第4話 変化の予感

 まるでデートみたいな一日を過ごしても、私たちの関係は変わらなかった。

 当たり前だ。進むのは私の脳内妄想だけで十分だ。

 一応、たんなるお隣さんから、友達まで進化した気はするけど、それも脳内妄想かもしれない。


 つかず、離れず、親密だけど、友達としての一線は越えない。

 そう、今までと同じで安心する。

 

 本格的な夏に突入した七月にもなると、葛城くんと少しタイミングが合わなくなった。

 仕事ではなく、彼は私的な用事で忙しいらしい。


 朝は同じ時間に通勤するけれど、日常の買い物や帰宅時間がズレていく。

 必然的に、会話も減って、葛城くんの食事メニューもわからなくなった。

 それどころか、ちゃんと食べているのかも怪しい。


 なんだか心配だ。

 いや、ただのお隣さんだから、心配するのもおこがましいわけで。


 部屋が隣ってだけの相手と、親密に関わりすぎたのかもしれない。

 今までがおかしかったのだと理解しつつも、当たり前にあった共有時間が減るのは、やっぱりさみしい。

 

 なんてことを考えながら、グズグズとスーパーで買い物をしていたら、久しぶりに葛城くんに会った。

 ちょっとした偶然なのに、一気に私の気分は上向きになる。

 我ながら単純であった。

 

 久しぶりの葛城くんは少し痩せて、なんだか疲れていた。

 夏は暑くて料理したくないねと言いながら、電子レンジで特売の豚コマともやしを使った蒸し野菜を作ろう、なんて言いながらプラプラと一緒に夜道を歩いた。

 

 肩を並べて歩いているだけなのに、こんな些細なことが嬉しい。

 私は無意識にニコニコしていたらしく、良い事があったんだねって葛城くんに笑われて、ものすごく気恥ずかしかった。

 

 あなたに会えて嬉しい。なんて、とても言えない。

 

 ぽわぽわと浮かれた気分でアパートに帰ったら、私の部屋の前に男がいた。

 誰? と警戒する間もなく「遅い!」と怒鳴られて、弟の祐介だとわかった。

 めったに実家に帰らないので、久しぶりに見たら高校生から大学生に進化したのが目で見てわかり、なんか大人になっている。

 

「どうしたの? 祐介、なにかあったの?」

「そいつ、なんなの?」

「そいつって、葛城くんのこと? お隣さんだけど……」


 困惑している私を尻目に、祐介は葛城くんを睨みつけた。

 ズカズカと大股で近づいてくると、私の手から買い物袋を奪い取り、グイッと肩を抱かれた。

 葛城くんに向けるのは、思い切り敵意に満ちた表情である。


「どーも。俺の紗那がお世話になりました」


 弟よ。

 おねーちゃんは、いつからおまえのものになったのか、教えてもらいたい。


 困惑する葛城くんが「君は?」って尋ねているのに、祐介は無視して、私の肩を抱いたまま鍵を奪い取る。

 無言で扉を開けると、私は部屋の中に押し込まれた。

 祐介も部屋に入る直前、葛城くんの方を見てフンと鼻で笑い、なぜか勝ち誇った表情を見せつけて扉を閉めた。


 弟よ、いったいどうしたのだ。

 おねーちゃんは君の行動についていけない。


「こーの、バカ紗那! お隣さんだからって、夜に男とフラフラ出歩いてんじゃねーぞ」

「出歩いていたわけじゃなくて、スーパーでたまたま一緒になっただけですぅ!」

「なぁにが、ですぅ、だ。コケシみたいなチンチクリンでも、自分が女だっての自覚しろよ。うかつな事ばっかしてっと、実家に連れ帰るぞ」

「いや、それは勘弁。ごめんなさい」


 偉そうに怒る祐介の気持ちはわからないが、実家に戻りたくはない。

 家族とは仲が良いけれど、双子の兄・二人と態度のデカい弟が幅を利かせる、むさくるしい男所帯なのだ。

 父は母に夢中だが、私と同性であるはずの母はボーイッシュで、性格が男前だった。

 ねじり鉢巻きで餡子を捏ね上げるショートカットの職人姿は格好良いけれど、女らしさから遠い。

 

 わさわさと図体のデカい男どもが動いている中に、ちんまりした座敷童の私が混じるとどうなるか、おわかりであろうか。


 そそり立つ家族に視界がふさがれて、前が見えない。

 仲良く過ごして話していても、物理的に狭くて居場所がない。

 家族全員が男臭いので、家の中にとにかく潤いがない。

 潤いだけでなく、華やかさも、安らぎもない。

 汗臭く、むさくるしい空気が辛い。


 家族の中で、唯一の女の子として可愛がってもらえはするが、しょせんは愛玩動物か珍獣かコケシ人形である。

 物理的に居心地が悪くて、委縮しているうちに私は内向的な性格に育ってしまった。


「だいたい、なんでお隣さんとそこまで仲がいいんだよ」

「なんでだろ? 葛城くんが親切で良い人だから?」

「そんなわけあるか。避けようと思えばいくらでも避ける方法があるのに、わざわざ親切ヅラで関わってくるヤツだぞ。下心ありだって怪しめ。もっと警戒しろ。おバカで良い人なのは、姉貴のほうだぞ」


 これだから男に免疫のない奴は! と、祐介にひとしきり怒られてしまった。

 お前は女なんだぞ、とガクガク肩を揺さぶられて目が回る。


 ずっと祐介は怒っていたけれど、とりあえず実家に届いた私宛の郵便物や、親からの差し入れを配達して、夜も遅いからって一晩泊って、悠々と実家に帰った。

 今度は連絡してから来てねってお願いしたけど、バカ紗那には不意打ちぐらいがちょうどいいって生意気なことを言って去っていった。


 祐介にひどく怒られたものだから、葛城くんが元同級生だと言い出す隙もなかった。

 もし、元同級生だと言ったら、その程度の理由で信用すんなって、さらに怒られそうな気がするので、秘匿は必要悪な気もする。

 家を出るまで、祐介は鬼と化してプリプリ怒っていたので、連泊されなくて本当に良かった。


 いなくなったからと言って、平穏無事というわけでもなかった。

 祐介が置いていった往復はがきに、目が泳いでしまう。


 高校時代の、同窓会のお知らせ。

 つい、葛城くんが住んでいる部屋の方向を見る。

 

 彼はきっと、出席するだろう。

 幹事の名前が彼と仲の良かった男子だし、こういう催しの手伝いをしていない葛城くんって、想像できない。

 

 私が元同級生だって、いまだに葛城くんは気が付いていない態度だし、悩ましい。

 私が出席して元同級生だってわかったら、気の合うお隣さんという、居心地の良い関わりが終わってしまうかもしれない。

 終わらないかもしれないけれど、変わるのは確かだ。

 

 騙しているわけでもないし、言う必要もないことだけど。

 二人だけで閉じていた関係の、変化した先が予想できなくて……ただ怖かった。

 

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