9 六男
「僕たちがまだ親しくなれていないのは事実だ。彼の心が開かれるのを僕は待っている。ただ、仲が悪いわけではない」
「そう、なのですか?」
ガブリエルに対する魔王の口ぶりを思い返す。 「いけ好かぬ」だの「いまいましい」だの、散々な言い方をしていたはずだ。
「ループレヒト様は、なぜガブリエル様に心を開かないのでしょうか?」
「きっと、僕の身分が気に入らないのさ」
「身分が?」
「ああ、なんて言ったって僕は、魔族の憎むべき王族だからね」
「そんなはずは……。あの方は以前、私におっしゃっていたのです。魔力を待つか持たないかだけで、人間はみな変わらないと」
――多くの人間たちは、平民だ従属だと言って自分たちを区別したがる。特殊な魔力を持つ私のような人間を見れば、『魔族』だなど呼んで囃し立てる。しかし、私たちはなにが違う。
彼ははっきりとそう言ったはずだった。
気が合わないというならまだしも、身分の違いによって相手を邪険にするはずがない。
「僕もまったく同意見だ。しかしそもそも、人間同士を分断させたのが他でもない我ら王族だからね」
表情を変えずに話す第六王子を、ジャンヌはただ見返す。
「王族は偉い、貴族はその次に偉い。血を流さなければ発動しない程に弱い魔力を持つ人間は平民、魔力を持たない者は従属……。僕たちの初代の当主が独断でそのように決め、王座を設けてそこに着いた。刃向かう者たちは消された」
「魔族は……?」
「最後まで王族に刃向かおうとした一族を魔族とした。大昔には戦も絶えなかった。しかしお互いに力は拮抗していて、勝負はつかなかった。そのうちにただ睨み合いとなり……、そして魔族の一族は今、力を失いつつある」
魔王とされた一族の末裔、ループレヒトは、体力を失いつつある。世継ぎも無い。
ガブリエルの説く通り、王族が息の根を止めるまでもなく、魔族はそのうちに――。
「もし王族側が追いやられていたら、僕たちのほうが魔族と呼ばれていたかもね」
彼はにこやかに、そんなことを言うのだった。
ありがとうございます、と繰り返し、少女は泣き続ける。土埃で汚れた頬には涙の痕が幾筋も伝っていた。
彼女が腕に抱きしめている少年は、治療が済むや否や寝息を立て始め寝てしまった。年端のいかぬ二人は従属で、血を分けた姉弟だという。急にぐったりしてしまった弟を抱えて途方に暮れていたところをジャンヌたちが助けた。
「水をよく飲ませてやりなさい。食べ物は十分にもらえているのか?」
ガブリエルが訊くと、姉は首を横に振る。彼は食糧が入った包みを出して、小さな手に持たせてやった。
「ありがとうございます」
彼女はまた目から涙をこぼし一人ごちた。
「あっちでも、あなたたちみたいな良い人がいればいいんだけどな……」
「あっち?」
ジャンヌとアイリィは顔を見合わせる。
「もしかしてあなたたち、新しい主人のところへ行くのかしら?」
ジャンヌ自身も従属商の競売にかけられ、買われたことがある。そのとき、家族のように同じ時を過ごした従属の娘、ベランジェ―ルと離れ離れになってしまった。
この姉弟も同じ境遇に立たされるかもしれない。そう思うと不憫で仕方がなかった。
「まだ、決まってないけど……、みんな噂してる」
彼女は濡れた目をぎょろぎょろと揺らす。
「近いうちに、あたしたちは高い値段で売られるんだ。船にぎゅうぎゅうに詰められて、遠い国に連れてかれる。きっと帰ってこれない。……
少女は弟にかぶさるようにして嗚咽を漏らした。
「……船で遠い国に?」
彼女の肩を撫でてやりながら、それはまるで、従属の貿易だと思う。
にわかには信じがたいその話はきっと、彼らのご主人様の脅し文句に違いない。「血を抜き、骨抜き、魂を抜き。魔王は食べるよ、人間を」。大人の言うことを聞かない子供を脅すためのあの歌のような。
「従属といえど、人間よ。物のように船に乗せられて運ばれるなんて、そんなこと」
ガブリエルも「有り得ないよ」と笑って一蹴するだろう。ジャンヌはそう考えた。しかし彼は神妙な面持ちとなり、姉弟のもとから立ち去ってしまった。
ジャンヌたちも後に着いていく。
「……ガブリエル様? どうなさいました」
ぼろぼろの古着を纏う背中に尋ねるが、彼は答えない。
「ガブリエル様?」
「今のお話、真なのですね」
赤毛の従者が口を挟む。緑の双眸には深い影が落ちていた。
「まさか、そんな……」
ジャンヌはアイリィとガブリエルを見比べた。
「従属の売買で潤う隣国を模して、我が国も貿易を始める、という噂があります。ガブリエル様、お答えくださいますか」
今日は風も少ないのに、彼女のおさげが蛇のように揺れていた。静電気のような光が長い毛を伝い毛先で弾ける。
彼女が胸の内に怒りを秘めていることは、ジャンヌには手に取るように分かった。
アイリィはガブリエルに詰め寄る。
しかし彼は首を横に振るばかり。
「六男に何か言われて思いとどまる君主がいると思うかい」
力なくそう返すのが精いっぱい、という様子だった。
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