第6話 神田君失踪事件

私、仲野蝶子が明応大学のキャンパス内を歩いていると、神田君が一人の女の子と仲睦まじげに歩いているのを見かけた。


「へ~え、あの神田君がね」と思いながらその場を通り過ぎた。


翌日、キャンパス内の別の場所を歩いていると、また神田君が女の子と歓談しながら歩いていた。ただ、昨日の彼女とは別の子だった。


「神田君って、意外ともてるのかな?」などと思ってしまった。


神田君は話してみると気さくな性格だが、見た目が若干陰気で清潔っぽくないので、女性にもてそうには見えなかったからだ。もちろん私も恋愛対象とは思っていない。


でも、同じミステリ研の部員だ。彼に春が来るよう心の中で応援しよう。


翌日、ミステリ研の部室を訪れると、神田君と一色さんが既に来ていた。二人とも会話をせずにミステリマガジンを読んでいた。


「こんにちは、仲野さん」と一色さんがあいさつしてきた。


「やあ、仲野さん」と神田君も私の方を見て言った。


「こんにちは、一色さん、神田君。・・・何を読んでいるの?」


「私が今読んでいるのはミステリマガジンに掲載されているフランシスの『血統』って作品。盗まれた名馬を諜報員が探すって話なんだけど、探偵小説というよりは冒険小説だね」と一色さんが言った。


「僕はハワードの『逸楽郷の幻影』って短編だよ。推理小説じゃなくて、剣と魔法の世界で活躍する冒険者コナンの物語さ」


「また変わったものを読んでいるわね、神田君は。エスエフってのじゃないの?」


「こういうのはヒロイック・ファンタジーって呼ばれてるよ」


「この前読んでいた『火星のプリンセス』もそれっぽい英雄譚だね」と一色さんが言った。


「まあね。舞台が現代でも宇宙でも古代世界でも、英雄ヒーローが活躍する話には男心をくすぐられるよ。僕もどこか別の世界に行って、美女にもてもての英雄ヒーローになってみたいなあ」


「そう言えば、神田君、最近女の子を連れ回してるわね。それも一人じゃなく・・・」


「え?見てたのかい?」頬を染める神田君。


「彼女ができたの、神田君?」と一色さんが顔を上げて聞いた。


「まだ彼女ってわけじゃないけど、二人の女の子から誘われちゃってね、まいってるんだよ」と神田君はまいってるどころか嬉しそうに言った。


「話だけじゃ信じられないところだけど、確かに神田君がキャンパス内を女の子と仲睦まじげに歩くところを見かけたわよ」


「僕の魅力に気づく子が出てきたってことかな」


「魅力・・・ねえ?」と私は神田君をまじまじと見つめた。悪い人じゃないけど、女性を魅了する要素がどこにあるのかわからない。


「もっともこれは一色さんのおかげでもあるけどね」


「私の?」一色さんが意味がわからないという顔をして聞き返した。


「この前の財布の事件があっただろ。あの謎解きを川崎さんと大宮さんに披露したんだよ」


「ええっ!?」と一色さんが大声を上げた。


「なになに?」と私が聞くと、何でも財布をなくした咲田さんという女子学生がいて、何もない部屋に鍵をかけて財布を探しに部屋を出、戻ってその部屋の鍵を開けたら、部屋の真ん中に財布があったという不可思議な現象があり、一色さんがその謎を解いたと神田君が説明してくれた。


「それで犯人と思われる女の子二人にあなたが『謎は解けたっ!』とか言って、さも自分が推理したかのように話したの?」


「うん」とうなずく神田君。一色さんの手柄を横取りか?と思ってしまった。


「・・・それで、黙ってやるから俺とつき合え、とか、脅迫したんじゃないでしょうね?」


「そんなことはしないよ」とあわてて神田君が否定した。


「彼女らは『今の推理には何の証拠もないわよね?』って言い返してきたんだ。だから僕は『そうだよ。それにもしこの推理が当たっていたとしても、別に君たちを責めるつもりはないから安心して』と一応言ったんだよ」


「そしたらその子たちが神田君にべたべたしてきたってこと?・・・そりゃ証拠がなくても、その推理を言いふらされると咲田さんって子やその取り巻きに疑いの目を向けられるから、神田君がしゃべらないように見張ってるだけじゃないの?」


「そんな子じゃないよ、彼女らは・・・」どうだか、と私は思った。


「一色さんはどう思う?」


「私も仲野さんの考えに賛成だね。・・・神田君が彼女らに私の名前を言ってなければいいけど。変に恨まれるのは嫌だから」


「言ってないよ」


安心する一色さん。神田君の自己顕示欲がこの場合は良かったか・・・。


「となると、彼女たちは危険人物が神田君だけと思うわね。そのうち口封じされるかも」と私は指摘した。


「く、口封じって?」


「事故に見せかけて亡き者にされるとか・・・」


「や、やめてくれよ!ミステリ研の部員だからって、殺人事件の被害者にはなりたくないよ!」


神田君はあせって一色さんの方を向いた。「僕はどうすればいいと思う、一色さん?」


一色さんは腕を組んで考え込んだ。


「・・・神田君が彼女らの弱みを握っているから命を狙われる。・・・なら、逆に神田君が自分の弱みを彼女らに教えれば、『このことをばらされたくなかったら、あのことを人に言うんじゃないわよ』と締められて終わりかな?」


「よ、弱みって?」


「人に知られたら恥ずかしいことよ」と私は言った。「恥ずかしい秘密のひとつやふたつあるでしょ?」


「そんなものないよ!」と否定する神田君。どうだか。


「ないのなら、彼女らの目の前で神田君が・・・下着の中に漏らすとか」


「どんな自作自演だよ!後始末が大変じゃないか!」


「じゃあ、万引きするところを彼女らに見られるとか・・・」


「犯罪は良くないよ」と一色さんが口をはさんだ。それもそうだ。


その時突然部室の戸が音を立てて開いた。私たちが入口の方を見ると、二人の女子学生が部室を覗き込んでいた。・・・神田君が連れていたあの二人だ。


「神田く〜ん、こんなところにいたの?何話してたの?」と聞くひとりの女子学生。


「よ、読んでいたミステリマガジンという雑誌の小説について話していただけだよ」あせる神田君。


「どっか遊びに行かない?」ともうひとりの女子学生が言った。


「そ、そうだね。・・・じゃあ、『ザ・ハンバーガー・イン』にでも行ってみない?」


「おごってくれるの?」


「もちろんだよ」にこやかに答える神田君。


「うれし〜い!」と二人の女子学生は言って、神田君の手を引いて部室から連れ出して行った。後に残される私と一色さん。


「ハンバーガーを売っているお店があるの?ハンバーガーって『ポパイ』でしか見たことないけど」と一色さんがつぶやいた。(註、昭和四十四年当時)


「六本木にお店があるらしいわよ。・・・でも、神田君、監視されているというよりたかられているわね、あの二人に。大丈夫かしら?」


「さあ・・・。でも、幸せそうだからいいんじゃない?」と一色さんはあっさりと言った。


「そうね。・・・さっきは冗談で言ったけど、さすがに殺されることはないでしょう」


ところがその日を最後に、神田君が部室に顔を出さなくなった。


それまでは毎日のようにミステリ研の部室に顔を出していたので、さすがに兵頭部長も心配になってきたようだ。


「ミステリ研へ顔を出すことは義務ではない」と兵頭部長が言った。


「そうですね。幽霊部員になって、そのまま卒業まで顔を出さないことはよくありますが・・・」と山城先輩も心配そうに言った。


「毎日のように顔を出していたのが急に来なくなったとなると、やはり心配ですね」


「病気かもしれないし、何らかのトラブルに巻き込まれて大学に来れなくなったのかもしれない」と兵頭部長。


「仲野さん、一色さん、悪いけど彼に何か起こってないか、調べて来てくれないかい?」


「はい」「わかりました」と私と一色さんは答えた。


その日は既に夕方になっていて、大学に来ていても既に帰宅した可能性があるので、私は一色さんと相談して翌朝商学部の講義室を訪ねた。


必修の講義があるはずで、今日はこの講義室に来ているはずだ、と思って覗き込んだが、あいにく知った人はいない。二人できょろきょろと見回して、神田君がいないということはわかったけど、誰に聞いていいのかわからない。


その時一色さんが、「あ、あの人」と講義室の奥にいる二人の女子学生を指さした。


その女子学生は神田君を誘いにミステリ研の部室に顔を出した人たちだった。確か川崎さんと大宮さんと言ったっけ。


私は一色さんと一緒に講義室内に入り、まっすぐその二人に近づいて行った。私たちが近づいて来たのに気づいたのか、怪訝な顔をする川崎さんと大宮さん。


「あの、すみません。ちょっといいですか?」と一色さんが声をかけた。


「あなたたち、誰?」と二人のうちの一人が言った。


「私たちは文学部の学生ですが、ミステリ研の部員です。神田君がどこにいるか知りませんか?」


「ミステリ研?」と聞き返して二人の女子学生が顔を見合わせた。


「あ、あの時部室にいた・・・」ともう一人の女子学生が言った。一瞬だが部室で私たちと顔を見合わせたことを思い出したのだろう。


「神田君のことは知らないわ。最近はあまり講義に出て来てないし、来ても講義が終わるとすぐに帰って行くから」


「ところで、神田君から私たちのことを聞いたことない?」ともう一人が聞いてきた。


「あなたたちのお名前を知りませんが」


「私たちは・・・その・・・川崎と大宮というの。神田君から何か聞いてない?」


私は一色さんの顔を見た。一色さんは少しだけ顔を左右に振った。


「あなたたちのことは特に聞いたことはありません。部室にいる時はもっぱらミステリ小説の話ばかりしていましたから」


私の言葉を聞いて川崎さんと大宮さんはほっとしたような顔をした。どっちが川崎さんで、どっちが大宮さんかわからないが。


「そう。・・・神田君は今日は来ていないみたいね。もし見かけたらミステリ研の部員が捜してたって伝えておくわ」


「よろしくお願いします」と頭を下げる。


そこへ男子学生が寄って来た。


「何だ、神田を捜してるのか?」


「はい、どこで何をしているか、ご存知ですか?」


「あいつ最近人気のハンバーガーやピザを食べ歩いていたみたいで、よく『金がない』とこぼしていたけどな」


川崎さんと大宮さんはそ知らぬ顔をしていた。


「そうですか。教えていただいてありがとうございます」私たちはその男子学生に頭を下げ、講義室を出て行った。


私は文学部の講義室に戻る途中で一色さんに囁いた。


「まさか、神田君はほんとに彼女らの手にかかって・・・?」


「さすがにそんなことはないと思うよ。おそらくあの男子学生が言っていたように金欠になって、バイトにでも明け暮れてるんじゃないかな?」


「それは彼女たちにおごったため?」


「おそらくね。人生で初めて女の子にもてて、舞い上がってお金を使い過ぎたんだと思うよ」けっこう辛辣に評する一色さん。


「生活費はともかく、学費にまで手を出してなければいいけど・・・」


「忙しい上にあまり大学に来れないから、財布が消えた事件のことをほかの誰かに話す余裕はないだろうね。神田君自身が言いふらすつもりがなくても、ひょんなことで口に出す可能性がないとは言えないからね」


「そしてうやむやになる。・・・あの二人がそう企んで神田君を誘っていたのかしら?」


「そこまではわからないけど」と一色さんが言った。


さらに一週間近く経った連休前に、神田君が久しぶりに部室に顔を出した。やはりアルバイトをしまくっていて、大学にあまり来れなかったらしい。


「デートってお金がかかるね。もてるのも困ったもんだ」とぼやく神田君。知らんがな。

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