第52話 曇り空の下で
帰宅後、
「はぁー」
誠也はもう何度目かわからないため息をつきながら、ベッドの上で仰向けになった。時刻は23時過ぎ。誠也にとって、とてつもなく長い一日はまだ終わっていない。
今一度、今日一日の出来事を振り返る。
まずは部長選挙以来続いていた、一部の2年生による不可思議な動き。先日の「リードケース事件」と今日の「体操服事件」は、どちらも真犯人が
一方で、多希自身のことに関しては、誠也自身どうすればよかったのかわからなかった。今日初めて見た、多希の胸と腕の傷跡。多希の心に深い傷を残しているであろうことは察するに余りある、衝撃的な傷跡だった。そして同時に誠也は、自分の無力さを感じていた。
「誠也がこの私の呪いを解放してくれるというの?」
多希はそう言った。多希が使った「解放」という言葉の重みを、誠也は今更ながら感じていた。
「私の全てを受け入れてくれる覚悟がないのに、中途半端に優しくしないでよ!」
誠也が多希の女性としての柔らかさにたじろいだ時、多希はそう言った。
「覚悟か……」
誠也は天井を見つめながらつぶやく。
「片岡は、多希ちゃんの全てを受け入れ、支える覚悟と自信があるの?」
誠也のよき理解者であるみかんは、かつて誠也にそう言って忠告した。しかし、誠也は未だにその言葉を理解できていなかった。
誠也は多希の苦しみを理解はしているつもりだ。だからこそ、真剣に多希を救いたい、助けたいと思っている。
しかし、それにはなぜ、「多希の全てを受け入れる覚悟」を求められるのだろうか? どうして「自分のできる限り」ではだめなのだろうか?
「わっかんねぇ~」
誠也は体勢を左向きに変え、枕元に転がっているスマホを拾い上げる。時刻は23時半を回っていた。あと30分で今日という日が終わる。しかし、誠也にはまだ大きな課題が残っていた。
「今日の24時にLINEしてね!」
今朝、えり子にそう言われたのが、誠也には遠い昔の様に感じられた。明日、誕生日を迎えるえり子。果たして、この約束は今でも有効なのだろうか?
多希の胸に残された忌まわしき刻印。多希がその傷跡を初めて誠也に見せた最悪のタイミングで、えり子はその場面に現れた。
誠也にも言い分はあった。これは不可抗力であり、ましてや、やましい気持ちなんてこれっぽっちもない。
でも、そんなことは全く関係ない。どのような理由があれ、そのようなシチュエーション自体が完全にアウトだということは誠也にも理解できていた。むしろその場を飄々と受け流してくれたえり子は非常に稀有な存在であり、驚きのあまり絶句した
そう考えると、自分にはえり子との約束を果たす資格がないように思われた。
えり子はどう考えているんだろうか?
えり子は今でも誠也からのLINEを待っているのだろうか?
いや、そう考えるのは傲慢か?
LINEしたらどうなる?
しなかったらどうなる?
誠也の思考は暫く堂々巡りをしていたが、24時まで残り5分を切ったところで、覚悟を決めた。
誠也は約束を果たすことを選んだ。それが今自分にできる、唯一の「誠意」だと思ったからだ。
誠也はベッドから起き上がると、正確な時刻を表示させるために、机の上にあるPCを立ち上げた。次にスマホでえり子とのトーク画面を開くと、文章を作成した。送る内容は極力シンプルに。
準備は整った。PCの画面上の時計が24時に向けて秒針を刻む。
(もし、未読スルーされたら?)
24時の5秒前、ふいに訪れる不安。それでも誠也は約束を果たすことを選んだ。
そして、23時59分59秒。まもなく24時になるという瞬間に、誠也はスマホの送信ボタンをタップした。
【えり子、16歳の誕生日おめでとう! 素敵な1年になりますように】
送った文章がトーク画面に反映された瞬間、誠也は軽く目を見開いた。誠也の送信した文章の横に、即「既読」の文字が付いたのだ。
既読――この二文字は時として、その本来の役割以上に大きな意味を持つことがある。とりあえず、誠也がメッセージを送った瞬間に、えり子が誠也とのトーク画面を開いていたということは事実なのだろう。しかし、それ以上のことは分からない。分からないのに、その理由をあれこれと推測してしまう。
えり子は自分からのメッセージを待っていたのだろうか? それとも、ただ偶然にトーク画面を開いたまま放置されていただけか?
誠也は大きく息を吐きだして、椅子の背もたれに身体を預けた。
しかし、その後えり子から返信はなかった。きっとえり子も色々と思うところがあるのだろう。誠也は黙ってえり子からのリアクションを待つ他なかった。
♪ ♪ ♪
9月9日土曜日。今日はえり子の16回目の誕生日。そして今日から2日間、誠也たちの通う村上光陽高校では文化祭が開催される。本来であれば気分も高揚するはずであるが、今朝の誠也は寝不足も相まってその表情は明るくなかった。
昨夜、えり子にLINEを送ったあと誠也は床に就いたのだが、なかなか寝付けなかった。少し寝たかと思えば、すぐに目を覚ます。その度にスマホをチェックするが、えり子からの返信はない。そうしているうちに朝を迎えた。
関東直撃が心配されていた台風は勢力を弱め、昨夜のうちに静岡県沖で熱帯低気圧へと変わったようだ。朝6時、誠也がベッドから起き上がり部屋のカーテンを開けると、曇ってはいたが雨は降っておらず、風も無く穏やかだった。
「なんだかな……」
嵐でもなく、晴天でもない。どっちつかずの曇天は、まさに今の自分の心境を表しているかのようで、誠也は思わず苦笑した。
「行ってきます」
7時15分。母親に見送られて誠也は家を出た。相変わらずの曇天を見上げ、誠也はふと、入学式当日の朝を思い出した。あの日も今日と同じような曇り空であったが、誠也の足取りは今よりずっと軽かった。
あれから5か月が経った今、誠也はすっかり通い慣れた道を複雑な思いで歩く。土曜日の朝は人通りもまばらだ。やがて駅の入り口に到着し、階段を昇る。いつもは駅の中にあるコンビニの前でえり子と待ち合わせをしているが、今日はその約束もない。思えばえり子と待ち合わせをせず一人で登校するのは、入学以来初めてのことだった。そのことに改めて気づいたとき、誠也の胸はまた痛んだ。
階段を昇りきり、角を曲がると左手にコンビニがある。誠也が何気なくコンビニの方に目を遣ると、ヒマワリのような笑顔と視線がぶつかった。
誠也はその思いがけない光景に思わず目を見開いた。
「おはよ~、片岡!」
えり子はいつものように笑顔で手を振るが、誠也はうまく反応できず、立ち尽くした。
「もにゃ? どした? オバケでも見たような顔して。私、ちゃんと足、生えてるよ~?」
そう言ってえり子はその場でわざとらしく足踏みをする。
「ごめん、いると思わなくて……」
誠也はそう言うのがやっとだった。
「うじゅ~。だってさ、同じ街に住んでて、同じ高校に通って、同じクラスで同じ部活で同じ楽器吹いてたら、どうしたって避けようがないじゃない?」
えり子はそう言って小さくウインクする。
「ま、まぁ……」
誠也は曖昧な返答をする。
「ほいっ、行くよ! 電車乗り遅れちゃう」
えり子はそう言うと、踵を返して改札口へ向かい歩き出す。誠也は慌ててえり子の後を付いていった。
誠也がえり子に続いてエスカレータに乗ると、一段上に立つえり子が振り返って言った。
「ねぇ、片岡。私、今日、誕生日なんだけど、何か言うことはないの?」
そう言ってえり子は頬を膨らませる。
「あ、ごめん。誕生日、おめでとう。なんか、言いそびれちゃって」
誠也が慌ててそういうと、えり子はにっこりと微笑み、続けた。
「ありがとっ! ホントはさ~、片岡にい~っぱい聞きたいことあるし、片岡も私にい~っぱい言いたいことあると思うけど。でもさぁ、今日は私の誕生日だから、私が主役でいさせて欲しいのですよぉ。それに明日のステージもあるから、余計な事とか考えたくないし。ねっ!」
「おぅ、分かった」
誠也はえり子の申し出をありがたく受け入れたが、内心自分が情けなくて心底落ち込んだ。えり子はそんな誠也の心中を知ってか知らずか、相変わらずのヒマワリのような笑顔を見せると、再び前を向いた。
そのあと誠也はいつも通りの振る舞いに努め、えり子もまた、何事もなかったようにいつも通り接した。
しかし、途中駅で別の電車に乗り換え、座席に座って落ち着くと、誠也はおもむろに昨日の話を始めた。
「ちょっとこれだけはえり子に伝えておきたいんだけどさ」
「ほよ?」
そう言って首をかしげるえり子に、誠也は話を続ける。
「この前の
「ほえ? 誰、誰?」
えり子は驚いた顔で誠也に先を促す。
「どっちも多希の仕業だった」
「うひょ~!」
えり子は大きな瞳をさらに見開いた。
「体操服の件は多希ちゃんかな~って思ってたけど、真梨愛ちゃんの件も多希ちゃんだったのね~」
(えり子は、昨日の件は多希の自作自演だと踏んでたのか)
誠也は相変わらずのえり子の勘の鋭さに感心した。
「ねぇ、片岡。その話、詳しく!」
誠也は昨日多希から聞いた話を、簡潔にえり子に伝えた。
「にゃるほど~、多希ちゃんもなかなかですなぁ~」
そう言ってえり子は大げさに腕組みをすると、さらに続けた。
「でも、そう考えると、今までなんとなく不思議に思ってた部分も説明がつくよね。私たちが『意図がわからない』って言ってた部分も、そもそも意図なんて無かったってことだもんね」
えり子も誠也と同じ感想を持ったようだった。
「そう言うこと。とりあえず、多希の了解は得てるから、今日まりん先輩にはその話をしようと思う」
「そだね。
えり子にそう聞かれて誠也はハッとした。現部長である友梨先輩への報告については、全く考えてなかった。
「うーん、正直考えてなった。そこも含めてまりん先輩に相談するわ」
「うじ。じゃあ、まりん先輩の件は片岡に任せるわ。こっちはひまりんと相談してうまくやっておくから」
えり子は笑顔でそう言った。きっと
「さて、まずは文化祭、楽しまなくちゃね!」
えり子は再びひまわりのような笑顔を見せる。
「そうだな」
誠也はそう笑顔で返すが、内心はいつもえり子に助けられてばかりで申し訳ない気持ちでいっぱいであった。
誠也は視線をえり子から外し、車窓を流れる景色に目を遣る。相変わらずの曇天に軽くため息をつくと、それを隠すかのように電車はゆっくりとトンネルへ入った。まもなく終着駅へと到着するアナウンスが流れた。
2日間の文化祭が、いよいよ始まる。
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