9.一つ目の鐘

 俺は近付いて鐘の事をよく観察した。しかし、どう見ても魔力は感じないし、魔道具の機構などは見当たらなかった。

 鐘は東洋の、いわゆる梵鐘と呼ばれる形式のものだ。

 記憶の中にあるそれとは違って、装飾があったり文字が刻まれていることもない。加えて言えば打つための物がなかった。

 異様な点としては、宙にそれが浮いているということ。魔力的機構がないのに浮いているのは、俺の理解を超えていた。

 ただ剥き出しの鐘が、そこにはあった。


「それじゃあ、誰が打ちましょうか。」


 お嬢様はそう切り出した。

 打つ人は、三つの鐘を通して共通である必要がある。しかし逆に言えば、同じであれば誰でも良くはあるのだ。


「私は打たん。どうせ結果は変わらないのだから、手早く決めると良い。」


 ディーテはそう言うと、鐘から離れた位置に移動した。


「ヘルメス、あの鐘について眼で分かったりするか?」

「……いやあ、分からないね。多分神の領域の力だ。僕の眼でもれない。」


 俺が聞くと、ヘルメスはそう答えた。

 何も危険はないとディーテは言うが、念には念を入れるべきだ。デメリットが強いなら俺が打ったほうがいいだろう。


「それなら、私が打つわ。」

「え、お嬢様が?」

「面白そうじゃない。アルス、何か打つものを出しなさい。」

「お嬢様に何かあったらどうするんですか!?」

「その時はあんたが何とかしなさい。それに直感的に分かるの、大丈夫だって。」


 お嬢様の直感は馬鹿にできない。何故なら、運命神の加護を持っているからだ。

 これが外れる事はまずない。実際、俺はお嬢様が失敗したところなんて見たことがないのだから。


「それでも、ですよ。仮にも俺はお嬢様の騎士です。何かあれば腹を切らなきゃいけなくなります。」

「それを言うなら、今私以外を失う方が不利益だわ。もしこれが罠だとするなら、追撃が来る。その時に対応ができる人を減らすのは下策じゃない?」


 言葉に詰まる。言い負けそうになったからだ。

 そしてそのタイミングをお嬢様は逃さない。俺に反論を考える時間を与えることはない。


「ほら、出しなさい。」


 俺の方へと手のひらを出す。

 良い言い訳も思いつかず、俺は諦めて魔法で作り出した少し大きい石のハンマーを渡した。

 軽いが魔力を込めている分だけ丈夫だ。この鐘を鳴らすには十分だろう。


「――いくわよ。」


 そう言って、素早くお嬢様はハンマーで鐘を叩いた。


 鐘の音が響く。近くだとうるさいのかと思ったが、その音は透き通るようで、不思議とうるさいとは感じなかった。

 音は重く、低い。大気が痺れるのを肌で感じ取った。


 一分近く鐘の音は響き続けていて、そこでやっと鳴り止んだ。

 魔力の動きも感じ取れないし、何か変わった様子も感じ取れない。俺の目には鐘が鳴っただけにしか見えなかった。


「思ったより、味気ないのね。」

「天使とはそういう生き物だ。無駄な機能は作らない。」


 お嬢様の言葉にディーテはそう言った。

 天使とは地球にあるイメージとおおよそ違いはない。神の使いであり、慈悲を与える人ならざる存在だ。

 最も神に近い存在として軽い信仰もあるのだが、ディーテには天使に対する信仰心は欠片も感じ取れなかった。それどころか、嫌悪の感情すらその言葉から漏れ出ていた。

 別にそれを悪いと言うつもりはない。俺だって信心深いわけじゃないのだ。ただ、珍しいとは思った。


「それじゃあ、今日はここで野営をしよう。」


 ヘルメスはそう言った。


「次の島で宿を探した方がいいんじゃないか?」

「いや、ちょっとそれは問題がある。」


 俺は疑問をぶつけるが、ヘルメスはそう返した。

 確かにここは魔力が薄く、魔物が寄り付かない場ではあるが、それでも野営は危険だ。俺なら一瞬で倒せるだろうけど、万が一という事もある。


「僕たちの入国が許可されているのはこの島のみ。その他の二つの島は、残念ながら如何なる人でも立ち入る事を禁じられている。」

「……なる、ほど。それなのに明らかに海外から来た俺らが、宿に泊まれるわけないか。」


 どれだけ取り繕っても、ここの知識があまりないのだから怪しまれるのは必須だ。

 泊まる場所を探す為だけにそんなに大きなデメリットは背負えない。ここでの野宿が安定策なのは間違いなかった。


「そう言えば、あなたにお兄様から手紙があるわ。後で読んでおきなさい。」

「あ、はい。」


 俺はお嬢様から白い、リラ―ティナ家の家紋の封蝋がなされた手紙を受け取る。達筆な字で、ノストラ・フォン・リラ―ティナという名前も書いてあった。

 正直に言ってちょっと怖いから突き返したいが、そうしても仕方ないので取り敢えず手紙をしまって野営の準備を手伝った。






 一通り準備が終わり、就寝の頃に俺は封蝋を魔法で作ったナイフで取って開けた。

 中にはびっしりと書かれた紙が二枚入っている。まずは当然、上にある紙の方から俺は読み始めた。


『この手紙を読んでいるという事は、既に出発した後なのだろう。まずお前には言わなくてはならない点がいくつかある。一つ目は――』


 その後は俺に対する不満やら文句やらがつらつらと書いてあった。

 というか一枚目丸々俺への不満じゃねえか、何だこいつ。しかも全部お嬢様に関することだ。シスコン拗らせ過ぎてるんじゃないだろうか。

 飛ばそう。流石にお嬢様以外の重要な事があるから手紙を書いたはずだ。次期当主がそんな馬鹿な事をするはずがない。


『――というわけで、お前に任せるのはとてつもなく不安であるし、信頼など欠片もできはしないが、それでもお前の実力だけは認めている。カコトピアは王国でも色々と気になる点が多い国だ。何故、入れる島が一つだけで他の二つに入ってはいけないのか。国交があった頃は様々なものを輸入に頼っていたのに、貿易を中断したのはどうしてか。確定した情報ではないが、その裏に名も無き組織がいる可能性も否定はできない。』


 その最後の一文に、俺は思わずため息を吐いた。

 ここでもその名前を聞くとは思わなかったのだ。

 俺が体験する事件や依頼の全てにあいつらが関与している。ここまで来れば運命なような気さえしてきた。こんな嫌な運命は願い下げだが。


『だからこそ、必ず妹の安全を守れ。これはお願いではなく、リラ―ティナ家次期当主ノストラ・フォン・リラ―ティナから騎士アルス・ウァクラートへの命令である。その命を犠牲にしてでも、フィルラーナを守れ。』


 その文はその一言で締めくくられていた。

 ああ、元よりそのつもりだ。しかしこう言われては、より気が引き締まる。家族を失った人間として、より色濃く。


「……いい兄じゃないか。」


 こんなに家族の事を思ってくれる人なんてそうはいない。だからちょっと、羨ましいなんて事も思ってしまった。

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