17 庭師さんはとても素敵な感性をお持ちでした

 唄い終わるとアナスタシアは瞳を閉じて、深呼吸する。久しぶりに人前で唄を披露したので緊張したのだろう。


(本当に久しぶりの唄だったけれど……やっぱり良いものね。それにあの庭園そっくりなこの場所だからうたえたのかもしれない……そういえば、アーヴェント様には喜んで頂けたかしら……)


 瞳を開き、アーヴェントの表情を見るために恐る恐る視線を向ける。すると両の深紅の目にキラリと光る涙のようなものが浮かんでいるのが見えた。


(涙っ……? もしかして何かお気に召さなかったかしら……)


「アーヴェント様、目に……」


「ああ……」


 その言葉に気付いたアーヴェントがそっと両目に浮かんでいた涙を手で拭う。


「唄が終わった後に吹いた風で舞った土埃が入ってしまったんだ。驚かせてすまない」


「ああ、そうだったのですか。それなら良かったです」


(良かった。何か粗相をしたわけではなくて……)


 相当心配だったアナスタシアは両手を胸の前で合わせながらハラハラしていた。アーヴェントはその仕草に気が付いてくれたようでアナスタシアに近づき、目線を合わせる為に少し屈む。そして感謝の言葉を口にするのだった。


「素敵な唄だったよ、アナスタシア」


(ち……近いですっ……)


「お、お褒めに預かり光栄です」


(ああ……とても優しいお言葉。私の唄を誉めてくださっている。……こんな気持ち本当に久しぶりだわ……嬉しい)


 嬉しさが溢れてくる。満面の笑顔でアナスタシアはアーヴェントに笑いかける。


「私の唄を聞いてくださって、本当にありがとうございます」


「あ、ああ……こちらこそありがとう」


 どうやらこちらにも効果は絶大のようだ。ここにラストやゾルンが居なくてよかったと密かにアーヴェントは考えていた。


「いつでも此処に来て、唄をうたって構わないからな」

「はい、わかりました」


 薔薇の花々を背に、二人は笑い合うのだった。


「さて、これからどうしようか」


 アーヴェントがアナスタシアの希望を聞いてくれた。彼女は気になることがあったため声を少し張り上げて返事をする。


「あのっ、庭師さんにはお会い出来ますか?」


 この庭園を造ったという人物にアナスタシアは俄然会いたくなっていたのだ。表情にも仕草にもそんな気持ちが表れていたのだろう。アーヴェントもアナスタシアの考えていることを理解したようで、フッと笑みを浮かべる。


「ああ、ちょうど紹介しようと思っていたところだ。今はこの先の菜園の方にいると思う」


「この先には菜園もあるのですね」


「ああ……と言っていたらあちらから来てくれたようだ」


「え?」


 アーヴェントが菜園へ続く道に目を移す。アナスタシアも視線を追って同じ方に目を向ける。すると一人の男性がこちらへゆっくりと歩いてきていた。遠目でもわかるほど明るい金髪。頭の上には庭師にしては珍しい緑の羽帽子を被り、腰のあたりに巻いた革製のベルトに引っ掛けるように幾つもの革製のポケットが揺れている。よく見ると仕事で使うための道具がびっしりと詰まっていた。


「やあ、アルガン」


「これはこれはアーヴェント様じゃないですか。ボクに何か御用でしたか?」


 アルガンと呼ばれる青年風の男性は気軽な調子でアーヴェントに返事をする。近くでみると庭師という割には華奢な印象をアナスタシアは受けた。その視線に気づいたようで、アルガンがアナスタシアの方に目を向ける。


「ああ、こちらがお話で聞いていたアナスタシア様ですか。使用人達のお噂通りお美しいお方ですねぇ」


 目を軽く細めながらアルガンがにこやかに口を開く。


「あ、ありがとうございます。アルガン様」


「アルガン、で宜しいですよ。アナスタシア様」


「わかりました、アルガン」


「はい。宜しくお願い致します」


 羽帽子を軽く浮かせながらアルガンが返事をする。ラストやゾルンとはまた違った雰囲気を持った人物だった。


(この方がこの庭園を造った方なのね……)


「アナスタシアがお前に会いたいと言っていてな」


「それは光栄なお話ですね」


「あの、アルガン。一つ聞いてもいいかしら……?」


 思い切ってアナスタシアが気になっていることを聞いてみることにした。相手は相変わらず軽い調子で返事をする。


「一つといわずに、アナスタシア様が望むのであれば幾つでもお答え致しますよ」


「ありがとう。それで、この素敵な庭園はどうやって考えて造ったの?」


「ああ、この庭園のことをお聞きになりたかったのですね」


ふむ、と顎のあたりに手を当てながらアルガンは庭園をぐるりと見渡した後、口を開く。


「この庭園は『夢』をイメージして造ったのですよ」


「夢を……?」


 アナスタシアがその言葉に驚きながら聞き返す。はい―とアルガンは頷き、続く言葉を口にする。


「ボクは作品ごとにテーマを設けて造るのが好きでしてね。この自慢の庭園はとある『夢』を題材に造りました」


(そんな造り方もあるのね……でも、とても興味が沸いてくる)


「植えている花や草木はどうやって決めたの?」


「ああ、それは花や草木たちの『声』を聞いたんですよ。この薔薇もここで咲きたいと言っていましたし、草木もここでなければいけないという風にね」


「花や草木たちの声がアルガンには聞こえるの?」


「そうですよ。この子達だって生きているんですから。望みは沢山持っているんですよ。それが可愛くてボクは庭師をしているんです」


「とても素敵……アルガンはとても素晴らしい感性を持っているのね」


 アナスタシアの言葉を聞いたアルガンはそっとアーヴェントの方を見る。そして三度みたび軽い調子で笑顔を浮かべながら口を開く。


「アーヴェント様、とても素敵な方を選ばれましたね。アナスタシア様が歩けばきっと庭の花や草木もとても喜んで咲き茂ってくれるでしょう」


「ああ、俺もそう思っているよ」


 アーヴェントのその言葉に頷く代わりにアルガンは羽帽子を軽く上げる。そして再びアナスタシアの方を振り向き、声を掛ける。


「それではボクは残りの仕事を片付けてきますので、これで失礼致しますね。また、いつでもおいでください。今度は菜園の方もご案内させて頂きますね」


「ありがとう、アルガン」


 そうアナスタシアが返事をすると、アルガンは一礼した後にゆっくりと庭園の奥へと歩いていく。


「とっても素敵な庭師さんですね」


「ああ、少し口数は多いが腕も確かだ」


 ちょうどそんな会話をしていると昼食の準備が出来たとラストが呼びに来てくれた。二人は彼女に連れられて屋敷へと戻っていく。その様子を遠目でアルガンが見ていた。庭園を再び見回すと穏やかな表情を浮かべながら呟くのだった。


「おやおや、みんなとっても嬉しいことがあったんだね。我先にと咲き誇っているなんて。それに眠っていた蕾の子達も起きてしまうほどだったとは。あのお方が庭を歩くのが楽しみになってしまうね」

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