9 血を抜き、骨抜き、魂を抜き。魔王は食べるよ、人間を


 ループレヒト。


 彼の名前を知らぬ者は恐らくいない。

 国と国の境にある深い森に暮らすという、魔族のおさだ。


「……」


 焼き菓子をじっと見下ろして考え込むジャンヌの横で、アイリィも自分の分を取り出した。


「お嬢さん。あなたの能力があれば、きっと気に入られると思います。……ですが」


 ジャンヌの顔を覗き込んで、アイリィは悪戯っぽく笑う。


「もし気に入られなければ、『血を抜き、骨抜き、魂を抜き。魔王は食べるよ、人間を』……ですけどね」


 人間の子どもを脅すためのわらべ歌を、彼女は楽しそうに口遊くちずさむ。


 単純なその詩の通り、魔王は人間を食べる。たびたび子どもが行方不明になるのは、やつの仕業だ。この世の者とは思えぬほど恐ろしい魔力を持ち、顔は悪魔よりも醜いという。


 この船に乗る従者たちは魔王の手下で、この船はやつの住処である城へ向かっている。

 川面に重い石が投げ込まれたように、ジャンヌの胸がどくんと波打つ。従属の様子に、アイリィはさらに口角を上げた。


「引き返すなら今のうちですよ。いかがなさいます? 伸るか反るかで魔族にびてみるか、もしくは人間になぐさみ物にされた後、ごみのように捨てられ野垂のたれ死ぬか」


 アイリィの質問に、心の臓が再び鳴った。

 後者を選択するということは、自ら死を選ぶということに等しい。


「さっき、能力って言ってなかったかい。なんのことだい」


 少ない歯でむしゃむしゃと軽食を食べていたデボラが顔を上げる。


「ええ。先ほどこちらのお嬢さんを助けようとしたとき、彼女の魔力を見せつけられました。素晴らしいものでしたよ。凶徒を道の端まで吹き飛ばすほどの強さでした。流血もさせていなかったようにお見受けしましたが」

「だってジャンヌ、おまえはただの従属なんだろう? どうしてまた……」


 デボラの垂れたまぶたが大きく持ち上げられた。


 彼女が驚くのも無理は無い。

 数滴の流血で魔力を扱えるようになる平民と違い、従属は大量出血したとしても一切の魔力を出すことができない。

 だからこそ、従属はしいたげられている。人間として扱われない。

 それなのに、なぜ。


「お嬢さん。あなた、なにか事情があって従属になったのですね? 出自ではなく。なぜ、魔力を持ちながら従属として扱われているのです? それに、魔力がありながらもあの男に抵抗しなかった理由は?」

「わ……、私自身が、魔力を出せるわけではありませんから」

「つまり……?」


 アイリィとデボラが、ジャンヌの顔を覗き込む。


「……あれは、我が一族に伝わる能力でした。他者が使う魔力がこの目にはっきりと見えるのです」

「見える?」

「ええ、誰かが魔力を使おうとすると、その者の身体が発光する様子がまず見えます。夏の日差しのような、遠くの雷雲のような光です」


 子どものときは、それが特別なことだとは知らなかった。しかし一族の血を引く者以外には、決して見ることができない光なのだという。


「その光、つまり魔力が何に姿を変え、どこに向かって放たれるかも、はっきりと見えます。そして、何倍にも大きくして相手に返すことができます。……昼間、道の端であの暴漢に、風を喰らわされそうになりました。私にはそれが、光の球に見えました。それを自分の手中で倍増させ、はね返したのです」


 ジャンヌは一気に喋った。


「……ヴンサン家をご存じでしょうか」


 「ヴンサン家」と聞いて、アイリィやデボラ、そばで大人しくしていた従者たちも息を呑み、互いに顔を見合わせる。


「ご存じも、なにも……」


 ジャンヌがなにを言い出すのかを察すると、アイリィたちは二の句を告げなくなってしまった。

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