29.友よ、君を置いて

 馬車は走る。目的地は決まっていて、これがただの馬車でないのだから速度も速い。

 魔導馬車と呼ばれる乗り物だ。自動車も確かにこの世界に存在するが、馬のようなゴーレムを引くこっちの方がこの世界では主流である。


「……ヒカリ、引き返すなら今の内だぞ。」


 俺は馬車の中で、ヒカリにそう言った。

 これは相手の事を慮った言葉ではない。自分が安心したいが為の卑怯な言葉だった。それ程までに俺は、ヒカリが戦う事に強い抵抗感を持っていた。


「私に秘密で色々やろうとしてた癖して、まだ私を置いていこうとするんッスか?」

「いや、それは悪いと思ってるけど……こればかりは本当に、危険なんだ。」

「それなら、スキル『勇者』は回復の力もあるし、余計に置いていくわけにはいかないッスね。」


 頭が痛い。ヒカリの言ったスキルは、一度ヘルメスとも一緒にしっかり確認をした。

 その結果、色々な事ができると分かって、正直言って仲間にいる分にはありがたい。しかし、そもそもはこんな事をしなくてもいい人だ。戦わせたくはないのだ。

 平和な、争いとは無縁な状況で生きてきたのだから、そのまま返してやらなくちゃいけない。


「そろそろ諦めた方が良いですよ、アルス様。その子の意志は固い。それに、置いていくより手元に置いたほうが安心するでしょう。」


 デメテルさんの指摘に言葉を返せない。

 ヒカリは真面目で責任感が強い。いや、強過ぎると言っても良い。普通はいくら真面目でも、その為に命を天秤にはかけられまい。しかも平和な現代日本で生きてきた女の子がだ。

 これを元々から備わった気質と考えるべきだろうか。俺はどうしても、後天的にこの世界で植え付けられてしまった特性に感じてしまうのだ。日本に帰る少女が持っていていい感性ではない。


「……それなら、二つ約束をするからそれは守ってくれ。」

「約束ッスか?」


 いくらヒカリのスキルが実用的で、剣術を最近やっていたとしても、決定的に実戦の経験が足りていないのだから自由に戦わせるわけにはいかない。

 戦う上でどちらにせよパターンやルールが絶対的に必要だ。


「一つ目は必ず全員の後ろに位置すること。絶対に誰かを庇ったりはしない。どれだけ瀕死でも、ヒカリより皆丈夫だ。二つ目は言う事は絶対に聞くこと。何をやるにも指示が飛ぶまで決してやるな。」

「はい、わかりました!」


 元気よくヒカリは頷いた。俺は思わずため息をこぼした。

 俺も一つ切り札を用意はしたが、どうしても決め手に欠ける。ただ確実に時間は稼げる。とどめはヘルメスに策があるらしく、それに期待していると言ったところだ。

 ただ俺の切り札は教えたと言うのに、ヘルメスは確実性がないし、その時に指示を出すと言うばかりで教えてくれない。きっと俺とフランには戦いだけに集中して欲しいのだろうけど。


「そう言えばヘルメス、本当にカリティのいる場所は正しいのか?」

「分かっているとも。人器シリーズ666『ケリュケイオン』、その効果はざっくりと言えば魂への干渉。」


 そう言って小さな杖をヘルメスは取り出した。


「細かく言うならできる事が多い。魂を見る事によってその人の情報を得たり、冥界に行ってしまうような微弱な魂を捕まえたり、魂にピンを刺せば位置だって分かる。どんな依頼にも使えるお気に入りの人器さ。」


 魂から人を追跡できるのか。それは確かに魔法での追跡に比べて痕跡も残らないし、遥かに優秀だ。

 魂に干渉できる魔法はあまり実用的でないから研究が進んでいないし、唯一性という点も大きな強みだろう。


「今回の第一目標はティルーナちゃんの奪還、そしてカリティの無力化だ。だけど僕の策はかなりカリティを追い詰めるのを前提とする。正確には冷静さを奪う、かな?」

「どっちでもいい。要はカリティをビビらせることができれば、勝ちなわけなんだろ。」

「そういうこと。だけど、カリティのスキルに対する僕の考察が間違っていたのなら、それは失敗になる。だから失敗が確定した時は転移の刻印書スクロールを使って逃げてくれ。」


 馬車で出発する前に、それぞれ一つずつ転移のスクロールを貰っていた。

 スクロールというのは魔法が刻印されたもので、誰でも魔法が使えるように調整されたものである。転移ともなれば高額のはずだが、命には代えられない。


「ま、それ以外でも自分が危ないと判断したら躊躇いなく使ってくれよ。ただ使うまでに一秒ぐらいのラグがあるから、それだけは気をつけて欲しい。」


 転移魔法は複雑だし、特に長距離転移となると難しい。数秒かかるのは構造上は仕方のない事だ。


「……まあ、それもフラン君がいなきゃ始まらない。これ以上遅らせるとカリティに余裕を与えてしまうから出発したけど、フラン君がいないんだったら周辺で待機をする可能性だってある。」


 あの鎖を正面から防げるのは、この中ではフランだけだ。必然的に重要度は高い。


「その心配はいらない。だってフランは必ず追いつくからな。」

「アルス、フラン君を信じたい気持ちは分かるが、距離が距離だ。流石に追いつきはしないよ。」


 ヘルメスの言う事は正しい。だが、フランは必ず追い付くのだ。追い付かなければならない。


「俺とフランは、学園の頃から諦めるのを諦めた。選択肢が二つあるのなら、その両方を無理矢理選び抜くと決めたんだ。カリティと戦った後にジフェニルに会いに行くのは難しい。だからあいつは、先にジフェニルの所に行っただけ。」

「そりゃ、気持ち的には大丈夫でも、現実とは乖離があるものだろ。」


 呆れたようにヘルメスはそう言った。

 だけど俺がフランでも同じことを言っただろうし、一度言えば必ず実行してみせる。無理なんじゃないかと、そう考えた時点で二度と足が動かなくなると俺達は知っているのだ。

 どれだけ辛くとも、どれだけ苦しくとも、絶対に仲間は失わせない。だからフランは走った。


「もし片方に為に片方を捨てる時があるとするなら、それは――」


 どちらか一方しか救えない状況でどちらを救う、なんていう問題は地球で腐るほど見た。

 ああ、しかしそれは凡人の発想だ。いるんだよ、この世界には天才が。お嬢様なら、フィルラーナ・フォン・リラ―ティナなら決して諦めない。

 それでも俺が片方を見捨てる時があると言うならば、その結果は単一に定まる。


「俺が死ぬ時だ。」


 例え肉体がまだ動いていても、片方を見殺しにしたと言うのならばアルス・ウァクラートはその時点でただの獣に成り下がる。


「それはフランも同じなんだよ。行かなくちゃ、フランという存在は死んでしまう。だけどこっちに間に合わないと、それはそれで死んでしまう。だから何が何でもフランは来る。」


 実現できるか、なんてこの際に関係はない。やると決めたら実現させなきゃ話にならないと言うだけ。


「お前だって、誰も失わないハッピーエンドの方が好きだろ?」

「……そりゃ、好きだけどね。」


 それならフランの事を、信じるしかない。

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