第11話 ほてり

ムソンは執務室で口をポカンと開け、天井を見つめていた。


「旦那様!旦那様っ!」


「ん?ああ……」


キャメロンが呼びかけても、いまだ気もそぞろである。


「……ずいぶんお疲れのご様子。差し出がましい提案になりますが、こちらの部屋に仮眠用のベッドを運ばせましょうか?」


キャメロンの多くを察した申し出に、ついムソンは苦笑を漏らした。


「……いや、結構だ」


「そうですか」


「……なあ、キャメロン」


「はい」


ムソンはためらいがちに聞いた。


「……女って、なに考えてるかわかるか?」


「まったくの謎でございます」


「そうか……」


歴戦の老執事をもってしてもまったくの謎と来たか。ムソンの悩みは深まるばかりだった。


キャメロンはそんな主人に向き合い、ややためらいがちに、だが誠実に忠言した。


「女性と向き合うと考えるより、人と向き合うと考えることが肝要かと存じます」


「……なるほどな」


会話はそこで終わり、ムソンはキャメロンに本日の執務の終了を告げた。


キャメロンが一礼し部屋を出ていくと、ムソンはまたも天井を見上げた。


「……それもまた難しいことだ」



「はぁ~~~~~やってしまった……!」


ルーネは寝室のベッドに腰掛け、盛大に落ち込んでいた。肩を深く落とし、頭は自分のお腹にくっつきそうな態勢になっていた。


(わたしったら一体何を……!恥ずかしいっ!)


ルーネは人生において、他人に怒りをぶちまけるという行為をしたことは一度もなかった。


理不尽や不条理を感じることは多々あったが、それは病身で先もなく、役に立つこともないのだから仕方がないと思っていた。


(……変に欲が出てしまっているのかしら。……自由を求めるって、そういうこと?)


「ルーネさん!」


「キャッ!?」


いきなりルーネは抱き起こされた。


目の前にいたのは、焦って心配顔のムソンだった。


(あ、こんな顔はじめて……)


「大丈夫ですか?どこか具合が?」


勢い込んで聞いてくるムソンが近くて、ルーネはつい両手を前に出し「だ、大丈夫です。ただちょっと落ち込んでいただけですっ!」と赤面して答えた。


ムソンもまた近さに気づき、急に離した。


ルーネの体がベッドで揺れる。


「そ、そうですか。失礼しました。……落ち込んでいた?なぜ?」


ムソンは本当にわからないようだった。その顔はまるで無垢な少年さえ思わせた。


「……その、ムソンさんに急に怒りをぶつけたことでです。意味がわからなかったでしょう?」


顔を伏せていたルーネがチラリとムソンの顔色を覗くと、ムソンは当惑しているようだった。


無理もない。急に怒られて、急に謝られているのだから。


なんだか自分が愚かしくなって、今度は涙が出てきそうで、ルーネは再び顔を伏せた。


ムソンは何も言わなかった。


その代わり、黙ってルーネの隣に腰を降ろして、大きくベッドを軋ませた。


反射的にルーネの心臓が跳ね上がった。


(まさか……!?)


さっき抱き起こされた時の感触がまだ腰と肩に残っていた。


何をされても仕方がない。甘んじてすべてを受け容れる。


ルーネはそのような心持ちで固く目をつむった。


だが、いつまでたっても触れられる気配はなかった。


なにやらカチャカチャと音はしているが……。


恐る恐る目を開けると、ルーネの目の前に琥珀色の液体の入ったグラスが差し出されていた。


隣のムソンを見上げると、ただ一言。


「飲みましょう」


ムソンの大きな手に包まれたグラスを、ルーネが両手で受け取った。


ムソンは軽くグラスを合わせた。チンッと小さく音が響く。


ムソンは一息で飲むと、ふぅと熱い息を吐いた。


そうして、ルーネを見つめてくる。酒のせいか、瞳が潤んでいた。


ルーネは覚悟を決めるように喉を鳴らすと、グイッと一息で飲み干した。


「ええ?」


「えっ?」


「いや、一息で飲むとは」


「だって、ムソンさんがそうしてたから……」


カアッと体が熱くなるのをルーネは感じた。


(もしかして、はしたなかった……?)


顔が瞬時に燃えるようだった。


「……ククッ」


それを見て、ムソンは笑った。


(あ、この顔もはじめて……)


ぼんやりと見つめていると、ムソンは「いや、失礼」と口元をおさえた。それでもこぼれる笑みは隠しきれていない。


「もう!そんなに笑わなくたっていいじゃないですか」


言葉とは裏腹にルーネも笑った。


「……美味しいですね」


ムソンが言った。


「ええ。こんなに早く漬かるものなのですね」


果実酒のことだった。ふたりが飲んでいたのは、パルムという小さな果実を漬けたものだった。


「これは料理長からもらってきたのです」


料理長のガリクソンの顔が目に浮かぶ。


「あら、そうなのですね。わたしったら何も知らなくて……」


「……いえ、私の方こそ何も知らないのです」


ムソンはそう言った。


赤面していたが、それは酒のせいばかりではなかった。


「ご存知でしょうが、私は奴隷出身です。……それも、性奴隷です。奴隷からも馬鹿にされるような存在でした。だから、対等な関係と言われても、ピンと来ないのです」


それは、誰からも人として扱われて来なかったということの告白だった。


「だから、あなたの望むような関係は築けないかもしれません……って、うわっ!?」


ムソンがルーネに目を向けると、ルーネは滂沱の涙を流していた。


「ど、どうしたんですか?やはりどこか具合が悪いのですか?」


ルーネは嗚咽しそうになりながらも答えた。


「ちがいます……!あなたに告白を強いてしまったわたしの愚かさが、ほとほと嫌になったのです……!この期に及んで、自分のことばかりの自分にも。でも、それでも、聞いてください……」


「はい」


「わたしは、今生では自由を求めます。……そして、あなたも自由にしてみせます!自由って、愛です!今わかりました!愛とは、無支配です!無支配とは、自由です!すべては繋がっているのです!」


ルーネは完全に酔っていた。さっきの一杯と緊張が体中をまわっていたのだった。


「ムソンさんっ!」


「えぅ、はい……?」


ルーネは座った目でにじり寄って来た。


「お願いがありますっ!」


「は、はあ?」


ムソンは脅威を感じ、上半身をそらしている。


ルーネはそれでもグイグイと寄せてくる。


「もしもムソンさんが自由を感じられたら、わたしを対等な存在なのだと感じられたら、その時は抱いてください!いいですねっ!?いいですねっ!?」


「は、はいぃぃぃぃ!」


ムソンは肩を揺さぶられ、そう返事するしかなかった。


すると、ルーネは安心したように笑顔になると「やったぁ!」と大きく叫んだ。


そして、コテンといきなり寝落ちてしまったのだった。


「えぇ……」


こんないきなり寝る人間がいるのか、とムソンは改めて酒というのは恐ろしいものだと思った。


ルーネはもうプスープスーと寝息を立てている。


「まったく、謎そのものだな……」


妙な生き物を見ている気分になって、ムソンは思わず吹き出しそうになった。


「……愛、か」


ムソンは独りごちた。


顔にほてりを感じながら。

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