第30話 絶対絶命
ベッドから起き上がる彼女は、間違いなく俺の愛妻であるフェスカ・サバスだ。
なのに何故、陛下を見ながら「お父様」などと口にするんだ。
「シャラ、シャラよ……おおおおおぉ……うおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!」
皇帝の咆哮が狭い室内に響き渡る。
飛びつくように起き上がったフェスカを抱き締めながら、妻の額にキスをした。
彼女もそれが当然であるかのように受け入れ、陛下の頬にキスを返す。
やめてくれ、なんでフェスカがそんな事を。
「お父様、私、一体」
「いいんだ、今はここにいるだけでいいッ!」
「そんな……あら、貴方は?」
「フィルメントだよ、宜しくねお姫様」
一体何なんだ、何が起きてるんだ。
そこにいるのはフェスカじゃないのか。
姿形が全部変わらないのに、なぜ。
「……そこの方は、近衛兵、ですか?」
「な、何を言ってるんだ、フェスカ、俺だよ、アルだよ」
「アル……?」
青玉の瞳をきょとんとさせて、俺を見る。
仕草だけで絶望してしまう、フェスカだったら絶対にしない仕草だ。
「なぁ、思い出してくれよ、俺とフェスカは夫婦だったじゃないか。マーニャだってこの城のどこかにいる。三人でまた一緒の家で過ごそう? こんな場所はフェスカには似合わない、またヴィックスの家に帰って、三人で一緒に――」
近寄る俺のことを、陛下が遮る。
これまで見た事のない形相だ。
娘を守る父親、獅子の王たる威厳。
「……繰り返すが、ここにいるのは余の三女、シャラだ。君の妻ではない」
「そんなはずがない、フェスカなんだ、俺の妻なんだ」
「時には諦めが肝心だぞ、サバス君。奥様は病にて亡くなられたと聞いている。君はそれを受け入れるんだ」
あの墓には何も入っていなかったんだ。
なぜ陛下まで嘘を付く、一体全体なにが何なんだ。
「……受け入れる事は、出来ません」
「では、どうすればいい? どうすれば君は納得する? 言っておくが、余は最大の譲歩を君に与えているのだぞ? いま君が相手をしているのが誰なのか、理解しているのか?」
「理解しています、だけど、理解できません! そこにいるのは俺の妻だ!」
「否ッッ!!! 余が愛娘、第三王女シャラだッッ!」
怒り狂った形相の皇帝が叫ぶ。
それと同時に、皇帝の背後に巨大な騎士の姿が。
誰だ、鎧を着こんでいる騎士のようにも見えるが、大きすぎる。
それに腕が六本? 普通の人間じゃない、魔人か何かか?
「特例試験を終え、これからを期待して非礼の数々を耐え忍んでいたが。そもそも第二白銀騎士団は何をしておる。尖塔の守りすら任せられないようでは、奴の職責をも言及せねばならんな」
「陛下!」
「黙れ」
巨大な騎士が大きく腰を捻らせると、その手に光の大剣が生まれる。
とてつもなく巨大な剣は、出現しただけで室内の石壁を破壊した。
切っ先が野外へと出ている……規格外すぎる、人間が振り回せる剣じゃない。
「フィルメント君、娘を安全な所へ」
「かしこまり。またね、隊長」
青髪の女が指をパチンと弾くと、彼女たちの頭上に黄金に輝く輪っかが生まれる。
転移魔術? そんなものまで開発されていたのか。
だとしたら、ここでフェスカを失ってしまったら、もう二度と会う事が出来なくなる。
「それだけは――」
「させんよ」
俺が飛び出したのと同時に、六本の剛腕が俺を殴り飛ばす。
速すぎる、そして強すぎる。
「がはっ!」
吹き飛ばされた衝撃で、壁の中にめり込む。
肺の中の空気が全部出てしまったか、呼吸がっ。
「世の中には、余を単なるお飾りだと思っている輩がいるらしいな」
ゴッ ゴッ ゴッ ゴッ ゴッ
六本の腕が次々に、規則正しく襲い掛かってくる。
防御なんて意味がない、俺の腕ごと破壊するつもりか。
「皇帝とは、そんなに甘い存在ではない。サバス君、君は不殺隊と呼ばれていたらしいな。たかだか三十名の隊員を殺させなかった、それだけで英雄視されるとはな」
「……別に、英雄なんて……」
「誰が口を開いて良いと言った」
殴り掛かってきた手が急に開き、顏が、握りつぶされる。
ぐぬぅ、ぉぉ……おぉぉ。
「余は四十万の民を死なせてしまった。だが、尊い彼らの犠牲により、二千万の国民の命を救ったのだ。余と貴様、どちらが英雄と呼ばれるにふさわしい? 歴史に刻まれるのはどちらだ?」
「ぐぅ……うぅ」
「サバス君、君に最後のチャンスを与えよう」
三本の手で握りつぶされようとしていた顔が、急に開放される。
視界が点滅している、目が、良く見えない。
「今まさに転移しようとしている金髪の女性。彼女の名は?」
そこにいるのが誰かなんて、聞かなくても分かってるだろうに。
雰囲気と匂い、側にいるだけで分かるんだ。
「…………フェスカ」
蠟燭の炎のように視界が揺らぐ。そんな中、一番近くにいる皇帝の表情が、少しだけ見えた。
口端をわずかに下げ、それでいいんだと言っているような顔をする。
見間違い……か? 目をこすりもう一度見ると、皇帝の口端は元へと戻っていた。
「……そうか、優秀な部下を失うこと、誠に残念だ」
――
幾本もの光輝く大剣が壁を壊しながら俺へと迫る。
皇帝のみが使える特別な魔術なんだろうな、皇魔法なんざ聞いた事がない。
……不思議だ、なんだか時間がゆっくりに感じる。
フィルメントという青髪の女の魔術によって、フェスカの姿も段々と消えていく。
家族三人で、ただ楽しく生きていたかっただけなのに。
マーニャは無事なのだろうか。
フェスカはこれからどうなってしまうのだろうか。
死ぬ訳にはいかない。
何としても、俺はこんな所で死ぬ訳にはいかないのに。
フェスカ……。
「……ゃん」
……彼女の口が、動いている?
いつの間にか涙目になりながら、ゆっくりな世界で彼女が叫ぶ。
「……アルちゃん!」
塞ぎかけていた目が一気に開く。
泣きながら叫んでいるのは俺の妻だ。
かけがえのない、世界でたった一人の最愛の人だ。
彼女に何かあったとしたら、俺は相手が誰であろうと許さない。
絶対に殺す。妻と娘に手を出したのなら、国が相手だろうと許しはしないッ!
「フェスカあああああああああああぁ!」
「くどい」
それまでとは違う、巨大な剣がさらに巨大化し、壁となって俺に迫りくる。
既に避けれる大きさじゃない、あんなに巨大なのに、剣速が全く落ちていない。
クソが、せっかくフェスカが俺の名を呼んでいるのに、俺は、俺はあああああぁ!
「ぐううううううううううぅ!」
横殴りにされて、また壁の中に……違う!
壁を破壊して、そのまま外に放り捨てるのか!
「―――――がはっ!」
凄まじい勢いで壁に衝突し、石壁を崩して外へ。
月明かりすらない夜雨の屋外に、極光に輝く大剣が尖塔を照らし上げる。
皇魔法、国裁き……まさに、人を裁く権利を持ちし者の魔術だとでも言いたいのか。
中空に投げ出された身体が、回転したまま落下を始める。
このままじゃ不味い。
高すぎる、落ちたら間違いなく死ぬ。
ダメだ、掴む物も、落下を止める術も、何もない。
超高速で遠かった下階の屋根が迫りくる、せめて受け身を。
受け身なんかでどうにかなる高さじゃない!
死ぬ!
「っとぉ!」
「な、誰だ!」
途中の窓から誰かが飛び出してきただと!?
しかも空中で落下している俺の身体を抱き締めるなんて、なんて無茶を!
し、しかし、おかげで落下速度はかなり下がった!
これなら助かる!
「誰だか分からんが、死ぬなよ!」
「了解隊長!」
「――、ダヤン君か!?」
「喋ってると舌噛みますよ!」
ダヤン君、尖塔の途中から身を投げて俺を受け止めたというのか!?
空中殺法が得意な彼なら出来なくもないかもしれんが、さすがに神技が過ぎる!
「戦技:神鳥の強襲!」
ダヤン君の剣が緑色の風を生み出すと、俺達を持ち上げるかの如く強風が吹き荒れる。
だが、さすがに落下の全てを止めることは出来ないらしい。
「ぐあぁ!」
「うげぇ!」
屋根に激突し、そのまま転がり続け、一段、また一段と段々になっている屋根を落ちる。
あと一段落ちたら地面まで真っ逆さま、という所で、何とか踏みとどまる事が出来た。
雨で濡れた屋根がこんなにも滑るとは……苔かな、恐ろしい。
「――っっぶねぇ、本気で死ぬかと思った」
ここから落ちたら、絶対に助からないだろう。
下を見るだけで身震いする、それほどまでに地面が遠い。
「……ダヤン君、助かった」
「いいですよ、戦争で何百と助けてもらってますからね」
「貸しひとつだな」
「いいですって。それより色々と聞きましたよ? 奥さん、助けに行くんですよね?」
当然だ。
こうして生きているのなら、この命、妻と娘の為に使うのみ。
「なら、隊長は当時の姿を取り戻さないとですよね」
「……しかし、アレは」
「持ってきました。これを装備しないと、サバス隊長とは呼べません」
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