第26話「祭りの始まり」

 ついに炎龍闘祭が幕を開ける。

 帝都最大の円形闘技場には色鮮やかな天幕が張られ、階段型の客席には観客が詰めかけている。そのほとんどは肌の焼けた屈強な獣人族だが、最前列には庇を立てて泰然と佇む貴族も多く、また後方には男の姿も多い。屈強で雌々しい剣闘士たちは、一部の男性達から熱烈な視線を向けられるのだ。

 闘技場の中心、砂地の舞台には、この日のために帝国各地から集結した剣闘士たち。その数は千を遥かに上回ると言われている。しかも、ここに入り切らなかった者も大勢いるというのだから、総勢ではどれほどになるのかも分からない。

 今日は武器を外し、簡素で露出の多い布の服だけを身に纏った剣闘士達も、並いるライバルたちを睨みながら、既に闘志に薪をくべていた。


「帝国建国の時代より、我らに強き力と熱き炎を与えたもうた炎龍に、此度も血が滾る激闘の熱を奉らん。連綿たる祖霊の血脈と築かれたる石の城、長き道は世の隅々にまで至り、我らが繁栄はより一層輝くだろう」


 闘技場の最上段に築かれた神殿は、ここで行われる闘いを見守る炎龍のものだ。祈祷師たちが白い衣を広げて、花や酒、子牛といった供物を奉納する。厳かに儀式は進められ、聖火台には炎龍の象徴とも言える炎が立ち上がった。


「これまでの恵みに感謝を。そして、今後一層の繁栄を願い、ここに新たなる闘いを。剣戟を鳴らし、雌叫びをあげ、互いに骨肉を断ち削ぐがごとき華麗なる闘いを捧げん」


 祈祷師が祈りを捧げ、炎が闘技場を駆け巡る。煩いぐらいに興奮していた観客達も、獰猛な野獣のように昂っていた剣闘士達も、その一瞬だけは静寂を取り戻し、一心に祈る。

 そして、ラッパが高らかに鳴り響く。

 荘厳な楽団の演奏が空へと広がり、再び闘技場は白熱した活気に染め上げられた。

 その時、客席の最前列、もっとも間近から闘いを見ることができる最上の席で、大柄な獣人女性が立ち上がった。巌のごとき巨躯を褐色に焼いた、鋼のような偉丈夫だ。彼女は真紅のマントを翻し、闘技場にいる全ての人々に向けて、不思議なほどよく通る声を発した。


「五年に一度、最強の剣闘士が決まる。余の治世において、再びこの絢爛たる闘争の大祭が開けることを、心より嬉しく思う」


 身長は2メートルを遥かに超えている。〈ソルオリエンス〉で一番背が高いケナよりも、更に高く、また横幅も大きい。極限まで鍛え上げられた筋肉が至上の鎧ということか、彼女は胸と腰回りを隠すだけで、あとはマントしか身に纏っていない。

 その勇猛な顔付きは帝国の武威を、たわわに実った豊かな胸は帝国の豊穣を示しているようだ。


「これより、ベスティア・パトリア・レギナの名の下に、炎龍闘祭の開催を宣言する!」


 その女性――帝国の頂に立ち、唯一無二の冠を戴く者、“鉄拳皇帝”ベスティア・パトリア・レギナの宣言によって、いよいよ大祭が幕を開けた。


━━━━━


 大祭の開幕を伝える喝采が、遠くから響く。石柱に囲まれた部屋で円卓を囲み、彼女たちはそれを聞いていた。

 五年に一度開かれる炎龍闘祭は、伝統も長き帝国の歴史そのものだ。その進行には僅かな失敗も許されず、誇りと矜持を忘れてはならない。この日のために、帝国の懐からは莫大な資金が投じられている。数年前から闘技場の大規模な改修が行われ、設備も一新された。また、本戦に使われる大闘技場だけでなく、帝都内にいくつも存在する全ての闘技場が、その対象となった。

 広大な帝国領の方々から、多くの人が集まるのだ。それは剣闘士だけでなく、商人や庶民も含まれる。


「すでに町は人が溢れ、路上で夜を過ごす者も出てくる始末。六階までと定めた法も無視して、今では十階に迫る建物も多い」

「全く。いつ崩れてもおかしくないわね」

「それだけしても人を収めるには足りないということです。帝都は狭すぎる」


 円卓を囲む老女たちは、揃って身なりも良く、余裕を称えていた。

 彼女らのもとには次々と民からの要望や苦情が、庇護者パトロヌスの口を通じて上がってくる。それに対処し、帝都をよりよくすることが、彼女たち元老院の役目であった。


「夜間の警備を手厚くせねば」

「軍に要請をかけましょう」

「火を起こすわけにはいかない」


 五年に一度の大祭。それに伴う人の流入によって、帝都は治安も悪くなっている。普通ならば、それは元老院よりもさらに下の治安組織によって対処されるべき問題だ。だが、あまりにもあちこちが軋みを上げて、彼女たちだけでは手に負えなくなり、元老院にまで声が上がってきたのだ。


「なんとか無事に終わるといいのだけど」


 古くから帝国の歴史に名を残す名門貴族の女が物憂げに窓の外を見る。炎龍闘祭が始まり、今日から各地の闘技場で予選が行われる。十二日に及ぶ長い長い、闘争の始まりだ。


「私も見にいきたいのに……」


 思わずこぼれたそんな言葉に、周囲の元老院議員たちがぴくりと耳や尻尾を動かす。


「私だって行きたいわよ」

「何が嬉しくてこんなババァばっかりの部屋でグチグチしないといけないのか」

「貴女だってババアでしょうに」


 いくら歳を取ろうが、獣人族の血の気の多さは変わらない。一瞬で剣呑な雰囲気となった会議室に、壁際に控えていた兵士たちが冷や汗を垂らす。


「落ち着きなさい。全日程が潰れたわけでもないでしょうに」


 やいのやいのと言い合う議員たちを諌めたのは、この中で最も老齢で家格も高い女だった。彼女の一言で、円卓は水を打ったように静寂を取り戻す。


「とにかく、祭りを中断させないためにも先手先手で対策を打たねば。少しの綻びも許してはなりません」


 目つきも鋭く、虎獣人の老貴族が断言する。それに追従するように、他の議員たちも深く頷いた。

 その時。会議室の扉が外から叩かれる。虎貴族の首肯を見て、控えていた兵士たちが扉を開くと、まだ若い議員が飛び込んできた。


「会議中申し訳ありません。少し、お耳に入れたいことがございまして」


 彼女はトーガの裾を掴み上げて小走りで円卓へと向かい、虎貴族の耳元に口を近付ける。

 囁き声がもたらした情報に、貴族は眉を寄せた。

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