第17話 兄ちゃんの涙
二人が去った後の庭園は、心なしか輝いて見えた。
いや、きっと気のせいではないのだろう。
その証拠に、と言ったら大袈裟だけど、この家を纏っていた威圧感みたいなものが、ずいぶんと和らいだように感じる。圧巻なお屋敷には変わりないのだけれど。
「……頼」
「はい、旦那様」
皆でしばらく空を見上げた後、壮介さんが始めに口を開いた。
「お前の結婚……については後程詳しく聞く。……すまなかったな」
「いえ!自分で考えたことなので」
「……それでも、すまなかった。でも、先に彼らを」
「はい。承知致しております。一樹くん、優真くん、翔真くん。どうかこちらへ」
頼さんは、俺たち兄弟を屋敷へと案内してくれた。
始めは三人で遠慮したけれど、私達が奥様とお嬢様に叱られると言われたら、お邪魔するしかなかった。……まあ俺らも、目の前で叱れている旦那様を見ちゃったしな。
そして、うちのアパートの二部屋分はあるであろう広さの部屋に通された。
「まあまあ、いらっしゃい。この家に若い子がいらっしゃるのは久しぶりだわ。たくさん食べてね。……主人から聞いたわ。お嬢様たちを……ありがとう」
慣れない高級感に萎縮している俺たちに、気さくに話しかけてくれた人の良さそうなこの人が、ひまりがよく言っていたお手伝いさんらしい。関さんの奥様だ。
「私も、一目お会いしたかったけど……でも、本当に良かった。このお屋敷も、明るくなった気がするわ」
「関さん。すみません、俺たち気が利かなくて」
会いたかっただろうな、本当に。
「いやだ、気にさせちゃうわね。確かにお会いしたかったけど、きっとあちらの都合もあるのでしょう。さあさ!それよりたくさん召し上がれ!今、旦那様たちもいらっしゃいますからね」
「「「い、いただきます……」」」
さあさあ!と、ぐいぐいとお皿を差し出され、お菓子をいただく。
「うわ、うまっ」
「高級だなあ。これ、ひとみにも食べさせたいなあ」
本当だな、と双子のやりとりに相槌を打ったところで、壮介さんと頼さんが部屋に入ってきた。
「その菓子は、口に合うか?」
壮介さんが、俺たちの向かいのソファーに腰かけながら聞いてきた。頼さんはソファーの横に立っている。主従って感じだ。
「はい!とても美味しいです!ひとみにも食べさせたいなって、今」
「ひとみ?」
俺と翔真で、真ん中に座っている優真を肘でつつく。素直なのはこいつの長所ではあるんだけど、ポロリも多いのが困りものだ。
「あ、俺たちの妹です。……ちょっと今、体調を崩しているので、今日はいないのですが」
「そうなのか?それは心配だな。……ん?一人で留守番しているのか?具合が悪いのに?」
「いえ、あの、それは……入院、しているので。大丈夫、と言いますか、その……」
俺はどこまで話すか悩む。これはうちの問題だし。
壮介さんは、訝しそうな顔をしていた。この人、真顔が怖いんだな。勘違いされるのも分かる。仕事に厳しいと言うのもあるのだろうが。
「まあ、まあ、一旦落ち着きませんか?旦那様、それよりもまずお礼では?」
「あ、ああ。そうだな、すまん。今日はいろいろと手間をかけた。……ありがとう」
壮介さんが俺たちに頭を下げる。それはそれでいたたまれない。
「あのっ、本当に俺たちも楽しかったので、大丈夫です!こんな……お役に立てたなら、本当に良かった。なっ?」
「はい!ひまりちゃんも喜んでくれたし!」
「僕たちこそ、貴重な時間を過ごさせてもらった感じです」
俺たち三人が口々に言葉を重ねると、壮介さんと頼さんは、眩しそうにこちらを見ていた。
「本当にお人好しなんだな、君たちは」
「そんな……」
「で?」
「はい?」
「ひまりと会ったきっかけから、詳しく聞いても?」
「えーっと……」
ちょっと闇バイトのことは言いづらいぞ。
きっと今、俺の目線は泳ぎまくっているに違いない。背中に嫌な汗も流れる。
「こんなことは言いたくないが、私はそれなりに金持ちで人を調べることも容易くできてね?まあ、とはいえ、余計な金を使わずに済むなら、それに越したことはないのだが」
「えーっと……」
「どうする?」
壮介さんの怖い笑顔の威圧感と、双子二人に「どうせバレるんだから、自分で話しなよ」と突き放され、俺は諦めて全てを話した。
父もおらず母さんが亡くなり。不幸が重なるように妹に病気が見つかり、やさぐれかけたこと。闇バイトで壮介さんを知ったこと、それをひまりに見られてからいろいろあったこと。
俺がひと通り話し終わると、壮介さんは押し黙り、膝の上で手を組んで、下を向いて難しい顔をしていた。
やっぱり、闇バイトの
「あ、あの、すみません、俺、闇バイトなんて……」
「ーーーそんなことはいい。君は結局やってないだろう」
せめて謝ろうと口を開くと、壮介さんが被せるように言ってきた。
「でも」
「いいんだ!いや、違う、すまない、声を荒げて……これじゃ八つ当たりだな……」
はーーーっ!と、壮介さんは大きく行きを吐いて、頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
それを見た頼さんは、どこか嬉しそうに微笑んでいる。
「ーーー頼」
「はい」
「その、闇バイトやら……面倒そうなもの、今まで放置していただろう。あれらを全部何とかしろ」
「はい。承知致しました」
「わあ、良かったねぇ!兄ちゃん。ひまりちゃんもますます安心だね!」
「ああ。そうだな」
また優真がポロリとするが、嬉しいことだし、よしとしよう。
「……君たちは、本当にこう……。ダメだ、自分の情けなさが辛くなってきた」
「いろいろコールド負けだよね、壮介。じゃなくて、旦那様」
「いい。もうお前もいつも通りで好きにしろ」
「はは、了解」
突然気安くなった二人に俺たちが驚いた顔をしていると、頼さんが二人は従兄弟なのだと教えてくれた。仕事中は公私を分けて接しているのだと。幼馴染みで、親友でもあるそうだ。
「それで?この後どうするの?壮介」
「決まっているだろう。早急に手続きをしろ」
「はいはい」
「手続き?」
俺らがきょとんと聞き返すと、壮介さんはさらっと驚くことを口にした。
「ああ。君たちを私の養子に迎えたい。もちろん、病気の妹さんもだ」
「はっ……?」
突然のことに、三人とも言葉が出ない。お互いに顔を見合わせる。
「……嫌か?」
俺たちの沈黙に、不安そうに壮介さんが訊ねる。
「いや、じゃないですけど……いやいや!そんな!大変です、申し訳ないです」
「君のいう大変さが、金銭面のことを指すならば何の問題もない。守銭奴と陰口を叩かれるほど持ってるからな」
うん、ちょっと知ってる。じゃ、なくて。
「でも、ひとみもどうなるか……。ご迷惑を……」
「君たちは、私の家族の恩人だ。……私を……みっともなく世界一不幸なのは自分だと、そう思っていた恥ずかしい私を、日の当たる道へと戻してくれた。妻も言っていたが……君たちのように動ける人間など、なかなかいない」
「でも、そんなのは」
「だから、当たり前ではないんだよ。それとも何か?ひまりの兄になると言うのは嘘だったのか?」
「そんな、ことは」
「……私を、君たちの親にさせてくれ。ひまりにしてあげられなかったことを、してあげたいという勝手な思いもあるんだ」
「壮介さん……」
俺は目を閉じて、天井を見上げる。
ひまりが、笑って頷いている気がした。
「……分かりました。お話、ありがたく受けさせていただきます。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願い致します!」
「!そうか!うん、そうか!ありがとう、一樹くん。優真くんも翔真くんも、大丈夫かい?」
「僕たちは、兄ちゃんが少しでも楽になれたら嬉しいので!」
「よろしくお願いします!」
壮介さんも頼さんも、俺たちの言葉に嬉しそうに微笑んでくれている。
「良かった、受けてくれて。ーーー今まで、よく頑張ったな、一樹くん。もう、大丈夫だ」
壮介さんがそう言って、俺の頭に大きな手を置いた。その瞬間、俺の視界はなぜか滲んで。
「あ、兄ちゃんが……」
「ほんとだ、やっとだ……」
優真翔真が何か言っている。やっとって何だ。
「「わあーん!やっと兄ちゃんが泣いた~!よかった~!」」
え、俺泣いてるのか?だからこんなに視界がぼやけてるのか。……そうか……。
「お前たちまで、また泣くなよ」
双子二人に抱きつかれたまま、俺たちはしばらく泣いていた。
大人たちはそんな俺たちを、温かく見守ってくれていた。
そうか、安心感って、こういうことなんだな。
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