第21話 出会いの夢その3

 昴くんとの生活が始まって一ヶ月が経ったころ、彼から尋ねられた事があった。


「黒江ちゃんはどうしていつも疲れているの?」


 その日も深夜に帰ってきて疲れている状態でこんなことを聞かれて、少しだけカチンとくる気持ちがあったけど、そこは一呼吸いれて胸の奥にしまった。


「だって、毎日遅くまで仕事してるから……」


「なんで仕事してるの?」


 更に私の頭が痛くなる質問をしてくる彼に少し苛立ちを覚えずにはいられなかった。


「だって、お金がないと生きていけないし……」


「じゃあ、お金がかからない生活だったらいいの?」


 どうして彼とこんな小学生みたいな問答をしなければならないのか、早くお弁当を食べてシャワーを浴びて寝たいのに。


「えぇっと、それはそうかもしれないけど、お金をかけずに生活するなんて無理な話だし。昴くんだって、お金がないと困るでしょ」


「……そっか、黒江ちゃんはお金に取り憑かれてて、だから疲れちゃってるんだね」


「いや、そういうわけではないんだけど……」


 もうこのやり取りの方に疲れてしまっている自分がいた。

 彼が何を言いたいのか、この時の私には全く理解ができていなかった。



◇ ◇ ◇



「黒江ちゃん、旅行の準備はできた?」


「うん、職場に土下座もしたし、荷物の準備も出来てるよ」


 小さめのキャリーバッグに荷物を詰めて、新幹線のチケットは忘れずに財布に入れた。


 私は昴くんに頼まれて一緒に旅行に行くことになった。

 前々から一緒に行きたいとは言っていたけど、今回はかなり強引だったからちょっと驚きはしている。


「とりあえず、時間の都合もあるから新幹線には乗っちゃわないと」


「そうだね、現地までの移動は黒江ちゃんにお任せするよ、頼りにしているからね」


「そんな大したことはないですよ」


 そうは言いつつも、彼に頼られるというのは悪い気はしなかった。


◇ ◇ ◇


 新幹線から在来線を乗り継いで、とある海岸沿いの駅へ向かっていた。

 在来線の車内から見える光景は田園風景が広がっていたところから、港町へと変化していた。

 その日の目的地は海岸が見える綺麗な宿泊地だった。


 旅行なんて久しく行っていない。

 一泊二日の短い旅行だけど、休みを取って気分をリフレッシュできるというのはそれだけで十分だった。


 もちろん、欲を言えば二日と言わず無限に旅行が続けばいいのに、なんて思っていた。


 車窓の向こう側を覗くと、そんなことは不可能だと窓に薄っすら写る自分の訴えてきた。


「……ふぅ」


「大丈夫?」


「……うん、乗り継ぎがいくつかあったから、普段運動してない人間にはちょっと疲れちゃっただけ、こうやってゆっくり電車に乗っていれば平気だよ」


 私は昴くんに笑顔を見せた。


 しかし、どうして私は彼に笑顔を見せているのだろうか、彼のことは確かに嫌いではない


 かと言って、大好きと言えるほど好意があるかと言われると疑問がある。ただ、どこか惹かれるものがあるのは確かだ。


 私にとって彼はどういう存在なのかわからなかった。


「僕は疲れた黒江ちゃんを見たくなかったんだ、だから僕が黒江ちゃんをなんとかしなきゃって思ってるんだ」


「そう思ってくれるのは嬉しいけど、仕事もろくに出来ないような私なんかのために何かしてもらう必要なんてないよ」


 私はつい苦笑いをしてしまった。


 私は何も出来ない。

 

 少なくともこの時の私は自分がそういう人間だと思っていた。


「そんなことないよ、もし黒江ちゃんが仕事の出来ない人だったとしても、それは仕事の才能がないだけで、黒江ちゃんには何か別の才能があるんだよ」


「別の才能もきっとないよ、私は平々凡々ですらない人間なんだから」


「違うよ。みんななにかの天才なんだ、黒江ちゃんはまだそれが何かわかってないだけ。僕と一緒に見つける旅をしよう」


 昴くんの笑顔が私に向けられる。

 この時はまだ彼が何を言いたいのかわからなかったけど、新婚旅行を始めたいまならわかる。


 『魔法は一人一つしか持つことができない』と昴くんは言っていた。


 それがもし『天才』という意味であるなら、私がなにかの『魔法』を使えるようになることが旅行を始めた一つの理由なのかもしれない。


 もちろんそれは終点ではなく中間地点だ。


 

 窓の外からは潮の匂いが入ってきて、海が近くなってきていることを感じさせた。


 電車が駅に着き、改札口を出ると、駅から海へと続く並木道があった。


 それは日常から非日常への入り口であり、そしてその先には更なる非日常への入り口が待っていた。


 その時はまだ何も彼のことを知らないまま、私はその入り口へ踏み込んだ。


 別に嫌だったわけじゃないし、戻りたいわけじゃない。


 付き合いだしてから好きになるっていうのはこういうことなのかも知れない。


 今ならはっきり言える。


 私は昴くんのことが好きだ、って。



◇ ◇ ◇



 眼を開けると昴くんの顔が間近にあり、眼と眼があって思わず目線を逸してしまった。


 今の今まで、夢の中で彼との思い出を振り返っていて、改めて好きだと実感していたのが恥ずかしいというか、それがあったから彼の顔を見ることが出来ないというか……。


「おはよ、黒江ちゃん」


「おはよう……」


 逸した目線は辺りをキョロキョロと動かしてしまったが、光り輝く世界樹の空間ではどこを向いても世界樹が視界に入ってきて意味がなかった。


 私の頭の横には彼の左腕がある。眠る前に私が捕まえたまま、起きるまで昴くんは待っていてくれたのだろう。


「ごめんね、今回は何年くらい寝てた?」


「五十年の刑に処されたけど、十年くらいしか寝てなかったよ。お早いお目覚めだね」


「そっか、今回はそんなに疲れてなかったのかな。そうだ、夢を見てたんだ。私と昴くんが出会った頃の夢!」


 私は無重力空間のように体勢をくるりと一回転して起こし、昴くんと向き合う形になった。


「黒江ちゃん、前にも言ったけど僕たちは休むことが出来ても眠ることは出来ないんだ。だから、黒江ちゃんが見たのは単なる生前の記憶なだけ」


「昔の記憶を見るのも立派な夢じゃないの?」


「夢っていうのは、融合した並行世界の情景を見ているんだ。どこか違う世界だったりするのもそれが原因。過去を見ていたとしても、それはよく似た別の世界の記憶なんだよ」


「並行世界って融合するの!? どういうこと?」


「根幹世界が根幹たる所以でもあるんだけど、枝分かればかりしてはいずれは細くなって世界は閉じてしまう。その前に並行世界は融合して、より太い枝になるんだ。太くなって多くのエネルギーを貯めていき、そして再び枝分かれを始めるんだよ」


「エネルギーって? なんの?」


「並行世界は『愛』のエネルギーによって成長して枝分かれしていく――らしいよ。本当かどうか知らないけど」


「なにそれ、でもちょっとロマンチックだね」


 私が噴き出すように笑い出すと、それに釣られるように昴くんも笑い出した。


 気持ちも一新した私は、素敵な旦那様と一緒に笑いながら次の世界の行先を決めることにした。

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