第14話 アン・フィッツジェラルド
真夜中。
メイドのアン・フィッツジェラルドは、城の中をひとりで見回っていた。手にはランタンを持っている。
15歳らしい幼い顔立ちながら、大きなツリ目には少女らしからぬ迫力も併せ持つ。そんな風貌の少女だった。
「いるわけない……!」
緊張した表情で思わずつぶやく。
(まったく、なんであたしがこんな思いをしなきゃいけないのよ!)
アンは昼間のことを思い出していた。
井戸に水を汲みにいった時のことだ。
門番のアルラとコック見習いのヘリクソンが駄弁っていた。
「おーう、アン」
「よー」
ふたりのことは小さい頃から知っていたから、あいさつも気軽なものだった。
「おう」
ふたりともアンより数歳年上だが、アンも気軽に返す。
「いやー、ネズミじゃないよ」
「まあ、この前、奥様来るっていうから、総出で掃除したしな」
「なんの話?」
アンが聞くと、ヘリクソンが答えた。
「なんか最近厨房から食料無くなってるんだよね。朝になると無いの。夜のうちに誰かがとってっちゃうみたい」
「ふ~ん、いっぱい?」
「いや、すこしだけど」
「……わかった!」
アルラが指パッチンした。なにか閃いたようだ。
「幽霊だよ!腹をすかせた幽霊がとってってるんだよ!」
「……はあ?」
アンは困惑顔をした。
「幽霊はお腹すかないんじゃないかな?」
ヘリクソンはまともな反論をした。
「わっかんないだろー!腹をすかせて死んだ幽霊かもしんないじゃん!」
アルラが城を仰ぎ見た。アンもヘリクソンもつられて、城を見上げた。
古い城だった。背後には長大な壁が連なっている。オオガラスがどんよりした空に何鳥も舞っていて、なんとなく不気味な気分にさせてくる。
「……たしかにそういうこともあるかも」
ヘリクソンがあっさりと翻意した。
「はあ!?」
アンは驚いた。
「いや、だって、この城って国より古いっていうじゃん。この城も壁も、だれがいつ作ったのかもよくわからないっていうし。じゃあ、そういうこともあるのかな?と」
「いや、全然言ってる意味わかんないから。それがなんで腹をすかせた幽霊が食料とってくことになんのよ?」
「わっかんねーかなー!」
アルラが言った。
「昔々、この辺境の城に幽閉されてた男がいたんだよ!男は飲水すらままならず、日に日にやせ細り、飢え乾き、地獄の苦しみのなかで死ぬんだ……!そんな男の幽霊が真夜中に現れて言うんだ……!足りない……!足りない……!もっと食わせろ……!お前を、食わせろっ!ってな!」
「……バカじゃない?」
「バカとはなんだ。想像力の足りないやつめ」
「妄想力の間違いでしょ?まったく、そんなんだからいつまでたってもサリーさんに告白できないのよ」
サリーとは商店の看板娘で、評判の美人だった。
「う、うるせえ」
アンは水を汲み終えて、その場を去ろうとした。
「……気をつけてね」
ヘリクソンが言った。
「へ?」
「夜の見回り当番、今日でしょ?」
「な、なに言ってるのよ?そんな幽霊いるわけないじゃん」
「そうだね……」
ヘリクソンは静かに古城を見上げた。
アンはなんだかゾッとしたのだった。
真夜中、アンは古城をひとりで見回りしていた。
昼間にあんな話を聞いたからか、いつもは平気な場所が不気味に思える。石造りの壁の隙間の闇がいちいち怖い。
(あの暗がりから、幽閉されてた男がニュッって出てきたらどうしよう……。お腹へってるから、めちゃくちゃ薄くなってて……)
ついつい不気味な妄想がひろがってしまう。
(いやいや、なにをバカなことを考えてるの!これじゃあ、あのバカと変わらないじゃない!)
アンは頭を振って、バカな考えを振り払おうとした。
(そもそも、この見回りっていう仕事からしてどうなのかしら?仮に見回りが成功するとして、それって不審者にあたしが会うってことでしょ。15歳のメイドになにができるっていうの?そりゃ叫びはするだろうけど、それって断末魔なんじゃないの?なんで命を賭けて見回りしなきゃいけないのよ。あのバカが見回りすりゃいいじゃない。衛士なんだから)
怖い思いをさせている元凶だからか、アルラへの憎悪が半端なかった。
「ああ、ついに……」
アンは厨房の前にいた。
一瞬、見回りをしたふりをして、やり過ごしてしまおうかと思った。
それであとは仮眠室でぐっすり眠るのだ。起きたら家に帰ればいい。
もしも食料が無くなっていたとしても、知ったこっちゃない。タイミングが合わなかったといえば済む。むしろ、タイミングが合って、食料を盗難している何者かに会ってしまうほうが問題だろう。
だが、アンの勝気で生真面目な性格がそれを許さなかった。
「……いくわよ」
勇気を振り絞り、厨房に入った。
当たり前だが、厨房は真っ暗だった。昼間は火が灯り、人も慌ただしく動いているから熱気があるが、真夜中の厨房はがらんとして空気も冷ややかだった。
アンはゆっくりと厨房のなかを回った。
特に不審な点はない。
それでも心臓はうるさいほどに高鳴り、ランタンを握る手には汗が滲んだ。
かまどが二つあった。
(かまどの口が怖い……!)
かまどの奥は真っ暗で、何が這い出てきてもおかしくない気がした。
(手が伸びてきて、引きずりこまれたりしないかしら……!)
アンの全身からは冷や汗が吹き出ていた。
それでも、自分のなかの恐怖心に負けるのは嫌だから、アンはあえてかまどの奥をランタンで照らして覗き込んでやった。ただし、じっくりと見るのではなく、超速で二つのかまどの奥を覗いたのだった。
「ふんっ!ふんっ!」
声をあげて見た。両方ともなんともなかった。なんにもいなかった。
(勝った……!)
アンは真っ暗な厨房でひとり、自分に勝利した。思わずガッツポーズをとった。
「……ん?」
二つのかまどの間。そこに何かがいた。
「ぴょえっ」
アンの喉から変な音が出た。
蠢いた。丸い影だった。それはモゾモゾと動き、大きくなって、急速に近づいてきた。
アンはランタンを取り落とし、腰が抜けて尻もちをついた。
「~~~!」
影はアンに覆いかぶさり、口を塞いだ。
(やだ……!やだ……!)
アンは必死に暴れて、ようやく声を出した。だが、こういう時、人は叫び声すらまともにあげられないことを知った。
「食べないで……!」
ただ一言懇願するだけで精一杯だった。
(あたしが死んだら、まだ小さい弟妹たちが……!)
「食べないわよ~」
アンの必死な思いとは裏腹に、呑気な声が聞こえてきた。
「え?」
いい匂いまでする。というか、美味しそうな匂いが。
「……オウイモ?」
覆いかぶさっていた何かは、アンが取り落としたランタンを手に取った。
「あなたも食べる?」
そこにいたのは、一週間前にこの城の主に嫁いできた公爵令嬢、ルーネ・ゼファニヤだった。
「美味しいわよ」
ルーネは芋を片手にニッコリ笑うのだった。
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