12.新しい自分へ

 広い広い海の底で微かに光を感じるような感覚。決して夢のようではなく、意識がしっかりとしている。


「無茶なことをしたね。あんな少女なんて見捨てて逃げればよかったのに。アルテミスが助けてくれるかも、間に合ったかどうかも微妙な賭けに命を差し出すなんて。」


 声が響く。どこからというわけでもなく、世界そのものに響くように。

 俺は周りを見渡す。そこにはいくつもの物が沈んでいた。

 剣、槍、本、木、肉、山、部屋。そこにはありとあらゆるものが沈んでいた。明らかに沈まないはずのものも。


「ここは、地獄か?」

「いいや、君は死なない。君には生きてもらわなくては困る。本来なら体を触媒にするなんて死ぬに決まっているけど、君の体はそういうのに耐性がある。」


 耐性がある、か。

 何でそんな耐性があるのかなんてわからないが、生きているのだから僥倖というやつだろう。


「まあそれでも瀕死の重傷さ。死んでもおかしくなかった。実際に私がいなくては死んでいた。」

「……誰だ、お前。」


 だが地獄でないというならここはどこだ。

 地獄であるならこの声は死神のものであると納得ができよう。しかしそうでないというのならば、この状況が一切分からない。


「私? 生憎と君に名乗る名は持ち合わせてはいないのだが……呼び名が欲しいならツクモとでも呼ぶといい。」

「名前も気にはなるけど、俺が知りたいのはお前がどういう存在かだ。」

「どういう存在、説明が難しいことを言うね君は。私という存在を詳細に語るとするなら先に君の寿命が尽きてしまう。しかし簡潔に言いあらわすには私という存在は少々複雑が過ぎる。」


 どう言おうかと、そのツクモという存在は悩んでいた。

 この状況は明らかな異様ではあるが、ツクモは人智を超越した存在のようには感じず、人間のような感じがした。


「まあ、ここで説明しなくてもいいか。いずれ分かる。」


 海の底から浮き上がっていく。

 恐らくは海面に俺の体がついた時にこの世界から出てしまうのだろう。本能的に俺はそれを感じ取った。

 だからこそ焦る。


「待て! 結局お前はなんなんだ!」


 色々と聞きたいことはあった。

 ただ今は何よりもこれを知りたい。俺を助けてくれるのは何故か、何故俺をここに呼んだのか、目的は何か。

 その全てをこの質問で知れると思って――


「安心しなよ、私は君の味方だとも。」


 その言葉を最後に俺の意識は浮上した。






「待て!」


 俺はベッドから体を起こした。落ち込むように溜息を吐き、ここがどこかを知るために俺がいる部屋を見渡す。

 そして真っ先に一人の少女が目に映る。


「どうしたのかしら。変な夢でも見ていたの?」

「……まあ、変な夢みたいなものですかね。」


 ツクモと自分のことを呼んだアレは一体何なのだろう。

 だが、今はいい。分からないことを気にしても仕方ないというものだ。それにアレの言葉を信じるなら敵ではないようだし。


「それより無事そうで何よりですよ。」

「ええ。あなたの功績よ、誇るといいわ。四大公爵家の令嬢の命を救ったのよ。末代まで語り継ぐ名誉ね。」

「神経図太過ぎやしませんかね。」


 取り敢えず、元気そうでなによりだ。俺の頑張りが無駄でなかったことが証明されたわけだからね。


「それにあなたこそ大丈夫なの? 右腕を失っただけじゃなく、左手も満足には動かないでしょう。」


 そう言われて俺は左手が動かないことに気付く。

 当然か。命を失うレベルの魔法だ。むしろこれだけで済んだのが奇跡というものだろう。


「傷は男の勲章ですよ。それに魔法使いなんですから、腕がなくとも色々できます。」


 そう、とフィルラーナ様は頷いた。

 少しの沈黙が響くと、戦いの最後の光景が思い浮かぶ。そして最後に立てた覚悟が、脳裏をかすめていく。

 俺はなんだか、この人にそれを伝えなくてはならないような、そんな気がした。


「……フィルラーナ様。俺、夢ができたんですよ。」

「へえ、どんな夢なの。」

「人を救える、人を幸せにできる魔法使いになりたいんです。例え全員を救うことができなくても、自分の目が届く範囲の全てを守れる魔法使いに俺はなりたいんです。」


 幸せの魔法使い、ってか。

 自分で言うのもなんだが、幼稚な夢だ。

 だけどこの身は未だ幼い上、ここは異世界だ。少しぐらい馬鹿な夢を見たって許されるってものだろう。


「それなら、貴方はその魔法使いに既に一歩近付いたことになるわね。」

「え?」

「あの時、魔物から逃げていた男は貴方に救いを求めた女の子の父親だったのよ。取り敢えず貴方は、一人の女の子を救う事はできたでしょう?」


 ……そっか。そっかあ。

 やっぱりあの時、挑んだのは失敗じゃなかったか。あの時、行くと決めたのは間違いじゃなかったか。

 それは何よりも、嬉しい事だ。


「アルス、貴方私の騎士にならない?」

「また唐突ですね。一体何を?」

「貴方は教養もあるし、強いし、目標もあるわ。私個人としては信頼できる騎士がいてくれたらとても嬉しいのだけれど、駄目かしら。」


 これまた嬉しい勧誘だ。

 騎士というのがどういうものか分かりはしないが、間違いなく今よりかは良い状況に身を置くことができるだろう。

 それにこの人の下で働けるなら、きっと万金に値する価値がある。


「会って数日の輩を、よくそこまで信用できますね。」

「普段なら絶対に信用しないのだけれどね。他ならぬ自分の力で予言してしまったら、信じざるをえないわ。」

「予言?」

「私、人生に三度だけ未来を予言できるの。一つ目は子供の頃に使って、二つ目はこうやって私が頼りにできる人を知るために。」


 予言の力。

 もう本当に何でもありだな。流石異世界だ。俺なんか目じゃないほどの凄い人が沢山いる。

 俺はその人たちと肩を並べて、越えていかなくてはならない。


「それが、貴方ってわけね。」

「逃げづらい雰囲気を作ってくれますね。」

「あら、ごめんなさい。わざとよ。」

「余計にたちが悪いですよ、それ。」


 人生というのは何が起こるか分からないものだ。俺はこの世界に来て、それを色濃く実感している。

 そしてその人生を何より楽しむには、それに思いっきり乗っかって楽しむのが一番いい。

 人間ってのは馬鹿になった方がいい時があるってものだ。


「受けますよ。」


 俺はベッドに上で座り直して正座になる。


「俺、アルス・ウァクラートを貴方の騎士にしてください。」

「もちろん。期待しているわ、騎士アルス。」


 この時、俺は魔法使いになるよりも早く騎士となった。

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