「第四話」刀匠令嬢、いちゃもんをつけられる

 比較的動きやすい緋色のドレス、その上に黒い制服を着たアイアス・イア・ダルクリースが馬車を降りると、目の前には美しくも威厳のある門が、校舎である城の前で構えていた。石作りであるとは思えないほどに光を受け、その上で陽光が射さない場所にも危うい趣がある。正重として見てきた芸術とは系統が違うものの、その計算された完成美には職人としての血が騒いで仕方なかった。


(異国の文化ってのも魅力的だが、やっぱり俺はまぁ……こいつだな)


 入学の手続きをガレスが済ませてくれていたおかげで、アイアスは思う存分に仕上げに取り掛かることが出来ていた。鞘師も彫師も居ない中、ひたすらに美しさと威厳を追求し続けた。その果てに辿り着いた装飾は、実に満足の行くものに仕上げることが出来た。


 しかし、どれだけ素晴らしい装飾であれ、折れず曲がらずの刀であろうが……アイアスはこの『蛍』に重大な欠点があることを忘れてはいなかった。──そう、肝心の使い手が居ないのだ。心の底から剣を志していないアイアスにはこの刀を扱うことは出来ない。中途半端に足を突っ込むことは、彼が最も嫌うことの一つである。


 そう、アイアスがこの『ソロモン魔剣学園』に大人しく入学した真の理由とは、ダルクリース家を救済するほどのカリスマを揃え、己が造り上げた最高の刀を託すに相応しい人間を探すためである。


(ガレスさん、俺ぁヤクザじゃあねぇが仁義は通す性分だ。もののついでだ、ここまで世話になったあんたら一族に降りかかる呪いは、俺の刀でぶった切ってやる)


 アイアスの昂る高揚の中に、小さいが決して弱くはない決意が固められる。それを芯として、彼女はこれより自らの人生という刀を打つのであろう。熱く辛い苦難に耐え抜き、折れず曲がらずの道を進むという、決意の火を心に宿しながら。


 まずは第一歩。学び舎という未知の世界に、アイアスが足を踏み入れようとした。


「何故、貴様がここにいる!?」


 ──その時だった。耳に飛んできた罵声が、アイアスの身体を突き飛ばしたのは。


「うあっ!」


 突き飛ばされたアイアスの後頭部が、門を形作る石に強く当たる。言葉にならない呻き声を上げながら、アイアスはただただ自分の頭を抑えていた。褐色の美しく長い髪が、彼女自身の血によって赤く染まっていく。


「うっ、っ……野郎、何しやがる……!」

「生まれだけではなく言葉遣いまで地に落ちたか、ダルクリース。イーラ家を滅ぼしておいて、いまだに貴族を名乗っている……そんな野蛮な貴様らが『四公』に席を置くことも、この学園に入ることも俺は許せない。許すつもりも、無い」


 アイアスがかろうじて目を開けると、開けた視界には制服姿の男が写っていた。後頭部にまでかき上げられ整えられた金髪、丸出しになった額の右半分に浮かび上がった黒い邪竜の入れ墨。──それは邪竜殺しの『四公』、ニンベルグ家を示すシンボルだった。


「一応、名乗ってやる。俺はスルト・ニンベルグ。いずれ『剣聖』としてこの国を守護する男の名だ」


 開かれた赤い瞳からは殺意が放たれており、周囲に居た人間の常識を押さえつけていた。──故に、誰もアイアスを助けない。


「貴様のような馬鹿げた存在には、『聖剣』を使ってやる義理もない。──お前など、この短剣で事足りる」


 アイアスはグラグラと揺れる意識の中で、自分が殺されかけていることを察した。それが実に理不尽で、理に適っていない暴力の権現であることも。しかし、アイアスにそれを防ぐ手段はない。まともに断つことさえ出来ないこの状態で、既に打つ手はなかったのだ。


(畜生)


 キラリと光る短剣は、酷い安物だった。作った側も、装飾をした者もまともな腕をしていない。やっつけ仕事、手抜き仕事と云ってやるのもバカバカしい……アイアスにとってはただの死ではあるが、正重にとってのそれは、最も耐え難く屈辱のある『死』だった。


 美しく、そして究極を追い求め続けた彼だからこそ、手を抜いた作品や仕事、何より武器の存在が許せなかった。自分の命を乗せて、相手の命を奪い取る存在が、中途半端でいいはずがないからである。


(畜生……!)

「──死ね」


 振り下ろされた粗末な切っ先。

 何も出来ない、何も為さないまま、自分はまた死ぬ。道半ばで、中途半端に滾った熱を置いてけぼりにして……この仕事を、途中で投げ出して。──死ぬ。


「やめなさぁあぁぁぁぁあああいっ!!」

 その刹那。野次馬の中から流星の如き勢いで駆けてきた少女が、凶刃を握りしめたスルトへと飛びかかっていった。


「……っ!?」

 突然の奇襲にスルトは構える暇もなく、片腕でその少女の飛び蹴りを受けた。しかしその威力は腕一本で凌げるものではなく、殺しきれなかった衝撃で体ごと吹っ飛んでいった。


(なんだ、こいつ)


 ようやく纏まってきたアイアスの頭が、目の前の状況を把握できずにいる。自分は死んでいない、殺される前にあのスルトとかいう男が吹き飛ばされたからだ。そして、それをやってのけたのが、目の前にいる赤い少女だった。


 朱色の長いくせっ毛が印象的な少女だ。腰の下まで伸びた髪は、首の上で一括りに纏められていて、なんだか野性味というか力強さを感じる。それとは裏腹に容姿は驚くほど整っていた、白くはあるが生気のある肌、華奢ではあるが適度に筋肉がついたその体。──スルトを見据えるエメラルドの眼光は、美しさと怒りによる荒々しさが共存していた。


(なんてぇ、別嬪な娘さんだ……)


 朦朧とする意識の中で、アイアスは見惚れていた。純粋な美しさでは並の貴族を遥かに凌駕し、堂々とした気迫や態度は男の武人にも引けを取らない。──アイアスの中にいる正重は、自然とその少女に面影を重ねていた。強く、美しく、誰よりも愛した女侍の面影を。


「どういうつもりだ、ソラ」


 吹き飛ばされたスルトは何事もなかったかのように起き上がり、自らを吹き飛ばした不届き者を睨みつけた。その殺気や敵意は先程とは比べ物にならず、単なる殺意というよりは憎悪をも携えたものであった。──しかし、ソラと呼ばれた少女の態度は依然として揺るがなかった。


「どうもこうも、聞きたいのは私の方だよスルト。なんで会ったばかりのこの人を殺そうとしたの?」

「そいつはダルクリース家だ。我がニンベルグ家の盟友イーラ家を滅ぼした大罪人であり、気品も誇りも持たない平民以下の存在。俺はただ、このソロモン魔剣学園で哀れな血が流れる前に、それを始末しようと思っただけだ」

「この人がやったわけじゃない、イーラ家を滅ぼしたのはダルクリースの『剣聖』。だからこの人に罪はないよ」


 ソラという少女の言葉には、どこか重みがあった。噛みしめるような、自分に言い聞かせているような……スルトはそんな言葉に目を細め、言った。


「……やったかどうかではなく、責任を取るか否かの問題なんだ。──貴様こそ、何故見ず知らずの人間を助けるためにそこまでする? 何よりダルクリースに対する怒りは、お前だって……」

「分かってるよ、そんなこと」


 ──でもね。言い終わる前に、ソラはきっぱりと言った。堂々とした態度のまま、何の憂いも後ろめたさもなく。


「血や生まれで人を恨むのは、違うと思う。確かに私はあの男を許せない。でも、同じ家の人間だからって刃を向けるのは、きっとジークが一番悲しむと思うから……だから私は、目の前にいるこの人を助ける。──私があなたのお兄さんから受け継いだのは、そういうお人好しな剣だから」

「……それは、宣戦布告と受け取ってもいいんだな?」

「──ええ、構いません」


 活発な声が、瞬く間に凛とした声に変わる。


「現イーラ家当主にして『剣聖』、ソラ・アーレント・イーラがここに告ぐ。私は友であり好敵手であったニンベルグ家との『四公同盟』を解消する。そして今ここに、ニンベルグ家『剣聖』であるスルト殿に決闘を申し込む!」


 周囲の野次馬のざわめきが大きく激しいものへと変わっていく。それはそれは有り得ないものを見たような顔の者、余興に胸を躍らせる者、この先の未来に不安を抱えてしまう者……多種多様ではあるものの、とにかくソラが言い放った言葉には、大勢の人間の感情を揺さぶる力が秘められていた。



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