第1話 賊狩矛盾

 ここいら最大の都市である浪川市には、今夜も忌々しいほど無駄なエネルギー浪費が行われていた。

 誰もいない道の街灯、オフィスビルの窓々、電光掲示板や店頭の照明達によって無意味と思える輝きでひしめいている。

 無駄だ、無駄。全部無駄。

 マンパワーから資金力まで全てが無駄に使われていて反吐が出る。

 現状維持や微上昇に腐心する半端者共め。

 急激な飛躍が高望みでも、より良い未来を望むならば積み上げ一択だろうに。

 もっと便利に。

 もっと快適に。

 もっと安全に。

 もっと”寒さ”が遠ざかるように。

 夜に煌めく都市の灯りを見るたび、苛立ちと願望が心の中でとぐろを巻く。私が排斥されない、ありうべからざる可能性を夢見る。

 表通りしか歩かない人間は知ってはいても、解してはいないんだろうな。私やみたいなはみ出し者にとって、煌々と照らされ享受する浪費がどれほど忌々しいものかを。


「がぃッ!!」


 苦痛を示す音が、狭い空間に反響する。

 地面に引きずり倒した男に乗り、私は背中と腕を押さえつけた。

 饐えた匂いが充満する裏路地に這いつくばるのは、さぞ屈辱なことだろう。

 ジメジメとした湿気、腐ったゴミの臭気、薄暗い中にこびりついた虫の羽音、息を潜め隠れる人間の気配。

 都市の光輝はうんざりするほど夢が詰まっている。だがどれだけ表に出る輝きが美しくとも、この闇も確かな都市の一部であることに違いはない。

 ニュースにも載らない犯罪現場として、この闇以上に相応しい場所はなかなかないだろうな。

 

「最近お前らみたいな小物が増えたな。おかげで私の愚行も捗る」


 粘度をもった薄暗い冷たさの中、眼下の男へ冷えた視線を男に向けた。

 揺れる瞳や震える体、荒い息遣いに怯えの色が見て取れる。

 肩を外されそうになっただけで随分な様子だ。惰弱、脆弱、貧弱、気に入らない。

 最初に絡んできたのはそっちだろう。裏路地に誘い込んだのはそっちだろう。金を出せとナイフ片手に笑っていたのなら、簡単に折れるなんざ許されていいものか。

 お前が薄笑いを浮かべてから、私がどれだけ“寒さ”を感じたと思っている。どれだけ死の瞬間を垣間見たと思っている。

 そんなにも私の神経を苛立たせたいか。


「お前、これが初めての恫喝じゃないよな」

「…………」


 黙りこくる男に対し、私は奪ったナイフを握る右手に力が入るのを自覚する。

 男を抑える左腕に力を込めれば、下にある体がもがいた。


「がぁぃ————ッ!」

「黙るな。何も喋らない相手は何を考えているのかわからない。私は臆病だからな、そんな奴は排除してしまいたくなる」


 「わかったか?」と冷たい声で問えば、男は激しく頷いた。

 急に従順になっても裏を勘繰ってしまうが、そんなことを言い出せばキリがない。それがわかっていても、私は寒さで凍えそうになる。

 力関係は示したはず、それでも男が私を殺す手段は存在するだろう。

 恐怖が私の血液を伝って体を冷やす。冬の海に沈められれば、こんな感覚を覚えるのかもしれない。


「もう一度聞く、これが初めての恫喝じゃないだろ」

「……は、ぃ」

「だよなぁ。ああ、良かった」


 手慣れていたからそうだとは思っていたが、これで確証が得られた。

 コイツは、正真正銘クソッタレだ。弱者を痛めつける犯罪者で、狩人わたしに捕まった獲物だ。

 これで初犯だったら警告だけして見逃したかもしれないが、ぶくぶくと罪で太った肉ならば、狩人ハンターである私が仕留めない道理はない。

 まあ、私も狩人に例えるほど手際が良かったわけではないのだが。

 私としては尾行して後ろから襲いたかったのに、目をつけられて声を掛けられた。おかげで真正面からの制圧というリスクを背負う羽目になったし、その分“寒さ”が酷く丁寧に処理できなかった。

 男のこめかみからは血が流れている。確認前に傷をつけるなど、最近はなかったというのに。


「それじゃあ聞かせてくれ。お前はなんの為にこんな馬鹿なことしたんだ?」

「ぅ……ぁ……」


 不明瞭でなよなよした声。私としては沈黙と同義だ。

 捻り上げた腕をゆっくりと上げていく。


「いッ————あッ……!」

「私は忠告したはずだ。何を考えているのかちゃんと示してくれないと、私は優しくすることもできないんだ」


 この男が何かをするのではないか。そんな恐怖が寒さと共に私を襲う。

 殺してしまった方が良いのではないか。そんな誘惑が私を惑わせる。

 ギリギリと、男の肩から震えが伝わってきた。これ以上は本当に外れてしまいそうだ。

 

(冷静になれ私。こんな小物痛めつけても、得られるものなんてないぞ)


 小物から奪い取ったナイフを右手で弄び、自分自身に語りかける。

 ふう——……よし、少しはマシな気分になってきた。


「それじゃあ聞くが——」

「殺してやるッ! 俺は裏と繋がってんだ! ぶっ殺してやるからな!」


 男の叫びに、頭の芯がスーっと冷たくなった。

 私を、殺す……私に、死をもたらす。

 死が、私に見入っている。

 闇の中から死の気配が近づき、私の四肢に絡みつく。私の皮膚に触れた気配が、形を変えながら浸透していく。

 水槽に墨を垂らした時よりも早く、描く模様はより複雑に枝分かれしながら、死の気配が私の体を蹂躙していく。

 吐き出した息さえ、凍りついてしまうではないかと錯覚する“寒さ”。


「言ったな……?」


 言い終わると同時に、私はナイフを持つ右手を大きく振り上げた。寒さを振り払うように、渾身の力を込めながら。

 それが視界の端に入ったのか、小物の顔が恐怖に引き攣る。

 殺生与奪の権利を握られていることを、理解できていなかったらしい。

 私は今この瞬間でも男の仲間が背後にいるのではと恐れているのに、何故コイツはナイフを突き立てられるぐらい想定できないんだ。


「まっ……!!」


 静止を求める嘆願を、ステンレスの刃が空気を切り裂く音が遮る。

 薄明かりに煌めくナイフは男の頭から僅かに外れ、コンクリートに打ち付けられた衝撃で砕けた。

 金属音と、刃の欠片で傷ついた怯え顔。

 私の体の熱は、戻ってこない。

 ああ本当に、どれだけ私の神経を苛立たせれば気が済むんだ。


「寒い……寒い寒いクソ寒い。ふざけるのも大概にしろよ……!」


 私の口から、17歳の女子にあるまじきドスの効いた声が発せられた。

 真っ青の顔に脂汗を光らせるコイツを、今すぐにでも二度と喋れなくしたい欲求に襲われる。

 だが出来ない。『隠蔽できない殺人はしない』というのが、私の生活を保証するとの取り決めだからだ。

 殺人を犯しそれが表に出れば、私にある自由と権利が失われる。そんなのはごめんだ。

 代理人にも最低限の敬意として、面倒を任せることもできない。

 ああならば、コイツの恐怖を引き摺り出してやるしかないな。心を叩き折って、二度とふざけたことをできないように。

 ゆるりと、私の思考がいく。

 五感と思索。泡のような要素が、不規則な傾向ひかり可能性ゆらぎに移ろい、《男》を模る。

 もっと沈もう不快でも潜ろう。他者の恐れなど知りたくもないが、知らなければ見えないものもあるものだ。

 さあ、お前の“寒さ”は何処にある?


「おい、お前随分楽器をやってるみたいだな。主なのはギター。ついでにドラムか?」


 男の手に触れると、手のひらのタコと硬くなった指先、厚くなった爪がそれを伝えてくれる。

 それに爪の間から砂粒のような感触。古臭い有機溶剤の匂い。加えて慣れない作業によるまめ。

 

「最近壁修理をやったようだな。ペンキまでするとは真面目なもんだ」


 腕の下で、ピクリと体が動いた。当たりだ。

 肉体労働の痕もないのに、楽器の痕跡だけが残る。とはいえ、こんな奴が好きに楽器を弾くには、誰かに場所を提供してもらわなくちゃならない。ケースを持つ人間のタコがないから、ギター本体も持っていないだろう。

 何日着ているかもわからない服に染みついた甘いアルコール飲料……カクテルか。零したのだろうが、飲んではいない。頭部付近からは感じられないからだ。


「とはいえ、お前が真面目に働くとは思えない。なら何の為にそんなことをしたのか」


 小物の耳に顔を近づける。

 髪から皮脂の匂いを強く感じる。金を奪っても身綺麗にすることには使わなかったらしい。

 楽器と場所を提供できて、カクテルを提供する。まあ、人気のないライブハウスってところか。


「……随分恩義がある奴がいるんだなぁ」


 極寒の中に放り出されたような震えと、じっとりとした汗の匂いが私を五感を刺激する。

 寒いだろ? それが恐怖。

 お前が私に与えた、忌々しい不条理の温度だ。


「そいつ、お前がこんなことをしてるの知っているのか?」


 開き切った瞳孔、呆れるほど大きな拍動、口から漏れる意味のない音。

 私の寒さが、男にまで侵食を広げる。

 最後に何を言えば、お前はもっと凍えるだろう。

 そうだな、これか?


「お前じゃ私の埋め合わせはできない。なら、そいつに払ってもらおうか」

「そ、それはっ!」


 コイツみたいに半端に下へと落ちた人間ほど、大切な人を裏切るまいとする。

 善人にも悪人にも成りきれない、中途半端な二面性で酔っている。

 自分のことを棚に上げて憎むくせに、ふとした瞬間に罪悪感に苛まれる。

 だがコイツは自分だけの為に凍えなかった。他者の為に“寒さ”を感じられるなんて、コイツはどれだけ幸せなんだろう。

 私を見ろ。自分だけが大切なんて、最高に惨めじゃないか。

  

「……ふう」

 

 思考の海から這い上がる。男に関するゴミみたいな情報は、意識して切り刻み捨てた。

 私が背中から退いても、小物は立ち上がらない。地面に這いつくばったまま、意味のない思考を無駄に巡らせているのだろう。

 寒さから逃るなんてこと、コイツには簡単なことだろうに。

 罪を償い謝罪をする。それだけで寒さから解放されるなんて、心の底から羨ましい。


「自分を誇れるなら、これからも続ければいいさ。だがそうしている間は、お前はクソッタレのままだ」


 背を向けて歩き出すと、背後から啜り泣きが聞こえてくる。

 私の口から、自嘲の笑みがこぼれた。

 何がお前はクソッタレのままだ、だ。他ならぬ私自身が最高級にクソッタレだというのに。

 

「ああ、寒い」


 フラフラを歩を進めながら、そんな言葉が私の口からこぼれる。

 地面の感覚が、薄暗い雰囲気が、反響する音が。

 私に死を運ぶのではないかと不安を煽る。

 死が、私を凝視し続けているのだ。ねっとりと、水飴のような重さを持って。

 “寒さ”なんてもう感じたくない。いい加減、私を自由にしてくれよ……。


「私……何でこんなこと続けてんだろうなぁ」


 死に怯える私が不良狩りをしているなど、矛盾が行き過ぎて笑い話にもなっていない。

 心では死にたくないと思いながら、やっているのは自殺願望者そのもの。これが自分の行動でなければ、盛大に笑ってやるところだ。

 復讐に来るかもしれない影。

 ここらにいる闇稼業の人間。

 カモと見れば襲いかかる奴。

 ああクソ、ほんと何でこんなとこまで来て寒さに凍えているんだ?

 これじゃあ私も愚か者そのものじゃないか。

 そんなことを悶々と考えつつ、薄暗闇から感じる“死”に怯えて歩く。

 社会から見捨てられ、救いの手は黒く汚れ、いずれ黒々とした宿痾に呑み込まれる。

 饐えた匂いの中に聖者は生き残れない。願ったって神の加護は届かないのだから。

 誰よりも死を恐れ凍える私に、ここは現実を見せやがってくれる。


 だから想像すらしていなかった。温かい加護なんてものがあるんて信じられなかった。

 ああだが、信じるしかなくなった。

 ……裏路地には数少ない濁った光の下で、薄汚れた天使に会ったのだから。

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