幼なじみの辺境伯から溺愛されてはじまる、引退勇者の第二の人生。
shinobu | 偲 凪生
第1話 故郷への凱旋
***
『魔王を討伐した勇者ジゼル・ヴァンサンは、辺境伯アーサー・ド・ラ・オルレアンと結婚する』
それは衝撃的であり、かつ、王国じゅうが祝福する知らせだった。
***
「とてもお美しいですわ、ジゼル様。アーサー様もさぞお喜びになることでしょう」
「あ、ありがとうございます」
ジゼルは頬を紅く染めてうつむいた。
聖剣に選ばれて戦いに身を投じた赤髪の女勇者。それがジゼルの肩書きだ。
彼女はこの十五年間、勇者として王国を守ってきた。着飾ることとは縁遠い生活だった。
しかし、今日のジゼルはしっかりと化粧を施されている。瞳はいつもより大きく見えるよう縁取られ、唇は、流行りの色に染まっている。
艶のある赤髪は丁寧に結い上げられて、煌びやかな花と宝石の飾りで彩られていた。
さらにいえば、着ているのは繊細な刺繍の施されたウェディングドレス。レースを幾重にも重ねたスカートは、まるで豪華な花びらのよう。
これから始まるのは、アーサーとジゼルの結婚式だ。
「さぁ、参りましょうか」
肩を張った衣装係が、平らな箱を抱える。
そこにはドレスと同じ素材のヴェールが入っている。長く床まで流れるため、式の直前までは身につけない。このヴェールは長ければ長いほど身分が高いとされているため、ジゼルのヴェールはここ数十年のオルレアン領における最長記録だ。
礼拝堂の扉が厳かに開かれ、ジゼルは眩しさに目を細めた。
領地内外問わず祝福が届けられているのは、若き辺境伯の結婚相手が、救国の女勇者だから。
この結婚は王国中の注目の的、憧れの対象なのだ。
ジゼルと祭壇前に立つ人物の視線が合う。彼の口元が、僅かに綻んだ。
すると、ようやくジゼルにも実感が湧いてきてた。
(本当に結婚するんだ、わたし)
そして一歩を踏み出す。
これから最愛の夫となる、幼なじみの元へ。
***
話は少し前に遡る。
ジゼルは四人乗りの箱馬車に揺られながら、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
ガラス窓の外は、だんだんと人工物が減っていく。つまり、王都から、故郷である辺境領へ徐々に近づいているということだ。
魔王討伐後、ジゼルは、王城に滞在して身の振り方を考えていた。
年齢はもうすぐ三十歳。
多くの女性が二十代前半で結婚するこの国において、これから結婚して子どもをもうけようとするのは難しいことだと考えていた。
一方で、国王からは、騎士軍での確固たる地位を提案されていた。英雄として知識や技術を後世に伝えていってほしいというのが国王の希望だった。
(騎士軍で後進の育成にあたるのも面白そうだけど、少し休みたい気持ちも、正直、ある。勇者としてではなく、普通の旅人として、世界一周なんてどうだろう?)
人生は長く、まだまだ続くのだ。
魔王を倒すという大きな目標が果たされた今、ジゼルは次の目標を定められずにいた。
結論を保留していたところに、一通の手紙が届いた。それは、故郷の幼なじみからだった。
幼なじみのアーサーは、父の跡を継ぎ、二年前に辺境伯となっていた。
ジゼルも風の噂で知っていたが、追われるような日々に連絡をすることもままならなかった。
手紙には、これまでのジゼルの功績を労い、心身を気遣い、『約束を果たすときが来た』としたためられていた。
『君が魔王を倒し、私が辺境伯となったら、結婚しようと交わした約束を覚えているだろうか?』
(えっ。覚えている、けれど。まさか)
手紙を持つ手が震える。
(子どもの口約束だと思っていたのに、本当に結婚の申し込みが来るだなんて……。というか、アーサーこそ、まだ結婚していなかったの?)
返信を迷っていると、さらにもう一通、手紙が届いた。
『結婚相手は君以外考えていない。君の気持ちが固まるまで、どれだけでも待つ。たとえ、髪が全て白くなり、皺が深くなり、腰が曲がったとしても』
美しい筆致は、彼の誠実さが表れているようだった。
アーサーはジゼルを信じて待ってくれていたし、これからも待つというのだ。
……だからこそ、葛藤の末、ジゼルは剣を置く道を選んだ。
『ありがとう。あなたに逢うため、故郷に帰ろうと思います』
当然ながら惜しむ声も多く、王都内には引き留める声も少なくなかった。
なんとか説得をして王城を後にしたジゼル。
故郷までは数日かかる。その道すがら、アーサーと過ごした幼少の記憶を振り返っていた。
辺境領は山と川に囲まれた土地で、季節がはっきりと分かれている。
幼いジゼルとアーサーは、大自然のなかでたくさん遊んだ。
虫取り、魚釣り、山登り、……。
森の中に、ふたりだけの秘密基地を作ったことだってあった。
ジゼルは元々活発な子どもだったが、アーサーは、どちらかというとおっとりとしていて、ジゼルに振り回されることが多かった。
それでもジゼルにお咎めがなかったのは、彼女の両親が辺境伯の頭脳係だったことに尽きる。
ぽてぽてとした足取りでジゼルの後をついていくアーサーの姿は領地内でも有名な光景だった。
(どうしよう、今さらながら緊張してきた)
胃のあたりをぎゅっと抑える。
(魔王との最終決戦前の方がリラックスしていたような気がする。いや、流石にそれは言いすぎか)
窓の外に見える景色に、緑の割合が増えてきた。花は咲き、木々は豊かに生い茂り、小川に流れる水は煌めいている。
十三歳の頃まで過ごした記憶と重なるようで、ジゼルはグレーグリーンの瞳を細めた。
(アーサーが辺境伯になってから悪い噂は聞かないから心配はしていないけれど、ちゃんとやれているのかな)
***
やがて、救国の勇者はようやくオルレアン領に到着した。
箱馬車の扉が外から開けられ、どこか懐かしいにおいを纏った風が吹き込んでくる。
ジゼルが降りようとするより先に、骨ばった男性の手が差し伸べられた。
「ここまでの長旅、お疲れさまでした」
低いのにどこか甘さの滲む声だ。
ようやく帰郷したのだと実感して、ジゼルは深く息を吐き出した。
「ありがとうございます」
ジゼルは迎えに来た男に会釈する。そして、男の顔を見た。
ネイビーの髪は、前髪を後ろに撫でつけて整えている。瞳の色は澄んだ菫色。
眉目秀麗、という表現が適切すぎるほどの美丈夫。
背は高い。仕立てのいい服を身に纏っているが、その下に筋肉がしっかりとついているのは明らかだった。
(強そう。筋肉の付き方からして、剣士さま? 一度手合わせ願いたいものだわ)
場違いな感想を浮かべていると、男が突然破顔した。
「ずっと会いたかった、ジゼル」
「えっ?」
「僕だよ。アーサーだ。君の夫になる男だよ」
ジゼルはもう一度、アーサーと名乗った男の顔を見た。
ネイビーの髪。菫色の瞳。
それは確かに記憶のなかの幼なじみと合致する。
声に関しては彼が声変わりする前にジゼルが王都へ行ってしまったので、変わっていたとしても分からない。
しかし、アーサーは背が低く、どちらかというとぽっちゃりとしていたはずだ。
「背、伸びたのね」
ようやく絞り出した感想に、アーサーがくすくすと笑う。
「背も伸びたし、体力だってついた。君とかけっこをしても負けない自信がある」
かけっこという言葉にそぐわない顔面。
ジゼルはぷっと吹き出した。
「わたし、救国の勇者なんだけど?」
「よく知っている。これまで本当にお疲れさま。これからは、自分のために生きるといい。静かに、穏やかに」
「……ありがとう」
促されて、ジゼルはようやくアーサーの手を取った。自分よりも大きな手に、ジゼルの心臓が跳ねる。
これまで共に戦った男性の騎士や戦士と遜色ない手のひら。そして、彼らと手を合わせたときは生じなかった、動揺。
(なんだか、知らない男のひとみたい)
さらに、ジゼルが地面に立つとアーサーをわずかに見上げる形となった。
十五年という歳月は、幼なじみが立派な成人男性へと変貌するのに十分すぎる時間だったらしい。
「おかえり、ジゼル」
しかし、アーサーの言葉で、ジゼルはようやく帰郷した実感が湧いてくるのを感じた。
「ただいま。アーサー」
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