第17話 鏡像世界その3

「左利きだよ! 黒江ちゃん!!」


 昴くんが珍しく大きな声で叫んだ。


「ど、どういうこと!?」


「この世界、きっと左利きが多いんだよ。だから生まれてきた文字も左手で書きやすいように反対向きになってて、書く方向も逆だし、自販機のお金は左側から入れるし、全てが右から左に反転してたんだ!」


「お? おぉ!?」


 昴くんの中ですごい勢いで解決しているようだけど、私のなかではあまり落とし込めていない。


「つ、つまりどういうこと!?」


「ここは鏡像世界でもあるけど『左利きの世界』でもあるんだ!」


「つまり、私達の世界は右利きが多いから右利きの人が生活しやすい世界になってるけど、この世界は左利きが生活しやすい世界になってるってこと?」


「うん、今はパソコンとかで調べられないから仮説だけどね」


「じゃあ縦書きはなんで右からだったの?」


「右からのほうが左利きの人は文字が見れて書きやすいからだよ」


「巻物は!?」


「仮説の仮説だけど、巻物じゃなくなったら向きが変わったんじゃないかなぁ。便利な方に」


 う、うーん……。否定できないくらいの絶妙な仮説だなぁ。


 確かに筋は通っている気がするけど……。昴くんの勢いに飲まれていなければ。


「でも、そんなにコロッと変わるものなのかな?」


 この前の知らない言葉ばかりの世界はどうかわからないけど、私達の世界ではずっと『横書きは左から右』『縦書きは右から左』というルールがある。


 これは文字が生まれて現在の形になってから不変のものだというのは、世界史の授業で学んだから間違いない。


 だから、ある日突然文字のルールが変わるという感覚がわからない。

 とてつもなくはた迷惑な話だろう。


「多分、黒江ちゃんと同じ疑問に僕もぶつかったよ。でも、そうだな――例えば僕が画期的な新しいものを作りました、基準を作るのは誰でしょうか?」


「それは当然昴くんでしょ?」


「そう、基準――ルールを作るのは僕。じゃあ、昔々の超々偉い左利きの王様が『この書き方はやりづらい!』って言って『右から書く』という画期的なルールを作ったら……?」


「うーん、採用するかなぁ……?」


「そこは採用してよ!」


 昴くんが冗談っぽく怒ると、釣られて笑ってしまった。


「線路の幅もコンセントの穴のサイズもハガキの大きさも、物は必ず誰かがルールを決めているんだ。でも、それは必ずしも不変ではない。だから、文字の書き方というルールを変える人がいてもおかしくはないと思うんだ」


 確かに、私達の世界では不変な『文字の書き方』というルールだから違和感があったけど、例えばパソコンの接続端子なんかはコロコロ基準が変わって困るし、メーカーによっても違うこともある。


 逆にそういったものが不変の世界というものがあってもおかしくはないのか。なるほどなぁ。


「でも、根幹世界ってあまり変化のない世界って言ってたけど、この変化は大きくないの?」


『根幹』と呼べるくらい似揃っている世界という風に聞いていたはずだったけど、この世界はあまりにも違いすぎる気がする。


「僕もそう思っていたんだけどさ、たまたま今回は目立つから気がついただけで、他の世界も目立たないところで結構違ってるのかもしれないね。木造のロンドンだってロンドンに行かないとわからないようにさ」


「むぅ……。確かにそうかもしれないけど」


 なんだか煙に撒かれたような気がする。昴くんに根幹世界の定義について文句を言っても仕方ないのかもしれないけど。


「仮説の答え合わせは明日また図書館でしようよ、それより前回といい今回といい頭使ってるからちょっと疲れちゃったよ。ここを出たら世界樹の空間で休んでも良いかもね」


「うん、そうだね。気分転換で来たはずなのに逆に疲れちゃうって、それこそ旅行初日あるあるな感じ」


 そんなくだらない話をしながら夜を過ごし、翌朝を迎えた。


◇ ◇ ◇


 結論から言うと、昴くんの仮説は概ねあっていた。


 少し違っていたのは『左利きの人が多い世界』ではなくて『左利きの偉い人が多かった世界』だったようだ。


 古くから基準を決めた人にたまたま左利きの人が多かっただけで、生まれて来る人の九割が右利きらしい。


 しかし、現代となっては何千年と構築されてきた基準を変えるほうが困難なため、利き腕を変えるのが一般的となっていて、子育てするうえでの壁の一つとなっているようだった。


 上手く利き腕を変えられなかった人もいれば、両利きになる人もいて、先進国での調査では七割が左利きで、二割が両利き、一割が右利きとのこと。


 インターネットを見ていると、中には自然派教育というやつで、敢えて右利きで育てるという育児もあるようだけど、少なくとも日本では白い目で見られがちなようだった。


 確かに育てられる側からしたら、不便な生活を強いられるわけだから、たまったものではない。


 火の元一つでロンドンの街並みが変わったと思ったら、今度は偉い人の鶴の一声で鏡の中の世界に来てしまう。


 本当にこれだから並行世界の新婚旅行はやめられない。



 結局、こんな鏡の中の世界、どこで絵を描こうか少し悩んでいた。


 改めて街を散策すると、お金も左右反対だし、時計は左回り、ネジも左まわしだし、駅の改札や自販機も全て左利きに使いやすいようになっていた。


 どこで絵を描いても左右対称で一緒かもしれないけど「どうせなら」という昴くんの鶴の一声で、出現地点にあった自販機を描くことにした。


 私がこの世界で一番表情が豊かだったという悔しい理由だ。


 ホント、そういうところはいじわるなんだから……!

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