幕間〜日常の最中〜
世界一立派で不出来なお姫様
時としてはそう、アルスが任期である一年の過程を終了させて、無事にテルムを育て上げた後。正確にはおよそ2ヶ月は後の出来事である。
「……姫様が
ヴァダーがそう言うと、それを聞いていた騎士たちは一斉に動き出す。
教育係も兼ねるヴァダーへ不満を溢すものはいない。他者の失敗を責めるのは騎士道に反するし、何より、どうしようもない事であるからだ。
「これ程までに魔法が習熟したという事を喜べば良いのか、やる事が変わらないのを悲しめば良いのか。」
ヴァダーもそうポツリと呟いて、城内を走り始めた。
せめてもの良心か、テルムが城外へ逃げることはない。しかし『鬼ごっこ』のフィールドとしては少し、広過ぎというものだ。
事実、大の大人が束になってもテルムを捕まえる事ができていない。確かに騎士は傷つけずに捕まえなくてはならないというのが不利なのは否めはしないが。
兎にも角にも、この王城はお姫様が駆け巡るには十分な世界だったのだ。
「『
捕まりそうになったテルムは、自分の体をふわりと浮かせて、騎士の手から逃れる。
そして、再び地面に足をつけて走り始めた。
丈の長いスカートで走るのも慣れたもので、子供ゆえの背の小ささも相まって捕まえるのが困難であった。
「ここは通しませんよ、姫様。」
だが、誘導するぐらいはできる。後ろから追いかけられる中、テルムの目の前にヴァダーが立ち塞がった。
近衛の騎士の中でも、ヴァダーはその戦闘に特化したスキルから上位に位置している。となればテルムを捕まえるのも当然、ヴァダーが一番向いている。
「ばーか、私が何の策もなしにこんな事するかよ!」
テルムは手に持つ鉄球を、ヴァダーへ向けて投げた。その鉄球は重力や空気抵抗から解き放たれ、一切の減速なくヴァダーへと迫る。
浮遊の状態にあるそれは、もちろんこのままではヴァダーの障害にはなりえない。質量が極小である光の粒子が、体にぶつかっても痛みを感じないように、重さのない鉄球など痛みを感じることはない。
「――解除。」
しかしぶつかるほんの数瞬前、質量を取り戻したのなら、実体を再び得たのなら、話は大きく異なる。それはつまり、初速度そのままの鉄球を直接叩き込まれるのと同義である。
「発想は良いですが、威力が不十分ですね。」
ただそんなものを喰らっても、超人代表のヴァダーに傷すらできようはずもない。ただ衝撃を受けて、鉄球に意識が向いた。その事実のみが、テルムにとって重要であった。
テルムは走りながら、指先でヴァダーの体へと触れる。ヴァダーは捕まえようとテルムの方へと手を伸ばすが、その手は宙を掴む。いや、正確には、ヴァダーの体が宙を舞っていた。
「はっ! そこで空中遊泳でも楽しんでるんだな!」
捨て台詞を吐いて、テルムはそのまま突っ走る。
だが、後ろを振り返らないテルムは気付かない。ヴァダーの両の目が未だにしっかりとテルムを捉えていたという事に。
「
自分にかかった浮遊の魔法をヴァダーは一瞬で振り払い、右足を地面につける。そのまま次の左足で地面を強く蹴り、一瞬にしてテルムの背後へ迫る。
「はい、終わりです。」
「え?」
気付けばテルムはヴァダーに脇で抱えられていた。
それを確認して他の騎士たちは散っていき、本来の業務に戻っていく。もはや慣れたものである。
「それ反則だろうが! 大人気ないぞ!」
「大人ですから。」
「嫌だ! マナーとか礼儀だとか、背筋がむず痒くて仕方がねえ!」
「姫様、そのような言葉遣いはいけません。」
ヴァダーは淡々と、テルムを脇に抱えたまま部屋へと戻っていく。
最初は必死に手から逃れようとしていたが、途中から意味がないと気付いたのか抵抗を止めた。代わりにその小生意気な口を開きだす。
「私は何度も言ってるが、王様になんかなってやんねえよ。だからこんな意味のない事に時間をかけるつもりもねえ。」
「……」
「私は師匠みたいに、この世界を回ってみたいんだ。師匠がいるグレゼリオン、魔導の本拠地ロギア、竜と鬼の国ホルト。どこにだって行ってみたい。王様になって一つの国に縛られるなんて真っ平ごめんだぜ。」
テルムは何よりも自由を好んだ。王は自由という権利を持つが、それと同時に大きな義務も背負ってしまう。それはテルムには耐えがたい事であった。
ヴァダーはそれを否定することも、肯定することもできない。否定することは王女に対する不敬であるし、肯定することは主たる国王に対する不敬である。模範の騎士として口を閉ざす事しかできはしない。
「……これから言う事は、どうか陛下には御内密に。」
「あん?」
ただ、ヴァダーが模範の騎士である事に拘りがないのなら、話は別である。
「してはいけない想像ですが、私は陛下が死んだ後は、姫様に仕えたいのです。」
「一応は娘だからか?」
「私が心配だからですよ。ここまで一緒に過ごして、情を抱くなという方が無理な話です。」
テルムは少し意外そうな顔をした。ヴァダーはあくまで仕事で、こんな事を嫌々やっているのだろうと想像していたからだ。
「ですので、陛下がお亡くなりになられた際は、その旅を全力で手伝いましょう。主人に仕えるが、騎士の本懐です。」
「……その結果、この国の跡取りがいなくなって、滅茶苦茶になってもか?」
「当然です。姫様の仰せの通りに。」
テルムは面倒くさそうな顔をして、頭を掻く。
「そんな事、しなくていい。」
「邪魔でしたら、そのようにご命令を。」
「いや、そういう事じゃない。この国の跡取りは私がなんとかしてやるって言ってるんだ。決まるまでは、私が王女でいてやる。女王にはなってやらねえが。」
ヴァダーは目を見開く。
自由が好きではあるが、テルムは人に迷惑をかけるのも良しとしない。最低限の責任だけは果たそうという気概だけはあった。
「あのクソジジイは嫌いだが、お前は、まあ、嫌いじゃない。お前はきっと、クソジジイが大切にしてた国が酷くなったら悲しいだろ。だからこそまでは、私が何とかしてやるよ。」
「……ありがとうございます。」
「私に礼を言うなんざ、お前らしくねえな。」
ヴァダーは足を止める。いつの間にか部屋の前についていたようだ。テルムを下ろして、ヴァダーは扉を開けた。
「――それでは、勉強の続きを致しましょうか。」
「え、やるの?」
テルムは動きを止める。良い話をした感じだったから、この流れに乗れば勉強を休みにできるんじゃないかと思っていたのだ。
「雰囲気には流されませんよ。どちらにせよ、王女としての職務を全うするには必要なものがいくつも欠けています。」
「いや、やらない流れだったろ今の。明日から頑張るからさ、な?」
「いいえ、今日でなくては駄目です。規律は守らなくてはなりません。」
「師匠は融通効いたぞ!」
「うちはうち! よそはよそ!」
「やってられるか!」
「あ、お待ちください!」
再びテルムは逃げ出し、ヴァダーが追い駆ける。このやり取りは、数年は変わる事がなさそうだ。
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