一二話 前日譚の悲劇
『ゾンビ爆弾』が起爆して平和な街が地獄に堕ちる中、五百名の邪教徒が街に突貫していく。ポークの能力にも当然制限が設けられているのだが、正教幹部のいないこの状況においては無敵と言わざるを得ない。
山の斜面を滑り降りていく邪教徒を尻目に、三人の幹部が闇夜に飛び立つ。教祖自らが先陣を切り、その背後に二人の幹部が駆けていく。モブ達の士気も鰻登りである。
山から街に下りると、俺達は散開して街人を襲い始めた。だが、俺は怯え切った街人に襲う
俺のプランは主人公をこの地獄から確実に救い出し、正教側の人間へ引き渡すことにある。何かの拍子で主人公が死ねば、邪教徒全滅の正史ルートは望めない。幹部よりも覚悟ガンギマッてる主人公がいないと、この国はアーロスの狂気に呑まれてしまう。それだけは阻止しなければならない。少なくともメタシム地方から無事に避難させれば、後はセレスティア辺りが何とかしてくれるはずだ。
『ゾンビ爆弾』で爆発的に増殖した屈強なゾンビ達は、俺達の視界の端で仲間増やしに勤しんでいた。駐屯地の崩壊音を聞いて駆けつけた街人達は真っ先に襲われており、人が襲われている場面を見た他の者達はやっと現状を理解し始める。
「うわぁぁぁあああ!!」
「逃げろぉぉぉ!!」
生きたままゾンビに食われる人々。人という生き物は案外丈夫なつくりをしており、身体の一部を食いちぎられた程度では死なない。極限の苦しみを味わおうとも、心臓が止まるまでは生きるしかないのだ。
『ゾンビ爆弾』によって生まれたゾンビ達。彼らに噛まれた人間が毒に侵されて絶命すれば、新たなゾンビが生まれる。ねずみ算の如く、青天井に増えていく。
街の灯りが揺れる。天からともなく地からともなく湧き上がる大叫喚。ゾンビだけでなく邪教徒の襲来にも気付いた人々は、更なる恐怖へ堕ちていく。
女子供は捕らえ、それ以外は全員殺す。俺の後ろに続く邪教徒達は、その洗練された動きを忠実に繰り返していた。
(対民衆用の攻撃方法としてヨアンヌとポークの『ゾンビ爆弾』が優秀すぎるな。特にポーク……コイツだけ扱う魔法が卑劣すぎる)
イケメン風美女という見た目とは打って変わって、やることなすこと全てえげつない。彼女の操るゾンビは生者そっくりで、様々な命令を忠実に実行してくれるのだ。そのため、正教兵のゾンビは『女子供を除いて人を襲う』『アーロス寺院教団に属する者を襲わない』という行為を徹底的に行っている。
人の心が無いのではないかと思ってしまうが、人の心があるからこそされて嫌なことが分かるのだろう。逃げ惑う民衆に対してこれが最も効くと知っているのだ。
かつて起こった世界大戦では『非人道的兵器を使うのは流石にやめとこうぜ』という風潮があったと言うが、残念ながら邪教徒にそのブレーキは存在しない。効率良く人を殺せるなら迷わずその手段を採る。何をしてでも宗教戦争に勝ちたいという狂気が彼らの戦法を後押ししていた。
周囲を見渡すと、教祖アーロス、ヨアンヌの姿がなかった。主人公の家に向かったんじゃなければいいが。俺は近くにいたポークをちらりと盗み見る。
「オクリー・マーキュリー。余計な動きはしないことだね」
「え……?」
「
俺の視線に気付いていたのか、彼女はそう言い残すと街で最も高い建物の方角へと向かっていった。
(よ……余計な動き? 何だ? まさかポークは俺がやろうとしていることに気付いて――ま、待て。そんなはずはない。俺はただのモブ教徒、
目の奥にある血管がドクンドクンと音を立て、視界が嫌に横揺れする感覚があった。一体、何なんだ。ヨアンヌとフアンキロだけじゃなく、ポークにも目をつけられたってのかよ……!
「驚いたよオクリー、まさかヨアンヌ様やポーク様と面識があるなんて」
「あ、あぁ。ちょっとな……」
俺は隣についてきていたスティーブに歯切れ悪く言うと、再び主人公の家へと向かって走り出す。
原作ゲームの過去編にてメタシムの地方の探索パートがあるため、俺は道を間違えず
あぁ、覚えている。この街の構造を隅々まで。主人公の故郷にどんな人々が生き、どのように暮らしていたのか。全て知っている。
原作途中の過去編において、俺達プレイヤーは破滅の運命を知りながら少年時代の主人公を操作しなければならない。メタシムの戦いに負けると知っていても何も出来ず。今仲良くしている友人や家族が全員死ぬと分かっていながら、待ち受ける襲撃を指を咥えて見ていることしかできないのだ。……滅びの運命が確定した故郷を散策している途中の、なんと虚しく悲しいことか。
無論、この過去編は制作側が邪教徒を恨む主人公に感情移入させるために仕掛けたストーリーラインだ。しかし、あろうことか邪教徒の蹂躙中も主人公が操作可能なので惨劇の様子を間近で体験することができる。そして、主人公の過去のあまりの過酷さに多くのプレイヤーは言葉を失った。俺も『そこまでやらんでも……』とドン引きしたのを覚えている。
これは有名な話だが、『幽明の求道者』の評判を聞きつけた有名実況者が全年齢版(対象年齢十五歳以上)を生配信プレイしたところ、主人公の過去編で感情移入し過ぎて心が折れてしまったという逸話があるほど。
そりゃそうよ。俺も過酷すぎて普通に寝込んだ。主人公と遊んでくれた近所のおじさんは飛んできた岩から主人公を庇って目の前で脳漿撒き散らして惨たらしく死ぬし――今考えたら多分ヨアンヌのせいじゃん――主人公君と結婚するって言ってた幼馴染は火に巻かれて真っ黒焦げになるし、主人公を床下に隠した両親は主人公が見守る中生きたまま内臓を食い散らかされちゃうし。
……全年齢版はゴア描写とエログロCGが全カットもしくは差し替えられてるからマシだけど、R18版は容赦なさ過ぎるんだよなぁ。
これはネタバレになるんだが、成長した主人公と両親が涙の再会を果たすシーンもあるぞ! ポークのおかげで死んだはずの両親と話せちまうんだ! ゾンビになってるけど元の人格と記憶が残ってるもんで、思い出話もできちまうんだ! ポーク様優しい! 人の心がねぇ鬼畜野郎が。
ちなみに、主人公の幼馴染ちゃんは何故か表情差分アリのCG――しかも天候によって私服が代わる力の入れよう――が用意されているため、メタシムの惨劇から幼馴染ちゃんを救いたいと考えたファンによってタイムリープものの二次創作が制作されたり、成長後のファンアートが制作されたりしている。
あんまりにも悲しいものだから、もし幼馴染ちゃんを見つけたなら上手く助けてあげたいところ。……どうせ救うのなら、数は多い方がいいだろう。
(この通りを抜ければ幼馴染ちゃんの家――が――――)
幼馴染ちゃんの家へと続く通りに差し掛かった瞬間、足を竦ませるような熱気と煙が舞い上がっているのに気付く。その源は数十メートル前方――まさに彼女の家のあった位置から昇っているように見えた。
唖然としながら街を走る。既に多くの街人が避難したのか、辺りには瓦礫の山と抉れた石畳のみが広がっている。そうだ、幼馴染ちゃんは鬼ごっこが得意で、逃げ足が速かったではないか。もう避難は終わっているさ。どこかに上手く隠れてる。そうじゃなきゃ――
「あ?」
――曲がり角の向こう。
見慣れた格好の焼死体があった。
その死体は、あの時ディスプレイに映っていた一枚絵と瓜二つで――
「……………………」
鼻頭が歪みそうなほど強烈な異臭が漂っている。無数の布が蝶々のように舞い、空へと飛び立っていく。
「オクリー何してる!? そんな死体なんか放っておけ!」
スティーブの声が俺の正気を取り戻す。俺の挙動不審な様子を見たスティーブは、絞り出したように「知り合いか?」と尋ねてくる。
「……いや……俺には外の世界の知り合いなんて一人もいないよ……」
スティーブは「そうだろうね」と頷く。
俺の記憶の始まりはアーロス寺院教団の拠点内だ。外の世界に友達なんているわけがない。
死体から目を逸らし、悲鳴が木霊する街を走る。火の手がゲームの時よりも激しく回っている。隠れる場所もない。こんな中を子供が生き残れるとは思えなかった。むしろ早くに死んだ方が恐怖を感じないだけマシなのかもしれない。
(確か主人公の家から数百メートルの所に下水道に繋がる穴があったはずだ。そこから逃げてもらうしかない)
主人公の家はもうすぐだ。俺は特徴的な一軒家を遥か遠くに見つけて、身体中が全力疾走の悲鳴を上げているにも関わらず走り続けた。
そして、主人公の家に入る直前。
スティーブがずっと俺の後ろについてくることをふと不審に思った。
「……スティーブ。何故ついてくる? 手分けして街人を探せばいいじゃないか」
スティーブに見られている限り、俺は原作主人公と会うことが出来ない。どうしてその子だけを見逃すんだ? と突っ込まれ、主人公を誘拐せざるを得なくなって邪教徒堕ちするのがオチだからだ。
とにかく彼は引き離さないと。いくらアーロスに反骨心を持っているからと言って、過度な信用は禁物だ。いや、スティーブは信用してしまいたい人間なのだが……彼だって俺のように、自分が死ぬより他人を殺して生き延びるような人間かもしれないからな。
じっと彼の反応を窺っていると、スティーブは真顔でこう言い放った。
「僕も質問がある。さっきからオクリーはどこに向かっているんだい? 思えばオクリーは作戦が始まってからずっと何かを探してるみたいだった。行先も決めてるみたいに見えた。僕達は外の世界を知らないはずなのに、君はやけに迷いなく道を選んでいたよね」
スティーブの発言に、頭を鈍器で殴られたかのような感覚を覚える。背筋が冷え、その感覚が腹の中へと浸透していく。肝が冷えるとはこの感覚なのだろう。急に鋭い質問をしてくるな、こいつ。
「……俺はヨアンヌと仲が良いんだ。彼女を通じてここの情報を貰ってたんだ」
「……ふ〜ん。で、どこに向かおうとしてるの?」
「外門だよ。街の人間は俺達の来た逆の方向に逃げようとするだろう? 扉を締め切って奴らを閉じ込めようとしてるんだよ」
「なるほどね」
スティーブは顎を撫でた後、当然のように言い放った。
「一人じゃ大変だろう。僕もついていくよ」
「っ……わ、分かった。助かるよ」
(ぐっ……!? こんなことしてる暇は無いのに! そうこうしてる間に火の手が回って、主人公が焼け死んでしまうかもしれない!!)
――スティーブはこの教団で初めて出来た仲間のようなものだ。心を通じさせるに値する友達のようなものでもある。
しかし、しかし――
いくら何でも、邪魔すぎる。
どうしても障害になってしまう。
(俺は……俺は……っ)
俺は今、選択を迫られている。
主人公との接触を諦め、全てを天運に任せるか――
主人公と接触し、確実に救出した上で逃亡の手助けをするか――
両の選択肢を選び取ることは不可能である。
前者の選択肢は主人公の生死すら天運任せになるということだ。そして後者に関しては、スティーブを殺してでも主人公と接触しなければならない可能性がある。
スティーブを誘うという選択肢は流石に選べない。説明の時に前世の記憶があるから――とか、原作主人公は正教側の英雄的存在になるはずだから――なんて言ってみろ。あたおか認定されて密告されて縛り上げられるのがオチだ。
そもそも、俺達はそこまで重大な世界の秘密を共有できるほどの仲じゃない。そうなるとしても、もっと先。いつかそうなってくれたら嬉しいが、決断は今ここでしなければならない。
時間は残されていない。
ゾンビや教徒共はすぐに押し寄せてくる。
(……主人公の命を運任せには出来ない。スティーブを気絶させて主人公を助けよう)
――俺は自らの手で主人公を救出することを選択した。
ここまで来て手を出さないのは馬鹿げている。スティーブには申し訳ないが、少しだけ眠っていてもらおう。
(悪いなスティーブ……)
人を気絶させる手段として、首の後ろを手刀して意識を飛ばすというやり方がある。これは常人離れした筋肉と技術があって可能な芸当だ。俺は邪教徒として育てられる中でこの技を身につけ、手刀の成功率はほとんど百パーセントと言えるほどの精度を誇っていた。
スティーブが目を離した隙に背中側に回り込む。周囲に誰もいないのを確認してから、振り上げた右手に力を込める。
そのまま、後頭部の一部をピンポイントで叩く。ストンという音がして、俺の手には完璧な感触が伝わってきた。完璧だ。
「さて、そろそろ行くか」
スティーブが崩れ落ちたのを見届けて、俺は踵を返す。
その時だった。
「何をしてる?」
「ッ――!?」
完璧に落としたはずのスティーブが首を押さえながら立ち上がり、クロスボウを構えていた。
「いや、今のは、違――」
「オクリー。僕を騙したな」
「ち、ちが、ちが……くてっ。違うんだよスティーブ! 俺を信じてくれ!」
「僕を殺そうとしたな、裏切り者め。信じてたのに」
「――っ」
巻き上がる炎の中、俺はスティーブと正対した。
彼の瞳は笑っていなかった。完全に俺を敵対者と看做していた。
(やるしかないのかよ……!)
心を殺す。世界を救うため、俺は唯一この世界で心を通わせた人間を殺す。敵対してしまった以上やるしかない。俺は何度目か分からぬ後悔に苛まれながら、渾身の力で地面を蹴り上げた。
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