第三十五話 台風の目で日向ぼっこ大作戦

「最近、雨が多いです。サイアクです」


 音流の沈んだ声を聞いた後、陸はどんよりとした空模様を見ながら呟く。


「しばらくは続きそうだな」


 その横で音流は不満そうに頬を膨らませながら、傘をクルクル回している。かさや長靴には猫のマスコットキャラクターが印刷されているが、どちらもサイズが小さくて歩きづらそうにしている。


 春は息を潜め、夏が近づく中、梅雨を迎えていた。


 ニュースを見る度に台風何号と耳にする季節。今年は特別に台風の数が多く、傘や長靴が手放せない日が多い。


 放課後、教室で独りでいた音流に声を掛けたことで、一緒に帰路についている。


「ずっと日向ぼっこが出来ていません。このままでは日向ぼっこ欠乏症で死んでしまいます」


 音流が深刻な顔をぶら下げて、珍妙なことを言い始めた。


「え? 日向ぼっこをしないと死ぬの?」

「そりゃもう、死んじゃいますよ。全身の皮がシワシワのダルダルになった上に、歯が抜け落ちて、目がぼやけて耳が遠くなり、挙句の果てには腰が曲がって死んじゃいます」


 その姿を想像してしまい、恐ろしい、と陸は身を震わせた。しかしすぐに自分の間違いに気づく。


「それって年を取っただけじゃないの?」

「バレましたか」


 音流はわざとらしく舌を出して、茶目っ気のある笑顔を見せた後「冗談はさておき」と閑話休題かんわきゅうだいした。


「せめて、青空を一目ぐらい見たいです」


 音流は空を見上げて、陸もつられるように目線を上げる。厚く暗い雲に覆われた空が広がるばかりで、切れ目すら見えない。


 陸は今朝見たテレビの天気予報を思い出した。曇りのち台風。台風のち曇り。台風一過になることなく、晴れの日は一日もなかった。しばらくは日向ぼっこはできないだろう。


「あー、このままじゃもちませんよ」


 口調は軽かったのだが、ふと顔を見ると何かに耐えてているような表情をしていた。陸はしばらく考えた後、軽い気持ちで口を開く。


「いっそのこと台風の目にいくしかないね」


 陸としては冗談のつもりだった。しかし音流の口角がつり上がってくのを見て、口に出したことが失敗だったと気づいた。


「いいじゃないですか!」


 音流はギラギラと目を輝かせながら、陸に顔を近づけた。陸を夜の校舎探検に誘った時と同等か、それ以上の輝きを放っている。興奮のあまりに陸の手を握りしめ、振り回している。


「想像するだけで興奮します。台風の目で日向ぼっこ!」


 音流は興奮のあまり叫んだ上に、水たまりの上を跳ね回り始めた。


「正気!?」と陸は甲高い声で反対したのだが、もはや音流の耳に届くことはなかった。


 それどころか


「ロマンがありますよね。周囲では雨が横殴りになっている最中さなか、ど真ん中の晴天の下で眠れるんですよ。考えただけで涎が出てきます」とさらに想像を膨らませていく。


 音流の顔がどんどん明るくなっていくのに対して、陸の顔は曇っていく。


「冷や汗を出してほしいよ。ゆっくり寝ていると豪雨にさらされるよ」

「その刹那の時間を味わいたいのです。風邪を引いても、それは必要経費ってやつです」


 音流は零れんばかりの笑みを浮かべて、舞い上がっていた。


 そうして日向ぼっこに飢えた少女は『台風の目で日向ぼっこ大作戦』の計画を練り始めた。


 手始めにスマホを操作して直近の台風情報を確認すると、都合がいい情報ばかりが並んでいた。


 台風の通り道に住んでいる町があった。


 それは休日の昼間だった。


 これ以上の好条件はないだろう。


 音流の日向ぼっこに対する執念が台風を呼び寄せたのか、『台風の目で日向ぼっこ大作戦』に現実味が帯びてきた。


 次の日曜日——4日後に決行となった。


「今更言うのもなんですけど、同志も付き合わなくてもいいんですよ?」と音流が心配気に言うと

「僕もロマンを感じてるから」と陸ははにかんだ。


 心配半分、好奇心半分で付き添うことを決めていた。


「それではいっそのこと、楓さんも誘いましょう」


 音流としては善意で口にしたのだろうが、、陸の顔が露骨に歪んだ。


「まだ仲直りできてないんですか?」


 陸は言葉で答えず、顔を背けた。


 君乃の依頼でストーキングをした日以来、陸と楓は一言も話していない。最初は陸から話しかけようとしていたのだが、明らかに無視する態度にイラついて、ムキになってしまった。そうしているうちに関係はどんどん険悪になり、今や顔を合わせるのも気まずい状態だ。


「何があったのかは知りませんし、訊きませんけど、ウチとしてはちょっぴり寂しいです。まあ、カラオケとかで楓さんとちょくちょく会ってはいるんですけど」

「……ごめん」

「その一言を楓さんにも言えればいいんですけどね」


 鋭い指摘を受けて、陸は情けなくて下を向いた。


(わかってはいるんだけどなぁ)


 陸としても早く仲直りした方がいいのが分かっている。『Bruggeブルージュ喫茶』に行けば否が応にも会うため、レアチーズケーキを十全じゅうぜんに楽しめずに困っていた。


(でも、いまいち納得できない)


 喧嘩の発端が"切り株に座ろうとした"からなのである。あの切り株が楓にとって大事なものなのは陸も理解している。しかし時間が経てば経つほど"切り株に座ろうとした"からで突き飛ばすのはやり過ぎだろ、と怒りが湧いてきている。


(僕から謝るのもおかしくない?)


 陸は大分意固地になっているし、素直になれていない。とりあえず謝れるほど大人にもなっていない。


「同志、随分考え込んでいますね」


 音流の呼びかけに意識を戻され顔を上げると、目と鼻の先に少女の顔があり、驚きのあまり飛び退いた。


「考えるのも悩むのも結構ですけど、ちゃんと言葉にしてくださいね。手遅れになる前に」


 そう言う音流の表情は、少し大人びて見えた。心配と不安に駆られながらも、目の前の人間を信じている。そんな強い意志を感じさせる。


 しかし、それもほんの一瞬で、すぐにいつも通り柔和な顔に戻る。


「大丈夫ですよ、同志は誠実ですから、きっと伝わります。ウチが保証してあげます。なんなら保証書を発行しましょうか」

「そこまではいいよ」と言いながら、陸の頬は緩んでいった。


 それから二人は計画を具体的に練り始めた。


 計画と言っても、細かいところは当日の天気次第だ。軌道が逸れたり熱帯低気圧に変わる可能性だってある。むしろ思い通りに進む可能性の方が少ないだろう。


 当日は行き当たりばったりで行くしかない。それでも、想像するだけで二人は楽しかった。

 

 それから当日の間、陸と音流は顔を合わせる度に台風の話題に声を弾ませていた。時には夢中になりすぎてチャイムに気づかないことすらあった。


 それだけ楽しみにしていたし、浮き足立っていた。


















 それだけに、落ちた時の衝撃は——。

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