5.懐かしの
不快な音が鳴り続ける。いつものアラームの音だ。
人によってはこの朝の起床が耐え難い苦痛に感じるそうだが、俺は幸運な事に朝の寝起きは良かった。
だからこそ直ぐにアラームを止め、俺は体を起こす。
「いや、ちょっと待て。」
あまりにも自然な目覚めだったからこそ、違和感を抱けなかったが、明らかにおかしい。
俺は異世界に転生したのだ。スマホからアラームが鳴るはずもないし、そもそもスマホなんて異世界にはない。
俺は急いで立ち上がってカーテンを開ける。
妙に見慣れている家具や間取りが、余計に俺を焦らせる。
「嘘、だろ。」
この景色には見覚えがある。
いくつも並ぶ高層建築の数々に、道路を走る車たち。電車もこんな朝っぱらから元気よく動いていた。
間違いない。疑念が確信に変わった。ここは俺の家だ。
正確に言うなら俺が大学に入って一人暮らしを始める前に住んでいたマンションの一室だ。
「ちょっと待て、ちょっと待てよ。今、何年だ。」
俺はスマホから現在の年を調べる。その年数が、更に俺を惑わせる。
俺が高校生だった頃の年代だ。もう既に過ぎ去ったはずの時間であり、もう戻れないはずの時間。
まさか今までの社会人生活から転生、そして十五年のあの激動の記憶が壮大な夢だったという可能性もある。
だが、流石にその可能性は低いはずだ。リアリティが高過ぎる。
タイムリープにしても、何であのタイミングで、ここまで戻ったのか説明がつかない。
幻覚という可能性もあるが、確定的な情報が得られない。
「一体、何が起きたんだ……」
俺はさっきまで王都にいたはずだ。しかも名も無き組織の幹部と遭遇した状態で。
そこから急に移動するってだけで頭が痛いし、なおかつそれが地球ともなれば余計に意味が分からない。
「何ドタバタしてんだ、
突然俺の部屋の扉が開けられ、一人のやけに若々しい老人が入ってくる。
顔にはシミがいくつかあり、髪は年相応に白い。しかし逆に言えば、それ以外は老人には見えないのだ。
伸び切った背に、人を殺せそうな目つき、服で隠れる鍛え抜かれた体。
とてもじゃないが、老人の体には見えはしない。
「じい、さん?」
「何だ、一晩寝ただけで俺の顔を忘れたのか。」
「そういう、わけじゃ、ねえけど……」
この人は、俺の拾いの親だ。山に捨てられていた俺を気まぐれで育て始めたらしい。
といっても年の差が開き過ぎているから、親父とは呼ばず、俺は爺さんと呼んでいる。
そして既に、死んだはずの人だ。
俺が社会人になってから少しして、病気で急死した。
葬式もやったし、線香もあげた。間違いなく死んだはずの人が、俺の目の前にいるのだ。
驚かずにはいられない。
「なら、さっさと来い。朝飯を食うぞ。」
そう言って爺さんはこの部屋を去っていく。
まるで時間が巻き戻ったようだ。実際今は、そうとしか考えられない状況にある。
しかし、何故あの時にそれが起こるというのか。
敵に相手の時を戻す意味なんてありはしない。時を戻されたと仮定しても、第三者の介入は間違いないはず。
「……朝飯を食いながら考えるか。」
俺如きには想像がつかない。
取り敢えずはここが何なのかを知る必要がある。そしてできれば、元の場所に戻る。
エルディナとの決着はまだだ。絶対に戻らなくてはならない。
俺はリビングの椅子に座り、対面にいる爺さんを見添える。
テーブルの上の料理はさっぱりとしたものだった。味噌汁と白米、そして適当なサラダがあるのみだ。
俺と爺さんは何も言わずに手を合わせ、箸をつけはじめる。
「真。お前、随分と落ち着いたな。」
食べている途中、爺さんはそう零した。
真というのは俺の名前だ。まこと、ではなく、しん、と呼ぶ。姓は草薙で、草薙 真というのが俺の名前だ。
「そうか? 別にいつも通りだと思うけど……」
「ならいい、忘れろ。」
否定はしたが、爺さんの言う落ち着いた、というのも理解できなくはない。
思えば学生時代の俺は荒んでいた。
魔力という特別なものが見えてしまったが故に、人を見下し、馬鹿にして、自分は違うのだと言い聞かせていた。
自分はいずれ、ここにいる誰よりも優れた人間になれると信じて疑わなかったのだ。
今思えば、忌むべき黒歴史でしかないが。
「今日って何曜日だっけ。」
「月曜日だ。」
「なら、学校に行く日、だよな?」
どこかぎこちなく不安そうな俺を、爺さんは訝しげに見る。
「やっぱりお前、今日はおかしいぞ。変な夢でも見たのか。」
「いや、大丈夫。ちょっと寝ぼけてるだけ。」
「お前が寝ぼけるなんて、珍しいこった。」
そう言って爺さんは箸を置き、食器を台所の方へ持っていった。
俺は朝食を食べながらも自分のスマホを取り出し、取り敢えず現状を確認する。
俺の生まれ年とかから逆算するに、今は高校二年生の9月だろう。
魔法の使用は困難だ。体内魔力で体外魔力を操り、発動するのが魔法だ。体外魔力がなければ碌な魔法が使えない。更に言うなら闘気も使えなさそうだ。生命エネルギーの発露が闘気であるのだが、体外に出した瞬間に霧散する。
あっちとこっちじゃ物理法則も違うのか。
「それじゃ、俺は仕事に行ってくる。」
「ああ、気をつけてな爺さん。」
爺さんは私服のまま、適当に荷物を持って玄関の方へと歩いて行った。
俺はその頃にようやっと食べ終わり、食器を片付け始めた。爺さんは昔から朝が早い。俺の寝起きがいいのも、それに影響されたのかもしれない。
爺さんの仕事は、俺はあまりよく知っていない。だが、相当に稼ぎが良いのは知ってる。
聞いた事はないが、見るからにお金に余裕があるように感じるのだ。このマンションも結構大きいし、家具も質が良い上、図書館かってぐらい家に本がある。
「……高校に行く準備するか。」
俺はそう言いながら自室に戻る。
高校には良い思い出がない。だが、ここで休んでも何にもならないし、今は情報が必要だ。
「確か教科書はここにあった、はず。」
俺は記憶を探りながらもなんとか支度をしていく。二、三十年前の事ではあるが、幸いに時間には余裕があったので、何とか支度を終える。
昔から必要物とかをメモする癖があったから、そこまで苦戦する事もなかった。
リュックを背負い、家から出る前に、ふと、洗面台の方に行く。そこにある鏡で自分の顔を見た。
「やっぱり、俺だな。」
髪は黒く、どこか野暮ったい印象を受ける。平凡な顔で、それ以上でも、それ以下でもないような容姿だ。
しかし、これから数十年も付き合った顔だからか、妙な安心感がある。
「行ってきます。」
俺は誰もいない家を背にし、高校へと足を進めて行った。
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