死にたがり従属姫の救済

ばやし せいず

第一章 ヴンサン家の生き残り

1 ジャンヌ

※「残酷描写」、「暴力描写」、「性描写」があります。








――血を抜き、骨抜き、魂を抜き。魔王は食べるよ、人間を……。




 幼い頃、ジャンヌもよく聞かされていた歌だ。

 大人の言うことを聞かない子どもは魔王に連れ去られ、頭ごと食べられてしまう。

 ただの脅し文句、というわけではなかった。

 誰も近寄らぬ深い森の奥には湖があり、孤城が建っている。そこに恐ろしい魔力を持った一族が暮らしているらしい。それは国民周知の事実だった。

 彼らによると魔王は残忍で顔は恐ろしく、一目見ただけで失神してしまうのだとか……。

 


 そのが今、ジャンヌの目の前にいた。太い指先が、品定めするかのように自分の鎖骨に触れている。細い骨のすぐ下には、四桁の数字の刻印が焼き付けられていた。数年前、両親によって無理やり押された焼きごてあとだ。


 ジャンヌは息を吐き、目を閉じる。

 魔王に食べられる覚悟を決めたわけではない。彼は人間など食べない。

 



 魔王は――ループレヒトは――、唇でなぞるように、数字にそっと口づけを贈る。民衆から「魔王」と呼ばれ恐れられているとは思えぬほどの優しいキスだった。

 心許ない暗闇の中、魔力に反応した焼き鏝の痕が淡く発光する。


「ジャンヌ……」


 ささやきとともに吐かれた熱い息に首筋をくすぐられ、寝台の上で赤裸が震えた。

 この痛々しい瘢痕はんこんごと愛されているのだと実感すると、身体の奥が切なくうずく。


 彼が欲しいと強く思った。

 もっと自分を愛してほしい。壊れるほどに抱きしめてほしい。冬の夜空のように美しい黒い目の中にとらわれていたい――。


 願望を口にしたことは一度もない。

 けれど、彼は今夜もジャンヌの想いに応えてくれるのだった。





 甘い時間の後、ループレヒトは安らかな寝息を立てて眠ってしまった。

 毎度のことだが、寂しくはある。しかし、夫の体力のおとろえを思うと致し方なかった。

 筋肉がつき、よく引き締まっているように見える身体だが、中身は驚くほどびついてしまっているのだと聞かされている。


 レースの寝間着を羽織ったジャンヌは彼の黒い髪をで、唇にそっとキスを贈る。

 燭台しょくだいのほのかな灯りに照らされた美しくもどこかあどけない寝顔をもうしばらく眺めていたい。そう思うのだが、ジャンヌの体力もすでにほとんど残っていなかった。

 まだ火照ほてりが引かない自分の身体を夫の隣に横たわらせる。


「ジャンヌ……」


 むにゃむにゃと寝言を言う彼が愛おしくて、くすっと笑ってしまう。

 目を細めると、髪と同じ茶色の瞳が濡れていくのを感じた。


――申し訳ありません。旦那様。


 胸の内で謝ると、するすると涙が溢れてきてしまった。


――あなたのジャンヌは、嘘つきなのです。


 伴侶の身体の向こうには大きな窓があり、遠い異国の地から運ばせた硝子がらすがはめられていた。

 今夜は月も雲も無く、窓からは満天の星が仰げるはず。

 しかし、涙をにじませるジャンヌには目にはもはや、何もかも飲み込んでしまいそうな「黒」にしか映っていないのだった。




 夫であるループレヒトから寵愛を受けながらも、ジャンヌは彼に殺されたかった。


 伴侶への愛と同じくらい強く、自分の死を願っていた――。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る