第2話 友人たちの忠告



『最近、殿下は浮気は男の華、だと話していたとか』


 これは、アイズの護衛として学院に通っている、オーキスの妹、エランの言葉だった。レッパー子爵家できょうだいである二人は、仲がよくいろいろな殿下の秘密をリオラにそっと教えてくれる秘密を共有する仲間だ。


『ティアナ様と仲がよろしいようですわ。リオラ、あなた、二ヶ月も王都を離れて大丈夫?』


 これは炎の女神神殿の聖女レイラの助言だった。

 属性と同じく苛烈な性格で、大胆かつ歯に衣着せぬものいいをする。


 彼女の言葉には、遠慮がない。

 殿下と婚約し、恋人になってもう六年になるが、レイラにこう言われたらずしっと心の中が重たくなる。

 それはたぶん、不安だろうとリオラは感じた。


『これはお父様から聞きましたが、殿下は第二夫人の候補を求めていらっしゃるとか。エンバス侯爵家のティアナ様が有力だという話ですよ』


 学園一の情報通。

 父親に外務大臣を持つアルジェネス伯爵令嬢モリアもこんな報告をしてくれた。


 みんな、他人の不安をあおるような発言ばかりで余計なおせわだ、と思うのだが、心のどこかに一抹の不安がよぎる。

 こんな感じで二ヶ月の遠征中、リオラの心が休まることはなかった。


 最大の問題は、かならず毎朝、遠隔通信魔法でおはようの連絡をくれる彼、アイズの笑顔がどこまでもまぶしいことだ。


『おはよう! リオラは今日もうつくしいね。魔獣討伐は王命だから仕方ないけれど‥‥‥。もう少し時間が経てば、この問題も解決すると思う。いまは無理せず、無事にもどってきて、いつものように健やかな笑顔を見せて欲しい』

「アイズ。こちらは大丈夫です。魔獣討伐といっても、中級モンスターが大量に発生しただけで――」

『本当かい? 聞いた話ではモンスター・パレード‥‥‥ひとつの都市を滅ぼすほどの規模だといわれているが』


 どうやらこちらからの報告が、相当歪んだかたちで王宮に伝わっているようだ。

 どこの誰がそんなことを――と、リオラは彼に見えないようにため息をつく。


 王国には他の神々の神殿が多い。聖女や勇者なども数多くいる。

 今回はたまたまリオラが該当しただけで、魔獣討伐に任ぜられるのは聖職者の常だ。


「いえ、モンスター・パレードというほどの規模ではありませんから。すでに討伐はほぼ終わっています。来週には王都に戻れるかと思います」

『それならよかった。君の元気な顔をいつもそばで見ていたいんだ』


 アイズは満円の笑みを浮かべた。「ありがとう、あなた」リオラは二人だけでいる時にしか使わない呼び方をする。

 画面の向こうで彼の目が、一瞬、するどいものになったのを、リオラは見逃さなかった。



 ※



 リオラの脳内で記憶の再生が終わった。

 じっとり、と恨みがましい目つきでにらまれたアイズは「をを?」と腰砕けになる。


 いやいやちょっとまって! 不倫は男の華だ、なんて話題を最近口にしてなかった? そんな噂が耳に入っているんですけど、と思いつつ、リオラは婚約者であるアイズ・レグナントの顔を仰ぎ見た。


 長身痩躯。

 今年、十八歳になり成人を迎えようとしているアイズ王子は、少年から青年へと変わろうとしていた。


 絹のようにすきとおった金髪、湖の底のようにあざやかな苔色の瞳。

 彼の目はすこしばかり垂れているが、愛嬌があり、無口な時は氷のように冷めたい雰囲気なのに、一度話しだすと無意識に人が集まる魅力を持っている。


 彼は背中に第二夫人候補だと噂されている少女を大事そうに守っていた。


「証拠がある。どうしてこんなことをした」

「だから、何の証拠ですか!」


 改めて、みずからの無実をリオラは婚約者に問う。

 アイズは自身満々にリオラの浮気の証拠とされることがらを列挙してみせた。


「浮気の証拠だ。近衛騎士団の諜報部が報告してきた。父上も知っている。おまえは遠征先の戦地で、従者である神殿騎士と仲睦まじく夜を過ごしたそうじゃないか! それも一度だけではなく、幾度もあった! と報告には挙がっている!」

「殿下、それは夜間の作戦行動を共にしただけです!」

「何っ‥‥‥?」


 アイズはなぜか後ろにいる少女に「どういうことだ?」と事情の確認をする。

 彼に信頼されていないのだな、婚約者としてもう六年も経つというのに。と思うと、リオラは無性に悲しくなって落胆した。


「殿下に申し上げます。人との戦争ならいざ知らず、近衛兵団はもとより、王国騎士は対魔獣戦においては、その殆どが無力です」

「いきなり何を言い出すんだ、おまえは! 我が王室が誇る兵士たちが、無能だとでもいいたいのか?」

「そうは申しておりません。彼らは魔法による戦闘には不慣れだ、と申しております。だから、魔獣戦のエキスパートである神殿騎士たちは数名単位でチームを組み、数の多い魔獣を夜間に確固撃破しただけのこと」


 リオラは三連の月。蒼、銀、赤のうち蒼い月の女神フォンテーヌの聖女だ。

 十歳の時、アイズとリオラは婚約した。

 この王国は女神フィンテーヌの力によって魔獣を寄せ付けない結界で守られている。


 その力は、蒼い月が天頂にある夜こそ、真価を発揮する。

 神殿に所属する神殿騎士たちだってそうだ。

 女神フィンテーヌの加護を受けた彼らは、リオラと同じく夜間の戦いが得意だった。

 そして、星光がさんさんと照っている月下において、魔獣はその動きを制限される。


 昼間よりも夜。

 星々の神々を信仰する者にとって、夜こそがもっとも本領発揮できる時間帯なのだ。


「では、諜報部が掴んだ事実はどう解釈する!」

「解釈も何も、私が例えば騎士たちと抱き合っていたり、天幕のなかで情事に耽っていたり、愛を語ってキスをしていたり、そういった内容の手紙を交換していたりしたら、話は別ですが――」やれやれ、とリオアは肩を竦める。「遠征中、私には王室からずっと見張り‥‥‥いいえ、殿下の寄越してくださった、姫騎士様たちがずっと傍におりましたから」


 姫騎士たちとは、アイズの妹である王女ハンナが結成した、女性だけの騎士団のことだ。

 上級貴族の次女や三女といった、嫁ぎ先がなく家にずっとおしこまれている女性たちを哀れに思ってハンナが集めた集団だが、姫騎士という名前ほどには活躍はしていない。


 礼装でしかない軽装の胸板や肩当てをつけた少女たちは、魔獣のいる戦場にはでることなく、ずっと本陣でお茶を飲んで過ごしていた。


 はっきりいってお荷物でしかなかったが、彼女たちにも使いようはある。

 やきもち焼きなアイズに対して、リオラは浮気していませんでしたよ、とありのままを見せて、報告させることができるからだ。


 だから、リオラは戦いの時は、彼女たちの誰か――主に下級貴族の姫騎士だったけれど――を常にそばに連れていた。

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