おまけ 一色千代子の探偵小説観

私(一色千代子、昭和二十五年四月二十九日生まれ)が推理小説に目覚めたのは小学生の時だ。


それ以来、探偵になることを夢見てきた。だから、推理小説のことを昔風に探偵小説と呼ぶのは、探偵に対する憧れを示すためだ。


最初に読んだ探偵小説は、少年向けに出版された名探偵ホームズ全集だった。確かポプラ社の全集だった記憶がある。私は何でもないような情報から真相を解き明かしていくホームズの活躍にほれ込み、探偵小説にはまることになった。


その後、少年向けの探偵小説の類をむさぼり読むようになった。もともと読書は好きだったので、まもなく大人向けの探偵小説にも手を伸ばし始めた。


探偵小説の名作は、古今東西たくさんあるので、その一つ一つを紹介することはできないが、私が特に感銘を受けた作品を順不同であげてみることにする。


まず、ファイロ・ヴァンスという探偵が活躍するS・S・ヴァンダインの『カナリヤ殺人事件』をあげよう。


警備員が入口を常時見張っている密室の中でカナリヤと呼ばれていた美人女優が殺害される。誰も侵入不可能と思われた犯行現場だが、ファイロ・ヴァンスが調べるや否や、不可能って何?と思わせるほどの真相がわかるという作品だ。


そして同じ作者の『ケンネル殺人事件』。これも真相がわかるとそんなのあり?と思わせる作品だが、後日法医学の先生に聞いてみたら、このような時間差は実際の事件、事故では起り得る現象のようだ。・・・あまりネタバレできないので、奥歯に物がはさまったような言い方になってしまうが、どうか勘弁してほしい。


S.S.ヴァンダインの作品では『グリーン家殺人事件』や『僧正殺人事件』の方が有名だけど、自分が感銘を受けた作品という意味では上記の二作をあげたい。


エラリー・クイーンという探偵が登場する作品、特に国名シリーズも名作ぞろいだけど、その中で特に衝撃を受けたのが『チャイナ・オレンジの秘密』だ。


殺された人の衣服が前後逆に着せられており、部屋の中も何もかもが逆向きになっているという不可思議な現場。なぜこんなことにと思っていたら、それらの現象はすべて必然だったという驚き。・・・探偵小説はまず魅力的な謎が呈示されないとおもしろくないし、その謎が論理的に解明されないと名作にはならないということを思い知った作品だ。


ちなみにエラリー・クイーンの国名シリーズの作者は同名のエラリー・クイーンで、シリーズの第一作、『ローマ帽子の謎』は一九二九年にアメリカで発表された。


一九三二年にはバーナビー・ロスという作家が『Xの悲劇』を初めとする四部作を発表し始め、エラリー・クイーンとバーナビー・ロスはライバル作家として対談をしたこともある。


ところが、一九四一年に発売された『Xの悲劇』の廉価版には、作品の冒頭に『読者への公開状』という前書きが付け加えられていて、その中でエラリー・クイーンとバーナビー・ロスは同じ作家の別名義であること、さらにエラリー・クイーンは個人ではなく、フレデリック・ダネイとマンフレッド・リーという従兄弟どうしの合作のペンネームであることが暴露されていて、世界中を驚かせた。


アガサ・クリスティーも著明な推理作家で、名探偵エルキュール・ポアロが登場する『アクロイド殺し』はラストのオチが有名な作品だが、私はもちろんそのオチを知らずに読んだ。読んでいるうちに妙な違和感を覚えてしょうがなかったが、それが最後の謎解きで気持ちがいいくらいに解明された。このトリックは禁じ手だと言う人もいるが、探偵小説の真骨頂がサプライズ・エンディングを楽しむことだとすれば、文句なしの名作といえるだろう。私は、同じクリスティーの『オリエント急行の殺人』よりもこの作品の方が楽しめた。


パット・マガーの変格推理小説も興味深い。それらは犯人を推理するのではなく、犯人はわかっているが、被害者や探偵が誰かわからないという一風変わった探偵小説だ。例えば『探偵を捜せ!』という作品がある。夫を殺した妻の元に四人の客が訪れ、このうちのひとりが夫が生前に招いた探偵で、犯人である妻が探偵が誰かを推理していく作品だ。


外国作品だけでなく、国内の探偵小説についても述べよう。


日本の本格的な探偵小説は江戸川乱歩に始まり、戦前戦後を通じて多数の名作が産み出されたことに異を唱える者はいないだろう。しかしその江戸川乱歩は、最初期の『二銭銅貨』や『心理試験』はおもしろかったが、怪人二十面相や少年探偵団の話はどちらかというと冒険小説風で、あまり趣味ではなかった。


横溝正史の『本陣殺人事件』は、名探偵金田一耕助が最初に登場した作品だ。


犯行現場となった旧家への道を事件の直前に尋ねた三本指の男がいて、この男が殺人犯だと容疑がかけられる。しかし真犯人は別にいて、この三本指の男が道を尋ねた理由がなるほどとうならせるものだった。作中で金田一耕助自身が「(探偵小説における)機械的トリックはおもしろくない」と言っているが、確かに、犯行のトリックそのものよりも、このような日常から生まれた謎の真相の方がおもしろいと思わせた作品だった。


横溝正史のほかの作品も読んでみたが、女子生徒が読むにはふさわしくないようないやらしい記述もあって、困ることがしばしばあった。


横溝正史に代表される日本の探偵小説は、猟奇的で扇情的な、おどろおどろしい作風のものが多かったが、仁木悦子のデビュー作の『猫は知っていた』は、それまでにない明るい作風の、しかも本格推理小説で、日本国内の推理小説ファンに衝撃を与えたという。


今後も洋の東西の素晴らしい探偵小説が発表されていくことだろう。私は常にそれを心待ちにしながら、楽しい読書生活を続けていきたい。


探偵小説の紹介はきりがないので、このあたりでやめて私自身の話に移ろう。


私、一色千代子は小さな中華料理屋を営む両親のもとで生まれた。


両親が朝から夜中まで仕事で忙しかったので、私は幼い頃から一人で読書をすることが多かった。


母は若い頃は本が好きだったということもあり、私が読書をすることを喜んでくれた。


小学生になると店の手伝いをするようになったが、かわりにおこづかいをもらって、それで自分の探偵小説が買えるようになった。


探偵小説を読みふけるうちに、自分も探偵になって、不可能犯罪の真相を解き明かしたいと熱望するようになった。


しかしもちろん、普段の生活の中で、探偵が解き明かすような謎と遭遇することはなかなかない。高校生の時には友人と学校内で見つけたいくつかの謎を解く機会があった。さらに昭和四十四年に大学に進学すると、私はミステリ研究会に入部し、いろいろな事件に遭遇した。

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