も自然と溢れ出しており、どんな馬鹿でもその強さに気付くだろう。


「天使の中でも私は若輩者でな。経験が足りないせいか、天使王のように手加減や調整ができない。綺麗に死ねるとは思わん事だ。」

「ああ、分かるぜ! その仮面は拘束具だったってわけだ!」


 ディーテが右手を腕に上げた瞬間、その横に数百数千の光の球が生み出される。

 それぞれの大きさは野球ボールほどではあるが、これほど数が揃えば一つの村を滅ぼす事だって容易だ。

 その光の球が、ディーテが右手を振り下ろした瞬間に一斉に飛んだ。


「この程度、俺に効くわけねえだろうがッ!」


 しかしそれを防ぎもせず、クリムゾンは前に出る。

 勿論、防ぎもしないクリムゾンに攻撃は当たり続けるが、抉れた肉は即座に再生し、吹き飛んだ部位も走りながら新しく生えてくる。


 ディーテは慌てないで、左手に拳銃を構える。右手は添えない。

 白い9mm口径の自動拳銃だ。セミオートで装弾数は7、普通の拳銃より銃身が少し長い。重量はそこそこあるが、それを軽々とディーテは片手で持つ。

 接近するクリムゾンの眉間に向けて、構えてから一秒も経たずにその引き金は引かれた。


「これは、喰らっちゃいけねえなあ。」


 それは直撃の寸前で、クリムゾンの剣に叩き落とされる。


「その銃、ただの銃じゃねえな。ああ、分かるぜ。それを喰らえば流石に俺もヤバい。」

「見た目通り、鼻だけは効くらしいな。」


 そう言いながらもディーテは銃を打ち続ける。クリムゾンもそれを避けたり、剣で弾いたりする。


「面倒臭い。」


 ディーテは拳銃をリロードしながらそう呟き、再び銃弾を打ち出した。

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