第9話 農学者キリギス
次の日、ルーネは城の外を見回ってみることにした。
前の生の今頃は、なんだかんだ調子もつかめていなかったし、塞いでもいたから、城の外に出たのは嫁いできてから一ヶ月は経っていたと思う。
しかし、それでは限りある命がもったいないではないか。
(特にわたしの場合、五年という期限があるのだから、一日足りとも無駄にしていられない!)
お付きのものが来てはめんどくさいので、ルーネはさっさと城から出てしまって、そこらをほっつき歩くことにした。
「お、奥様!?どちらへ?」
門番の若い衛士が慌てて聞いてきたが、ルーネはニッコリと微笑んで何事もないかのような様子で「ちょっとそこまで」と言い置いて、うしろでまごついている衛士に気づかぬふりをして速足で行ってしまった。
(もしかしたらあの子怒られるかしら?)
とちょっと頭をよぎったが、外から来る敵を招き入れたら怒られても、内から出てくる者を出したとて怒られる謂われは門番にはないだろうと思い、気にしないことにした。
城の外にはささやかな家々が並び、これまたささやかな商店、畑があるばかりで、およそ生きるのに最低限のものが揃っているに過ぎず、昨日ムソンが宣告した領土の貧乏事情を如実に反映していた。
(まあ、知っていたけれどね)
前の生での村の様子と、そう変わってはいない。
(と、いうことは、色々挽回できるってことね)
ルーネはちょっと小高い丘に立って、腕組みしてはウンウンとうなずいた。
(まずはやはり食糧事情よね……。飢えが来るとわかっているのに指をくわえて待っているなんて非道な真似ができるわけもないわ……。ん?)
ルーネの袖がうしろに引かれていた。
「おねえちゃん、どこの人?」
村の女の子だった。たしか名前はミーア。もう片っぽの手には弟のサリナンの手をつないでいる。
ふたりとも、前の生でルーネが初めて認識した年齢より幼かった。子供の成長って速いなあ、と妙な感慨が浮かんだ。
「おねえちゃんはあそこのお城から来たんだよ」
ミーアはハッとした。そして、キラキラした目で、なぜか声を潜めて聞いてきた。
「……もしかしてお姫さま?」
「……実はね、そうなの」
ルーネもヒソヒソと声を潜めて答えた。
すると、ミーアは手を胸において、心がいっぱいになってしまったかのようにため息をついたのだった。
「やっぱり!そうじゃないかと思ったの!キレイ~!」
ミーアはその場で飛び跳ねて大声で言った。さっきのヒソヒソは何だったのかと思ったが、弟のサリナンもいっしょに跳ねていて楽しそうだったので、ルーネも一緒に軽く跳ねた。
「こらっ!なにをサボっている!」
どこからともなく現れた男が、ルーネたちを出し抜けに怒鳴りつけた。
せっかく跳ねて楽しくなっていたのに、ルーネたちは地面に縫い留められたように棒立ちになった。
男は農学者のキリギスだった。
神経質そうな針金のように細い男で、目は血走っていて、一目瞭然の余裕の無さは、見ているこちらまで不安にさせる、そんな男だった。
「子供たちは土を耕す時間だろう!一秒たりとも無駄にしていい時間など、王国の民であるお前らに無いのだぞ!何度言ったらわかるんだ!」
「王国なんていわれてもわかんないよ…」
ボソッとミーアが目を伏せて言った。
ルーネは(そりゃそうだ。見も知らぬ誰かさんのために働けって言われてもね……)と思ったが、耳聡くミーアの声を聞いていたキリギスは、それを聞いて顔面を紅潮させた。
「なんったる無礼な!お前らが平和に暮らせるのも王国があるからなのだぞっ!この恩知らずの田舎者めがっ!むっ!?」
キリギスは一瞬目を細めてルーネをにらみつけると、城の女主人であるとようやく気づいたようで、目を白黒させた。
「こ、これはルーネ様!?いったいなぜこのようなところにお一人で!?」
「この子たちに道案内を頼んでいましたので、一人ではありません。なにぶんまだ不慣れな土地ですからね」
「そ、そうでしたか……!いや、気づきませんで。言って頂ければ、私めが案内差し上げましたのに……」
そう上目遣いで言う目には、怪しげな光が宿っているようにルーネには思えた。
(“蛇のゼファニヤ”相手にこのような蛇めいた狡猾な目をしてくるだなんて、なるほど、前の生では気づかなかったけれど、なかなか政治欲の強い御方なのね)
ルーネはニヤリと笑みを浮かべてみせた。すると、キリギスは一瞬体を強張らせてから、形ばかりの笑みを返してくる。
「お心遣いありがとうございます。たしか、婚礼の儀の時に一度ご挨拶差し上げましたね。えーと、たしか、キリギス殿」
「ハッ!覚え頂き恐悦至極にございます!」
「ですが、折角の申し出を断るようで申し訳ないのですが、案内はこの土地の者に任せたく存じますわ」
「ハッ……?なぜでしょう?道すがら王都の話に花咲かせ、御心を慰めることも私めならできますが……」
すごい自信だなとルーネは思い、吹き出すのをこらえるのに必死の力が必要だった。
「……っ!それは大変魅力的なお誘いですが、やはりこの土地のことはこの土地のものに聞くのが一番だと思いますの。わたしが知りたいのは、華やいだ王都の幻影ではなく、触れられる土の香りなのです。それを知れば、進むべきふさわしい道も定まろうというもの……。そうではありませんこと?」
ルーネはやや婉曲に現在の農地改良政策に一石を投じてみた。
そしたら、効果覿面。キリギスの顔は赤黒いまでに紅潮しだしたのだった。
「それは農地改良に反対の意見をお持ちということですかなっ!?」
せっかく婉曲的かつ儀礼的な会話をしていたのに、キリギスは直截的な言い方に切り替えてしまった。
仕方がないので、ルーネもそれに合わせることにした。
「ええ。はっきり申し上げまして、今の農地改良は百害あって一利なしだと思いますわ。それこそ民の時間、ひいては生命を無駄に浪費していると申し上げねばなりませんわ」
「なんとっ!?」
キリギスはあまりの言われように絶句した。
無理もない。
そもそもこの地に嫁いできたばかりの16の小娘に、いったい何がわかろうというのか。
そう考えるのがむしろまともな思考というもので、女主人相手だからとて、学に裏打ちされた計画を翻すようでは、そちらのほうが信頼の置けない人物だ。
ルーネはキリギスという男を、一から百まで信用のできない人物だとは見ていなかった。
前の生で飢えが襲ったあと、キリギスはさすがに任を外されたのだが、王都へと戻る去り際にチラリと見た背中はいかにも悄然としていて、無責任な人間ではなかったとその時に感じたのだった。
(王都に戻れるからヤッホーという感じでは全然なかったのよね……)
「失礼いたしました。口が過ぎましたわ」
ルーネは唐突にペコリと頭を下げた。
気を抜かれたようにキリギスは「あ…」とか「いえ…」と戸惑っていた。
「わたしも当然ながら、女主人というものは初めての経験ですから、息巻いているのです。これもすべては民を思ってのこと。キリギス殿と思いは一つですわ。それは主人のムソンも同じです。そうですわよね?」
ルーネはわざとキリギスの瞳を見つめて念押しした。
キリギスは、反射的に目を逸らしたように見えた。
「……もちろんです奥様」
声にも先程までは感じられた勢いというものがない。
「……私めはこれで。仕事がありますので」
「そうですか。ご苦労さまです。この子たちは引き続きお借り致しますわ」
「左様でございますか」
キリギスは素早く一礼すると、さっさと行ってしまった。
(ふむ……。板挟みという感じ、なのかな?)
ルーネが物思いに耽っていると、チョイチョイとミーアにすそを引っ張られた。
「お姫さま、ありがとう。怒られずにすんだ~、えへへ~」
ミーアは平和な笑顔を向けていたのだった。
「どういたしまして」
この笑顔を奪うほどの価値が王国にあるのかしら?
ルーネは内心思うのだった。
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