第7話 寝室交渉



怪しく蝋燭の火が揺れて、寝室のふたりを照らしていた。


「あらぁ、ムソンさぁん。お酒はお好きですかぁ?」


「……酒は飲みません」


なにやら眠いのか、ムソンは半眼になっていた。ルーネは内心チャンスかもしれない、と思った。


「すこしも嗜みませんか?」


「剣が鈍ります」


「なるほど……」


ルーネは手に持っていたグラスを置いた。


「実はわたしもです」


前の生では健康に良いというので、少々寝しなに飲むこともあったが、本当に健康に良いのかはルーネにはよくわからなかった。体はポカポカしたし、味も美味しいものは美味しいと感じたが。


「なぜそんなものを?そもそもそれだけの果実酒をどうやって運んだのです?」


ムソンは怪訝な顔をしながらも話を続けてくれた。


もしかしたら、さっきのパオチーの実で作ったパオ餅が功を奏したのかもしれない。


夕食は別々だったので、よもや機嫌を損ねたかとルーネはすこし心配していたが、取り越し苦労だったようだ。


「コックさんたちに運んでもらいました」


「……寝室に入れたのですか?」


ルーネが言うと、ムソンは今度は渋面になった。


こうしてよくよく観察してみると、ムソンは感情が顔に出やすい人なのかもしれない。ルーネの口元には自然と微笑が漏れた。


「はい。ダメでしたか?」


「……いいえ」


なにか言いたげにも見えたが、やはり眠いだけかもしれない。


領主の仕事は現段階では人手も足りていない状態のはずだった。ならば、話ははやく済ませたほうが親切というものだろう。


ルーネはそう思った。


「実は、これで交易を始めようと思っているのです」


ムソンはいきなりのその言葉を聞いて、多少目を開き、口元に思慮深げに手をやった。


「……たしかに物珍しいし、なにより保存が利きますね」


「ええ、辺境の果実はやはり辺境にしか生えていない珍しいものですし、保存の観点から言っても輸出に有利です」


ムソンはうなずいた。


しかし、顔色は浮かないものだった。


「……こう言ってはなんですが、王都では好まれないでしょう。田舎臭い二流品とされるのがオチです」


「たしかにそうでしょう」


ルーネがあっさりと認めると、ムソンは虚を突かれたという表情をした。


王都出身の大貴族の娘であれば、王都が田舎を見下しているとされれば、まるで王都の代表者のように否定するものだと思っていたのだろう。


しかし、ルーネは続けて言った。


「貴族たちって鼻持ちならないですからね。特に王都の貴族は」


ムソンはうなずくことも否定することもせず、ただ黙って、しかし興味深げに聞いていた。


「権威が保証した話題性がないと食いつかないのです。進取の精神というものは、彼ら自身にはありません。人のものを欲しがる子供のようなものですから」


あまりの言いざまに、ムソンはさすがに吹き出しそうになり、手で口元を隠した。


「……言いますね」


「でも本当のことでしょう?なにせ彼ら彼女らは、王都の貴族であるということ以外にアイデンティティがありませんから」


「……保守的であるとだけ言っておきましょう」


ムソンの瞳は今やルーネの瞳に向いていた。


今、初めてルーネはまっすぐにムソンとコミュニケーションを取っていた。


「そうです。そんな保守的な人たちを相手にするのではなくて、わたしたちは新しい人たちを相手にしましょう」


「新しい人たち?」


ムソンの眉間に皺が寄った。まさか…!?と表情で訴えかけているかのようであった。


ルーネははっきりと宣言するように応えた。


「辺境の外の人々です」


「外なる民と接触しようというのですか!?」


ムソンの声に熱が込もった。


「いけませんか?」


ルーネは平然と問い返した。


「……ここは外なる民から王国の民を守る要所ですよ」


たしかにその通りだ。外なる民―蛮族とも呼ばれる者共の脅威から守るためにこの城及び城壁はあるのだ。


彼らは王国の民とは違い、素手で岩をも砕き、疾風のような俊足を誇り、こと戦闘能力に関しては一騎当千の実力を持つと言われている。


反面言葉は通じず、すべてにおいて粗野で、未開の人々であるとされていた。


そんな者共と交易など前代未聞であった。


だが、ルーネはあっさりと言った。


「でも、考え方を変えれば、無限にフロンティアが広がっているといえますわ」


ルーネが反駁すると、ムソンは得心がいったというふうにうなずいて見せた。


ムソンが何か口を開きかけた。


しかし、ルーネが機先を制するように言った。


「それに、ムソンさんはもう交流なさってますよね?」


さすがにムソンは気色ばんだ。


だが、それはあらぬ疑いをかけられたからというわけではなかった。むしろその逆。掴んではいけない真実を掴んでしまったものへ向ける怒りだった。


新婚のふたりの寝室に、軋むような緊張感が走った。


かわすようにルーネは微笑んだ。


「わかっています。飢える民を救うための備えであるということは」


ルーネは実際知っていた。今から三年後に起こる飢饉は、ムソンが講じていた外なる民との交流によって救われるのだ。


多くの命が、実際に外なる民に救われることになる。だが、それは未来での出来事だった。


ムソンが口を開いた。


「……そうはいっても、人手が足りません。現在は王都より参った農学者主導のもと、農地改良を全力で進めていますので」


外なる民との交流については触れず、ムソンは現状の問題点を挙げた。


ルーネは自分の顔が思わず渋面になるのを感じた。


(そうなのよね……。これが当面の頭の痛い問題なのよ。農学者キリギス。彼の指示に従ったまでに、3年もの月日と労力、資金を無駄にしたのよね。前の生では、民がそれこそ餓死寸前になって、そこでムソンがそれまで密かに育てていた外なる民との交流によって救われるわけだけど……。飢饉なんてないに越したことないし……)


ルーネは恐る恐る言ってみた。


「……正直にいって、農地改良の努力は徒労に終わるかと」


ムソンの眉がピクリと跳ねた。


「……なぜです?」


「いくら王都で主食のオウムギを育てようとしても、土も気候も全くちがうのだからどうしても上手く育ちません。当たり前のことですが……」


「……よくご存知で。それにしても、まるで結果を知っているかのようにいいますね」


そう言われてルーネは内心ギクリとした。


しかし、同時にこうも思った。


(ん?待てよ。なんでわたしは隠してるんだ?死に戻ったと告白すればよいのでは?……良し!言っちゃおう。そっちのほうが話も早いだろうし)


「あの……」


「わかりました。あなたの言う通りにしましょう」


「え?」


「わたしも農地改良の件は、理にかなってはいないと思っているのです。しかし、王の命令ゆえ、はねのけることもできません」


今度はルーネが機先を制されてしまった。


あの農学者は王の手のものだったのか、知らなかったとルーネは思った。


(道理で聡明なムソンが、いつまでも無駄な登用をしていると思った)


「この件はまずは内密に進めます。ですので、わたしとあなたのふたりで進めることになります。よろしいですね?」


ムソンはまっすぐにルーネの瞳を見て言ったのだった。


「……はい!」


ルーネはなんだかうれしくなって返事をした。


ふたりだけの秘密、ふたりだけの仕事。


これでワクワクしないわけはなかった。


なんと言っても、ルーネにはムソンにも秘密の目的があり、その目的に一歩近づいたのだから……。


「それではもう夜も遅いですし、寝ましょう!おやすみなさい!」


健康の第一の秘訣は睡眠からだ。ルーネはよくそれを知っているので、ベッドに入ると秒で寝てしまった。


こちらが早く寝てしまったほうがムソンも気が休まるだろうし。


「……っ!」


意識が途切れる一瞬、ムソンがなにか言いたげに空気を吸う音が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。

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