10.教会の執行者
勢いのまま神秘科を飛び出し、賢者の塔の外で夜風を浴びていた。
ちょっとヒートアップして言い過ぎてしまった。今思えば、あんなに喧嘩を売る物言いをする必要もなかったであろう。
「俺ってこんなに血が上りやすかったっけ。」
間違っていたとは、そんなに思わない。だけど言い方はあった。
やっぱり体に精神年齢が引っ張られているような気がする。もう流石にここまで来たら間違いないと思う。自分でも理性が効かない時が多いんだ。
まあ、過ぎ去った事を気にしても仕方ない。
取り敢えず、アルドール先生の別荘まで一度戻ろう。極力早く王城に来いとアースに言われているし、賢神になれた以上、あまりここに留まる意味もない。
エルディナもアルドール先生も別荘にいるだろうし、ちょっと相談してみるのもいいかもしれない。
「……あれ、グラデリメロスか?」
戻ろうと立ち上がった所で、暗い街の中で人影が見えた。
あの黄色い髪とキャソック、何よりあの異様に高い背丈など、どう考えても議会で見たグラデリメロスに違いなかった。
どこに行くのだろうと気にはなったが、わざわざ追いかけるのも不躾だ。
俺はグラデリメロスを見たことを記憶の片隅へ押し留め、そして別荘への道を歩き始める。暗いがポツポツと街灯は光っており、迷う事もない。
「ちょっと待ちな」
そのまま帰れるはずだった。そこに誰もいなければ。
「そこに今、グラデリメロス神父がいただろ」
通りの真ん中に、そいつは立っていた。
少し薄暗くて、顔はよく見えない。だけどどこか、その顔には見覚えがあるような気もした。
「誰だ、お前。」
「後悔したくないなら、追った方がいい」「じゃないと君の友人が死ぬぜ」
会話の仕方に違和感が残る。違和感の理由は分からない。だが、普通とは違う、他のどこでも聞いた事のない話し方のように感じた。
何もかもが怪しい。もしかしたら、名も無き組織の可能性だってある。
俺は相手に気づかれないように、ひっそりと魔力を練りながら、相手の言葉を待つ。
「俺に何の用だ。」
「助言だよ」「君にこんな所で、沈んでもらっちゃ困る」「後悔したくないんだろ」「大人しく追った方がいいぜ」
「何で俺が、会った事もないお前に助言されなきゃいけねえんだ。」
「いいや、会った事はあるとも」
会った事がある?
いつだ、それは。覚えがない。こんな気味の悪い話し方をする奴を忘れるはずがないはずなのに。
「それにこの事実を伝えだけで、俺の勝ちだ」
「何を言って――」
「君は必ず追う」「俺の言った事が本当かもしれないという、億が一の可能性を追って」
強い風が吹く。風は通りを浚うようにして流れていき、少し目を離した瞬間にその男の姿は消えていた。
魔力は既に追えず、転移の痕跡すら見せずにその姿は消えていた。
恐らくは超常の力、スキルによるものなのだろう。ここまで痕跡を残さずに転移を行うなど、魔法では普通できない。
「……探す意味は、ないな。」
こんな強力な移動能力を持つなら、次見つけても直ぐに逃げられるだけだ。
それより、気になるのは……
「癪だが、行くしかないか。」
あんなに見るからに怪しい奴もそういない。だが、もしあいつの言っていることが本当だったとして、もし俺の友が死んでしまったら。
きっと俺はそれを死ぬほど後悔する。あいつの言った通り、俺は追うしかないのだ。
本当に癪だがな。誰かの手のひらで動かされるのは気分が良いものじゃないし、されるならば信用できる奴に限る。
俺は体を闇に変え、目立たぬようにしてグラデリメロスを追った。
暗き所は恐ろしいものだ。
しかしこと男児に関しては、闇に怯える者は臆病者と貶される。まるで女のようだ、子供のようだと、父親かはたまた学友からか、聞き覚えのある人間は少なくないはずだ。
今となれば女のようだ、という言葉は違う問題を生む事もあるが、今回の論点とはズレるので割愛しよう。
重要なのは、暗きことを恐れるのは臆病者であるという、こびりついた考えである。
元来、人が暗闇を恐れたのはそれが未知であるからである。見えなければその先に広がるものを知れるはずもなく、獣に先手を取られるのは死も同然であったのだ。
しかし時が現代日本に移れば、毎日そこにあるものは何ら変わりなく、見えなくとも正体は分かり、未知は予測から既知に転ずる。
既知を恐れる者は臆病者に違いない。ならば暗闇を恐れる者は臆病者か?
否、それは断じて否だ。予測から既知に転ずると先に言ったが、それは主観的なものである。畢竟、予測を立てただけで、その先に何があるかは行かねばわからない。
故に暗闇は恐ろしい。恐れるのは当然だ。今日の彼のように、予測がつくとは限らないのだから。
「どう、して!」
必死に灰色の髪の少年、ガレウ・クローバーは走る。
学園をも卒業した彼が、魔法ではなく肉体に頼らざるを得ないのは理由がある。一つは彼の魔法は移動能力は高くないこと。もう一つは、自分を襲うものの正体が掴み切れていなかったからだ。
魔法とは闇雲に使えばただ消耗するだけ。それは五年間の学園生活でしっかり学んだものだ。
「『
ガレウの体を覆い隠すように闇が張り付く。一番の光源である月光も民家に遮られ、ガレウを照らさない。ともなれば視覚でガレウを追うのはほぼ不可能といっていい。
しかしそんな抵抗すらも嘲笑うようにして、背後から光の銃弾がガレウの頬を掠めた。
ガレウは確かに学園にて、一流の魔法使いとして教育された。しかし一流の戦士としては教育されていない。どの魔法が自分が生き残るのに最適かなど分かるはずもなかった。
(さっきから、僕は何に襲われてるんだ。姿すらも見えない。だけど、確実に僕を狙っている。一体これは何なんだ。)
ガレウには襲われる覚えはない。襲われるほど目立つ行動もしておらず、恨みを買うような生き方をしてきていないからだ。
だがそんな思いなど、実際に起きうる現状に抗うにはあまりにもか細すぎる。
「裁きの鐘は鳴った。」
野太い声が街の中で響く。静かな夜に響き始めた足音は、まるで死までの秒針であるように残酷であり、闇の中から
「赦しを乞う必要はない。戦う意味はない。抗う価値など存在しない。祈りは最早、通じはしない。」
黒き
両手には何も持っていない。事実、彼には不要であった。その身一つが、何よりの武器であったから。
「ただ、絶望しながら生き絶えるがいい。」
光の小さな粒が集まり、瞬きの間にその男の両手に、一本ずつの柄のない刀が握られる。
闇夜の中で光り輝くその二本の剣は、先程までと違いその姿を捉えるのを容易にしたが、そのような事で有利にはなり得ない。
賢神第八席、グラデリメロスを止めるには至らない。
「我らこそが、神の炎なり。」
それは違いなく神の炎にして、最強なる神の代行者。教会が誇る教皇直属粛清部隊が一人。
『神の炎』『教会の執行人』『裏処理屋』『血塗れの光』。彼を言い表す言葉に際限はない。ただ、それらの言葉が指す真実はただ一つ。
「死にさらせェッ!!!」
彼が、いくつもの教会の敵を葬り去ってきたことである。
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