「第二話」刀匠令嬢の誓い
侍女が引き起こした事件からしばらく経った頃、アイアスは父であるガレスに連れられて馬車に乗っていた。どうやら頼んでいた代物が用意できたらしい。
(それにしても、俺が居た国とは全く違うな)
アイアスにとっては見慣れた町並み。しかし、目覚めた「正重」の記憶にとっては、ここは正しく異国の地……雰囲気や肌で感じる気候は違えど、平穏なまま栄えているということは痛いほど分かるのである。
アイアスとしての十年間と、正重としての六十七年間の記憶が溶けて交わっていく。
その度に、彼女は、彼は……自らが今を生きるアイアスなのか、とうに朽ち果てた正重なのかが分からなくなっていたのだ。
(だが、やることは変わらねぇ。「俺」も「私」も、等しく何かを成し遂げたい野心家なんだ……天下に轟く大業物を作り上げられるまで、俺は何度でも他人様に生まれ変わってやらぁ)
自らが何者なのか、何を以て生きていたのか。そしてこれから何を目指して生きていくのか。それら全ての編纂を終えたアイアスに、同乗していたガレスが声をかけた。
「着いたぞ、ここだ」
馬車の扉が開かれ、ガレスが降りる。アイアスも着飾ったドレスの端をつまみ、行儀よく、品を保ったまま降りた。前を見るとそこには、ちょうど良い大きさの煉瓦造りの建物があった。掲げられた立派な煙突からは煙が出ており、ゆらりゆらりと上がっては、いつの間にか虚空に消えていた。用意が良いことに、すぐに作業に取りかかれるように準備がしてあるのだろう。
「少し小さいかもしれないが、どうだろうか?」
「こいつぁかんぺ……これはこれはなんて素敵なんでしょう! お父様、本当にありがとうございます」
アイアスは自らの昂りに危機感を感じた。もう少しで素である「正重」として喜びを表すところであった。もしそうなっていれば、自分は公爵家の人間としての気品を疑われかねない。
「気に入ったようで何よりだ。道具も、言われた通りの物と必要そうなものを幾つか取り寄せておいた。……なぁ、アイアス」
落ち着いた様子のガレスだったが、少しずつ暗い顔になっていく。彼はしばらくアイアスを見ては、目を逸らし、また見る……そんなことを繰り返し、ついに言葉を発した。
「本当に、剣を打つのか? ずっと聞かなかったが、何故急にあんな事を言いだしたんだ? 剣が欲しいなら、私がいくらでも……」
「お父様。私は、剣が欲しいだけではありませんの。私は、このダルクリース家の『四公』としての誇りを取り戻したいのです」
「ッ……!?」
そう、アイアスがその身を置いているダルクリース家は、牙をもがれた獅子のごとく、その誇りとそれの象徴である『聖剣』を失っていたのである。
「父上の兄君であるアキレス伯父様は、立派な方でした。『剣聖』でありながら情に厚く、身分を問わずすべての人に優しかった。……だから、同じ『四公』であるイーラ家の邪智暴虐を許せなかった」
『四公』は代が変わっても必ず『聖剣』と、それを担う『剣聖』の男児が一人は家系の中にいる。絶大な力を持つそれらを、権力争いの抑止力として使おうという考え方である。──それを壊したのは、抑止力であるべきアキレスだった。
「血の気の多いイーラ家の屋敷に単身で乗り込み、アキレス伯父様は多くの荒くれ者を斬り伏せました。そしてついに当時のイーラ家『剣聖』であるレイザーと一騎打ちをし、勝利しました。……ですが、アキレス伯父様は悪鬼だった」
これが、ダルクリース家を英雄から大悪党に転じさせる最大の事件だった。アキレスはレイザーを惨殺し、あろうことか屋敷の人間全てを惨殺した。それに留まらず、イーラ家が収める領地内の人間を斬りつけまくったのである。
「イーラ家の『聖剣』を盗んだ伯父様はその後も行方不明。死んだという者もいれば、生きて人斬りをしていると宣う者もいます。『剣聖』も『聖剣』も、誇り高き名誉さえも失った私達は、今や『四公』の中では痴れ者扱い」
アイアスは、自らの拳を握りしめた。怒りや、憎しみ……自らの人生をとことん地獄に落とした身内の顔が、どうしても許せなかったのである。──故に、茂山は覚悟した。
「だから、私は誇りを取り戻す……いいえ、この手で造り上げます」
「取り戻す……? まさかお前、自分の手で聖剣を造るつもりか!?」
声を荒らげたガレスに、アイアスは力強く頷いた。彼の声色に怒りはなかったが、決して穏やかなものではなかった。だが常識的に考えてみれば当然だ、こんなことを言われてしまえば、どんな肝を持つ人間でも、目の前に人間が狂ってしまったのではないかと思ってしまう。
ガレスは溢れ出る感情を抑えながら、目の前の娘に言った。
「聖剣とは、偉大なる王国を作り上げた建国王が賜った六つの宝具。一つ一つが国を生かすことも殺すこともできるほどの絶大な力を持つのだ。……それを、お前は造ると言ったな」
「ええ、言いました。撤回はするつもりもありませんし、する必要さえありません」
その強気な態度、傲慢にしか思えないようなその姿勢に、ガレスはほんの少しだけ希望を抱いた。普段の彼ならばその慢心に喝を入れてやるところであろうが、今の彼の心には寄りかかる柱が必要だった。──信じていた兄が狂ってしまった。その事実が、彼の心を蝕んでいたのだ。
「私は、必ず成し遂げます。そして再び、このダルクリース家に在りし日の名誉を取り戻してみせます」
「……そう、か」
疲れ切ったガレスの表情を、アイアスは苦い顔で見ていた。自分は十年間もの間この男の娘として生きてきたが、こんなにも弱々しい彼を見たことがない。彼は、頭がいいから分かっているのだろう……これから自分たちが辿るのは、没落という地獄に至るまでの道だということを。今はまだ大丈夫だが、いつかはその日が来るということを。
「……私は、屋敷に戻っている。用が済んだら、其処の電話で馬車を呼ぶと良い」
無論、そんなことを許すほどアイアスは間抜けに生きていないし、正重は義理人情を軽んじては居ない。向けられた背中をしっかりと目に焼き付け、いつの日か……あの背中を堂々とした覇気のあるものに戻してみせると、そう誓ったのだ。
あっという間に遠くに行ってしまった馬車を見送った後、アイアスは自分が向き合うべき仕事場を見つめた。それは最早大事に育てられてきた「アイアス」ではなく、極限の作品を追求する「正重」としての目であった。
深く一礼をしてから、正重は渡された鍵をドアに差し込み開いた。丸いドアノブを回してやると、部屋の全貌が一気に入ってくる。徹底的な換気にも関わらず、肌で感じる熱さはやはり外とは別次元だった。──ああ、これだ。正重は今、公爵令嬢にあるまじき下品な笑みを浮かべている。
正重はその笑みを浮かべたまま、まるで玩具箱を漁る子供のように工具や鉄の塊を触ったり見つめたりした。
「流石は公爵サマだな、言った通りに玉鋼を作ってきやがった。異国の職人は末恐ろしいねぇ……俺たちが何百年も掛けて磨いてきた技術やら何やらを、一瞬でモノにしちまうんだからよ」
誰も居ないのを良いことに、「アイアス」ではなく「正重」としての独り言をこぼす。前世でも独り言が大きく、よく近所の人間から文句を言われていた……が、幸いにもこの辺りは民家が少なく人通りもそこまで多い訳では無い。彼女は、思う存分「彼」としての本性を表すことができるのである。
「っと、作業の前に着替えるか。ドレスが台無しになったらとと様にも申し訳が立たねぇからな……どっこいせ」
ここに礼節を弁えた人間がいれば失神していただろう。令嬢、しかも『四公』という立場にあろう存在が、胡座から一気に立ち上がる。股間の露出を気にすることもなければ、そこに淑女としての気品は一切ない。
正重が鍛冶場を漁っていると、ようやく作業着らしきものが見つかった。見た目は少し違うものではあるものの、決して質が悪いものではなかった。正重はドレスを適当に脱ぎ捨て、そのまま白い作業着に身を包んだ。
「あとはそうだな……おっ、これこれ」
適当に干されていたそれは、何の変哲もない手ぬぐいだった。正重はそれを手に取り、慣れた手付きで頭に被せた後に、きつく強く結んだのである。あれだけ長かった茶色の髪の毛はかきあげられたまま、正重の後頭部に集結してぶら下がっていた。
「うし、整った」
火箸のうち一つを握り、薄く伸ばされた玉鋼を挟む。それをそうっと……轟々と燃え盛る炉の中に入れ込む。十数えるよりも前に赤熱したそれをすぐに引き抜き、金床の上に乗せ、直ぐにそれを小槌で叩く。すると火花がバチンバチン……小槌が鋼を打つごとに、飛び散り、輝き、霧散していく。
「安心しな、俺はお前もお前たち家族も、そこら辺のナマクラと同じような扱いは絶対させねぇ……!」
力強く鳴り響く金属音は、一つ一つが大きく迫力のあるものだった。しかしこれらは始まりに過ぎなかった……この日からダルクリース家公爵令嬢アイアスは、これからの毎日の殆どを、この鍛冶場で過ごすことになるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます