第四章 海の向こうの遠い国

1 家族


「信じられない!」


 森に囲まれた湖に、ループレヒトの無邪気な声が響き渡った。


 ジャンヌは従者であるアイリィの手を借りて階段を下りていく。

 見下ろす水面は夜空と同じく黒い。街で助け、船で連れて帰って来たドラゴンが暗闇の中で泳いでいるはず。しかし爪先のような形の月の光だけではその姿を確認することができない。


「あれは、エーミールの家族だ!」


 「魔王」と呼ばれ忌み嫌われている黒髪の青年は少年のように駆ける。そしてそのまま躊躇せず湖の中に侵入してしまった。ジャンヌやアイリィが止める間もなく。

 ループレヒトが水の中に脚を突っ込んですぐ、彼の身体が大きく前へ倒れたのがわかった。


「ああっ!」


 短い悲鳴を上げ、ジャンヌは口を手で覆う。

 流木に気付かず脚が当たってしまったのではと心配になったが、彼はすぐに体勢を直し、闇の中をざぶざぶと進んでいく。そして、思い出す。――夫は、異様に夜目が利くのだ。月さえ出ていれば、流木どころか木の葉すら避けることができる。


 ジャンヌは、湖の中に静かな稲妻が走っていくのをはっきりと目視した。ループレヒトが魔力を放ったらしい。以前もそうして、金色のドラゴンのエーミールを呼び出していた。


「この腹の模様を見てみろ! エーミールにそっくりだぞ!」


 ループレヒトは、新しくやってきた小柄なドラゴンの元へ無事たどり着いたようだ。風とさざ波の音に混じって、グルグルと聞こえてくる。ドラゴンが喉を鳴らす音だ。


「旦那様! 早くお戻りください。お風邪を召しますよ」


 喪服姿のアイリィが大声で忠告するが、はまるで耳を貸さない。


「アイリィ、おまえも知っているだろう。同じ血統を持つドラゴンは身体の模様が似通う。エーミールとこのドラゴンの模様はそっくりだ!」


 遠くから捲し立てられた赤毛の従者は、「そう言われましても」と小声で呆れている。

 ジャンヌも隣で苦笑するしかなかった。夜空より暗い湖の中、ループレヒトもドラゴンもただの影と化し、湖のどのあたりで何をしているのか、さっぱりわからない。


 そこへザブンと大きく波の音が立った。


「エーミール! おまえの家族だ!」


 ループレヒトの親友であり、湖の番人であるドラゴンが現れたらしい。


「オオオオーッ!」

「クウッ! ウウウウウッ!」


 二匹のドラゴンが鳴き合う。翼が風を起こす音が立った。

 流れてくる風がジャンヌの頬を撫でるのと同じタイミングで、空に巨大な影が昇る。

 エーミールが飛び立ったのだ。

 しかし目を凝らしてよく見て見れば、嘴に何かくわえている。翼を切断された子ドラゴンの首をつかんでいるらしい。


「いけない! エーミールがあのドラゴンを食べようとしてる!」


 顔を青ざめさせたジャンヌの横で、従者がため息をついた。


「ジャンヌ様。ドラゴンはドラゴンを食べません。一緒に夜間飛行を楽しんでいるのですわ」

「そ、そうなの……?」


 不安そうなジャンヌを安心させるかのように、二頭は鳴き声を星空に響かせた。ドラゴンたちは一つの影となり、夜空を軽やかに滑空していく。

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