真実はいつもひとつ

 

 族長殿は家に帰ってきても大人しいままだった。

 僕の髪の毛を無言で引っ張てきた鬼の所業とは思えぬほど、静かであった。


 僕と二人きりの殺気も眼光の鋭さも消えて、ただ、どこか遠くを見ているような目。


 借りてきた猫でももうちょっと自分を出せてる。


 僕は背中から降ろしたリアの様子を確認しつつ、目配せで涼紀に「お前は後だ」と言っておく。

 こいつが居間にいる間は、彼女が素を出せないことぐらい猿でもわかる。


 うっきーhoahoahoahoaaaa!!


 が、しかし。ガールの前で猿真似をしてもあまり効果はなかった。

 視線は壁の模様のひとつにでも固定されたみたいに動かず、目の奥にピントが合ってない。

 僕をただ見てるふりをしているだけだ。



「……そうですね」



 洗練された無表情、全自動応答機能付きうんうんお嬢さんじゃないか。




 そっか、オーケーオーケー。

 ガールのことはまだよく分からないってだけが分かった。


 実験には失敗が付き物らしいからな。


 僕は意識して即座に真顔になる。

 淳紀をそろそろ待たせるのも悪いしな。



「さて、今から貴方を一人の大人だと思って話します。ここからは一切の悪ふざけはなしだ。いいね?」




 僕の言葉に、リアは一瞬だけ目を瞬かせた。

 それから、口を開くでもなく、喉を鳴らすでもなく。


 ただ小さく本当に小さく、うなずいた。


「残念ながら、君の処遇を決めるのは僕じゃない。僕の仲間たちだ」


 動作そのものは穏やかだったのに、肩に力が入ってるのが分かった。

 ぎこちなく張った背筋は、座っているというより構えていた。


 彼女の膝の上に置かれた手は固く握られ、親指が指の腹を押しつぶすように沈んでいた。


「どこまで知ってる?魔法でもなんでもいい。僕のことでも構わない。僕を殺した後の帰還方法、中央政府の役人から言われたこと。なんでもいい些細なことは全部言え」



 見た目だけなら落ち着いて見える。けれど、そこに流れている空気は、明らかに緊張していた。



 しばらく、何の返事もなかった。


 けれど、それは沈黙というより、言葉を探している時間だった。

 まぁ、待つのもアレだしな。



「彼の立場を言おう。君を消したがってる。君のことがハッキリ言って怖いんだ」



 彼女の喉が、かすかに動いた。ごくん、と飲み込むような音がして、唇がわずかに開く。

 でも、そこから先が出てこない。



「彼が安心できる説得材料と証拠。それさえあれば良い」



 目は真っ直ぐ僕を見ていた。


 でも、それは見ているというより、逃げ場を必死にうかかがっているそれ。



 座っているのに、背中が逃げ腰で、肩は不自然に硬直している。




「……っ」


 かすかな息遣い。声にもならない叫びが彼女の喉の奥から漏れた。その一音に、どれだけの勇気が詰まっていたか、痛いほど分かる。


 彼女は呼吸を整えようとする。でも、肺が満たされる前に、また喉が詰まってしまう。



「……わた、し……」



 ようやく出てきた言葉は、そこまでだった。

 そのあとに続くはずの言葉を、自分の中の何かが許さないとでも言うように、口がぴたりと閉じる。


 言葉にしようとした勇気も、何かを乗り越えようとした気配も、確かにあった。

 まぁ、こんなもんだよな。事実を伝えただけなのに僕が圧をかけすぎた。



「君が何をしても、何を言っても、責任を被るのは僕さ。黙ってても、それが僕の答えになる。言えないならそのままでも良いさ」



 張り詰めていた彼女の肩が、一度だけ小さく上下する。

 意識せずに、息が抜けたのだろう。深くはない。



 顔を伏せるでもなく、視線を逸らすでもなく。ただ、僕を見続けていた。


 でも、その見つめ方が少しだけ変わっていた。さっきまでは答えを探す目だった。

 今は見失わないようにしている。


 声は出ない。でも、喉の奥が少し動く。


 言葉ではなく、声にならない反応だけが、そこにある。


 指先はまだ膝の上で組まれたまま。親指の押し込みが緩んでいた。

 ほんの少しだけ、力が抜けたみたいで良かった。



「……分からない。分からないの、もうどうして来たのかも。帰る方法も」


 小さな、確かな意思表示だった。泣き声も怒気もなかった。

 言わなくちゃいけない気がしたから、言葉にしただけって感じもあるけど。

 今はこれが及第点だな。


 そっと、手を伸ばす。彼女は少しだけ瞼を伏せたけれど、逃げもしなかった。

 その髪を、何度か優しく撫でた。


 撫でるたびに、彼女の肩の力がほんのわずかずつ抜けていくのが分かる。

 僕の指先にかかる髪の感触よりも、そうして伝わってくる変化のほうが、よほど確かなものだ。

 頭蓋の温もりを感じる。こんなにも生きたがってるのだから。もう理由は要らない。


 彼女が目をかっぴらいて何事かと思っていたら。気付かず僕は笑みを浮かべてしまったようだ。


「ありがとう。助かったよ……よく喋ったな」


 おっとおっと。

 それだけ言って、僕は手を離した。


 彼女は何も言わなかったけど、僕に伸ばして空を切る手が寂しそうに見えてしまった。




「淳紀」


 僕は待たせていた来客を呼び込む。

 リビングの扉が開く。軽くノックの音がした後、ゆっくりと足音が近づいてくる。


「や、どもども。やっと出番か、オレ。おまたー」


 陽気な声に僕は反射的に吹いた。逆にリアの体を硬直させたが誤差だ誤差。


「それで……彼女さんとの話は終わった?」


 軽薄さに騙されると痛い目を見る。彼はちゃんと仕事の顔を隠してる男だ。


 それを知ってるからこそ、僕はあえて頷くだけで、すぐさま説明を始めなかった。



「淳紀、この子は何にも知らない。典型的な思春期を拗らせてる子供だよ。大人に良いように扱われてるだけのさ」



「あっそう。じゃ、……この子は生かしてもデメリットの方が多くないか?」



 リアの体がびくりと震える。これから殺されると思ってんだろう。

 まあ落ち着き給えよ。

 

「その通りだ」


「じゃあ、殺すのか?」


 淳紀の返答は淡々としていた。事実の受け止め方に慣れている人間のそれである。


「僕が許すわけないだろ……この子を処分する理由は、今のところ無い。それにやった後の後始末もできるわけもない。そうだろ?」

 

 淳紀は眉を上げて、視線だけで僕に問いを返した。俺は知らんしって言ってやがる。


「処分って言うなよ。物騒だろぉ?悠人さん怖いよ」


「事実を言っただけなんだけど」


「まあ……事実、事実はそうだ。つまり、俺も八方塞がり。詰みだな」


 しばらく沈黙が落ちる。

 その間に淳紀は、ガールを品定めするように見た。

 彼女の目が怯えていないことに、僕は少しだけ安心する。


 ここで騒がれたら面倒になるから自制してくれて助かる。


「さて、なら優先順位を整理しようか。次の話に移ろう」


 淳紀がピンと指を立てて、注目するように言い張る。


「この子の身元保護。後は京と浩介に連絡を取る。確実に俺達の助けがいる状況なんだ。ここの住所ぐらいは共有するぜ?」


 淳紀が手帳を取り出しながら、当然のように進行を組み立てていく。

 

「……分かったよ。おい、族長」


 彼女の気配が揺れた。息を止めていたことに、ようやく自分で気づいたように、小さく息を吸う音が聞こえた。


「え……なに?」


「自己紹介しなさいって。初めましてならするもんだよ?」


 僕はリアの方に一度だけ振り返る。彼女は目を丸くしたまま僕を見ていた。

 飛び火してくると思わんかったんだろう。促された顔はほんのわずかに口を開いていた。


「……リア、です。リア・ウァシュリー。あの……」


 そこまで言って、ほんの一瞬だけ僕の顔をちらりと見る。

 ぜってえ、助けてやらん。


「ほら、どこから来たのかこのナイスチャバネゴキブリお兄さんに言ってあげなさい」


「おい。悠人、今なんて言った?」


 さぁ、知らないなぁ。茶化してやったらリアは、ゆっくりと前を向き直していた。


「……わたしは、ネル王立中央騎士高等学校の特待生でした。出身は、オックスフェンドの都市部です。そこから……派遣というか、推薦というか……そういう形で。

 ゆ、勇者っていう、最上級騎士の称号を目指して、ここに来ました。

 だから……いまはもう、ただのリア、です」


 言い終えた直後、リアの口が小さく結ばれる。どこか覚悟を決めたような、それでいて戸惑いの余韻を含んだ沈黙だった。


 淳紀がぱちんと軽く手を叩くと、その音に彼女の肩がぴくんと跳ねた。

 バカは空気を読まないな。仕方ない僕もこのビックウェーブに乗ろうじゃないか。


 リアは一瞬きょとんとして、僕らの方を見た。何が起きたのか分からない、とでも言うような目だった。


 僕も無言で拍手喝さいを浴びせてやると、淳紀も負けじゴリラのごとく手を合わせ続ける。


「おお、頑張ったじゃん。よく言えました」


 淳紀が手を合わせ続けながらエールを送る。

 彼女の目がぱちぱちと瞬きを繰り返し、次の瞬間、耳がほんのり赤くなっていくのが分かった。


「……な、なんで拍手してるんですか……」


 声はかすれて小さかったけれど、確かに、ほんの少しだけ照れていた。

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