第22話 まだ先だけど

「起立!」


 9時ちょうど。副部長の香苗かなえ先輩の声が響くと、それまで騒がしかった音楽室は一瞬で静かになり、約90名の部員が一斉に立ち上がる。


「礼!」

「おはようございます!」


 朝のミーティングが始まる。まずは部長の友梨ゆり先輩より、今日のスケージュールの確認がある。


「今日は、午前中はパート練習ですが、11時からパートリーダーと演奏会実行委員会の拡大ミーティングを行います。内容は9月の文化祭についてです。該当者は時間に遅れずに参加してください」

「はい!」

 パートリーダーと各係のリーダーの返事が響く。


「午後は1時半から4時半まで、ヤマセンの合奏です。コンクールメンバー以外はパート練習または個人練習となりますが、早速、文化祭に向けて役割のある係は、係活動を進めてください」

「はい!」

 今度は全部員が返事をする。


 友梨先輩はいつも通りの凛とした声で続ける。

「まだ先の話ですが、9月の文化祭を最後に、私たち3年生は引退となります。世代交代をスムーズに行うために、文化祭の準備は、1・2年生が中心となって進めてもらいます。2年生の皆さんは、その趣旨を理解し、1年生にも積極的に役割を振るようにして下さい」


 誠也は友梨先輩の話を神妙な面持ちで聞いていた。高校に入学してまだ3か月。しかし、もう3年生の引退を意識する時期に入るとは……。


 ミーティングが終わると、授業隊形のレイアウトを皆で協力して合奏隊形にしていく。その後はパート練習。部員たちは各自楽器を持ってそれぞれの練習場へ向かっていった。


「3年生の引退とか聞くと、ドキッとしちゃうよね~」

 パート練習会場の教室に向かう途中、えり子は寂しそうな顔で呟く。

「ホント! まだ先の話とはいえ、実感わかないよね」

 穂乃香ほのかも同調する。そんな二人のやり取りを聞きながら、二人の後ろを歩く誠也もまさしく同じ心境だった。

 

 誠也たちが1年6組の教室に入ると、既に2・3年生の先輩たちがいつものように和気あいあいと練習の準備をしていた。

 いつもと変わらない雰囲気に誠也たちは安心しつつも、この風景にもいつか終わりが来るのだと思うと、やはり寂しさは拭えなかった。



 11人全員で30分ほど基礎練習を行ったのち、コンクールメンバーと非メンバーに分かれての練習となった。誠也たち1年生は下のフロアの別の教室に移動した。

 定期演奏会も終わり、次の演奏会である文化祭の曲も決まっていない。今、誠也たちができる楽曲は、明日から始まる野球部の応援の際に演奏する応援歌だけだった。それも何度か合わせてみたが、今日は皆、なかなか集中力が続かなかった。


「そういえばさ、ホルンの木村さんって、部活辞めたんだって?」

 颯真そうまが不意に夏鈴かりんの話題を口にした。誠也は一瞬、どこから情報が漏れたのか? そう思ったが、この種の話題はすぐに広まるものだと納得した。


「退部届が出されたらしいね。受理されて正式に決まったら改めてアナウンスされるらしいよ」

 誠也は隠すようなことでもないと判断し、知っている情報を素直に伝えた。

「やっぱ、そうなんだね~」

 恵梨奈が心なしか寂しそうに呟く。


 そこから暫し、夏鈴の話題になった。誠也たちトランペットパートの1年生は、ほとんど夏鈴と話をしたことが無かった。皆の記憶の中では、5月当初のコンクールメンバー選出の際の騒動以来、部の運営の反対勢力としてのイメージが先行している。


「結局はさ、続けててもうまくいかなかったんだろうけどな」

 そう言う颯真に皆、同意したが、誠也だけはやはり何か引っかかるものを捨てきれなかった。やはりまずは真梨愛まりあから早く情報収集をするべきだろう。


 

 結局、あまり練習に身が入らぬうちに、昼休みとなった。

「みんなで、学食行く?」

 恵梨奈の提案に皆が賛成する中、ただ一人颯真が申し訳なさそうに言う。

「あ、リナ、ごめん、俺はちょっと……」

「あれ? 夏葵なつきちゃんのところに行っちゃうの?」

 恵梨奈が颯真に意地悪っぽい笑顔を向ける。

「ご、ごめん……」

 バツが悪そうにしている颯真に、えり子も更にからかう。

「あれ? 颯真くんは私より夏葵ちゃんを選ぶの~?」

 これには誠也が呆れて言う。

「そりゃ、そうだろ」


 颯真は暫し、えり子と恵梨奈の洗礼を受けた後、無事釈放された。颯真曰く、夏葵とは帰る方向が逆なので、案外一緒にいる時間が無いとのこと。あまり邪魔するのもかわいそうだと、誠也は素直に思った。


 結局、誠也はえり子、穂乃香、恵梨奈の4人で学食へ向かった。注文した食事をトレーに載せて空いている席を探していると、クラリネットパートの真梨愛、ハシモ、それに川崎大翔はると、尾崎結芽ゆめの4人が一緒に食事を摂っているのが見えた。誠也は真梨愛と接触をしたいが、他の3人には聞かれたくないので、ここは様子を見ることにした。


 食事が終わっても、4人はそのまま暫く学食で談笑をしていた。その時、テーブルの上に置いていたえり子のスマホが鳴る。えり子はスマホをチェックし、笑顔で言う。

「穂乃果、午後は早速仕事だよ!」


 構成係のえり子と穂乃香は、午後から早速文化祭に向けての仕事が入ったようだ。誠也もスマホをチェックすると、2件のLINEが入っていた。

 1件目は陽毬からのグループLINEで、14日金曜日にさかなの誕生日会をやろうとのことだった。これはえり子にも届いているはずだが、もちろんえり子もこの場ではその件を口にしない。

 そして2件目は大道具係の平山先輩から。大道具係は構成等が決まらないと仕事ができないので、当分は活動無しとのことだった。

 

 気づけば、真梨愛たちクラリネットパートのメンバーは既に戻ったようだった。仕方ない、直接の接触は諦めて、あとで真梨愛にLINEで用件を伝えるとしよう。



 午後の部活が始まった。トランペットパートの2・3年生は合奏。えり子と穂乃香は構成係のミーティングへ。残った誠也、颯真、恵梨奈の3人はパート練習会場である1年6組に移動した。

 午前からの引き続きなので、30分ほどで早くも集中力が途切れ、なんとなくおしゃべりになる。

 

「なんか、午後になって急に寂しくなったね」

 恵梨奈が不意に呟く。午前中のパート練習は11名からスタートしたのに、午後は一気に3名になってしまった。

「にぎやかな先輩たちと、うるさいえり子が居ないからな~」

 誠也が皮肉っぽく言う。

「あー、またそんなこと言って!」

 恵梨奈にたしなめられながらも、実際誠也は不思議な感覚でいた。恐らくこの3人の組み合わせで話すのは、これが初めてのように思われる。しかも、知り合ってまだ3か月なのに、こうして違和感なく雑談をしていること自体に、寧ろ違和感を覚えた。


「しかし、うちのパートは平和だよな~」

 突然、颯真がそう呟く。

「颯真くん、急にどうした?」

 颯真は楽器を机の上において、話を続ける。

「なんかさ、言い方悪いけど、ぶっちゃけうちのパートの先輩たちって、いつもワチャワチャやってるけど、考え方とかはまともじゃん? それに俺たち1年も変な奴はいないしさ」

「確かに、それはそうだよね」

 誠也も同意する。恵梨奈もその件に関しては異論がないようだ。


「夏葵のところは、なんか面倒くさそうでさ」

 そう言って、颯真は語りだした。颯真の交際相手である夏葵が所属するトロンボーンパートは、独特な雰囲気があるらしい。

 

 トロンボーンパートは3年生3名、2年生3名、1年生2名の計8名だ。トランペットパートは奇しくも、コンクールメンバーが2・3年生の全員となったが、トロンボーンは3年生の全員と2年生3人のうちの1人が選ばれるという構成になった。選ばれた1人は真面目で楽器のスキルもある先輩。残り2人の2年生のうち、1人は消極的な性格で、もう一人はやる気が無いのだという。

 そして1年生のうち夏葵はユーフォニウムからの転向組で半初心者。もう一人の1年生、藤原桃花ももかは、楽器の腕前は大したものだが、お世辞にも社交的とは言えないタイプらしい。そんな桃花を、いつだかえり子は「孤高のトロンボニスト」と評していた。

 

「確かに、そんな感じのパートだと、やりにくいよな」

 誠也は夏葵に同情した。


「他のパートの2年生って、あんまりよくわからないよね」

 恵梨奈が考え込む仕草をしながら続ける。

「今朝、友梨先輩が3年生の引退の話をしてたじゃない? 3年生が引退するってことは、当然今の2年生の中から部長とかが選出される訳だけど、いったい誰がなるのかしらね?」


 確かにそれは部にとって大きな問題だった。現部長の友梨先輩は、誠也たちから見て完璧な先輩だった。楽器の演奏レベルも桁違い。それでいて、嫌みが無く人望も厚い。まさに非の打ち所がないと言った様だ。一方、そう言った先輩が2年生の中にいるのかどうか、誠也は分からなかった。


「そもそも、部長ってどうやって決めるんだろう?」

 誠也の疑問に恵梨奈が答える。

「部長は代々、選挙で決まっているはずよ。選挙には先生とか3年生の意向は一切反映されず、1・2年生だけが投票して決めるの」

「なんか、ヤマセンのやり方って感じがするよな」

 誠也はその方法にヤマセンの一貫性を感じ納得した。


 しかし、いざ投票となったら、誰に入れたらよいのだろうか?


 トランペットパートの2年生は3人ともとても良い先輩だと誠也は思う。しかし、部長に適した人材かと問われると、なんとなく違和感がある。

 拓也たくや先輩はムードメーカーではあるが、組織の上に立つというよりは、サポーター的役割が適した人材のように思われる。陽菜ひな先輩は見るからに「ふわふわ系」で、部長のイメージに合わない。一方でまりん先輩は吹奏楽コンクールで全国大会常連の松田七中出身だが、本人は3年間レギュラーではなく、出場経験がない。大学進学を最大の目標にしていて、今も特進クラスで、あくまでも勉強がメインと言った感じだ。


「まぁ、なるようになるんだろうけどさ」

 颯真がそう言うと、誠也と恵梨奈も同意しつつも、そこに笑顔は無かった。


 

 ♪  ♪  ♪


 16時半。練習が終わった。今日は、トランペットパート恒例の親睦会である。今回は定期演奏会の打ち上げと彩夏先輩の誕生祝いという名目だが、要は親睦会を開く口実にされている感は否めないと誠也は感じていた。

 自転車組もいるので、駅集合となった。誠也たち1年生は早めに学校を出たため、集合時間まで駅のコンコースで先輩たちの到着を待っていた。

 

 先ほどから浴衣姿の人が改札を抜けていくのが誠也は気になった。

「今日、浴衣の人が多いけど、花火大会とかあるのか?」

「昨日から3日間、祇園祭だからね~」

 えり子がそう言いながらスマホで検索して、画像を見せてくれる。

「へぇ~。結構有名なのか?」

 札幌育ちの誠也には、このあたりの文化をまだ把握できていなかった。

「そうね。何台も山車が出て、夜はライトアップもされるんだよ」

 今度は恵梨奈が教えてくれる。

「見てみて~」

 再びえり子がスマホの画面を見せてくる。

「なにこれ?」

 誠也が画面をのぞき込む。

「山車にGPSがついててね、リアルタイムで各山車の位置情報がネットで見れるんだよ~」

「へぇ~、最近のお祭りはそんなにハイテクなんだ~」

 これには誠也の他、颯真たちも驚いた。

 そうこうしているうちに、先輩たちや自転車の穂乃香も到着し、皆でいつものファミレスに移動した。



「それでは、定期演奏会が無事終了したお祝いと、彩夏の誕生日を祝して、カンパーイ!」

「カンパーイ!」

 咲良先輩の音頭で、懇親会がスタートした。誠也が入部してから3度目の懇親会。誠也はふと、昼間の颯真の話を思い出す。きっと、他のパートではこんな懇親会なんて開かれないんだろうな。そう思うと、誠也はこのトランペットパートで本当に良かったと心の底から思った。


 いつも通り、宴の前半は高校生の旺盛な食欲を満たすことがメインとなる。それが一段落すると、談笑に入るのだが、今回の話題の中心は主役の彩夏先輩……ではなく、やはり颯真だ。

 そして、その話題のきっかけを作るのは、もちろん、まりん先輩だ。

「ところで、颯真くん。お姉さんたちに何か報告することがあるんじゃないの?」


(おいおい、まりん先輩。このご時世、パワハラで訴えられますよ……)

 誠也はそう心の中で呟くのだが……


「え? ここで報告しちゃっていいんすか~?」

 颯真が照れながら、頭をかく。


(まんざらでもないんかい!)

 そのような誠也の心配は、このパートにおいては無用だった。


「実は、トロンボーンパートの大野夏葵さんとお付き合いさせて頂いておりまして……」

 颯真がそういうと、途端に他のメンバーはテンションマックスではやし立てる。


「いつから~」

「馴れ初めを教えて~」


 まるでお祭り騒ぎである。誠也はその様子に半ば呆れつつも、これがうちのパートだよな、とその雰囲気を楽しんだ。

 しかし、誠也の頭の中でふと、昼間の話がよみがえる。

(あと2か月で、3年生も引退かぁ……)

 

「あれ? 誠也くん元気ないんじゃないの? 大丈夫?」

 誠也は無意識に暗い表情をしていたのだろうか。彩夏先輩が心配そうにそう言って誠也を見ると、ほかのメンバーも一斉に誠也に目を向けた。


「いや、ごめんなさい。ちょっと考え事してて……」

 誠也は慌てて笑顔を作る。

 

「あれ? もしかして誠也も夏葵ちゃん狙ってた?」

 拓也先輩が笑いながら言う。


「ち、違いますよ~」

 誠也が否定すると、例によってまりん先輩が茶々を入れる。

「そりゃあ、リコの前ではそう言うしかないよね~」

「だから、違いますって。まりん先輩!」

 更に例によってえり子も調子に乗る。

「片岡、本当のところはどうなの?」

「もう! えり子は黙ってろ!」


「まぁ、ここにいる誰もがそれは心配してないんだけど、大丈夫か?」

 直樹先輩が本気で心配してくれたので、誠也も逆に恐縮した。


「いや、なんか……。あまりにもこの雰囲気が楽しくて……。逆に今日、友梨先輩の言ってた、3年生の引退の話を思い出しちゃって……。まだ先なんですけどね」

 誠也は正直に話してしまい、ムードを落としてしまったことを後悔した。


「なーんだ、そんなことか~」

 直樹先輩はそう言って笑った。

「私たち、まだ2か月は居座るから大丈夫よ~」

 咲良先輩も直樹先輩に同調した。


「でも私も、先輩たちが引退するって話が出てきて、急に寂しくなっちゃいました」

 えり子大げさに泣きまねをすると、皆、笑い出した。

 

「リコが泣くと、また鼻水でぐちょぐちょになるよ~」

 定期演奏会の時の被害者である彩夏先輩がそう言うと、また一同どっと笑う。皆、誠也が意図せず下げてしまった雰囲気を、挽回しようとしてくれるのが分かって、誠也は嬉しかった。


「彩夏先輩が引退したら、その柔らかいお胸に顔を埋められなくなりますぅ~」

 えり子が切なそうな顔でそう言うと、彩夏先輩は露骨に顔をしかめる。

「え~、また鼻水攻撃はごめんだよ~。まりん、バトンタッチ!」

 彩夏先輩は向かいに座る、まりん先輩にタッチした。

「え? 私ですか?」

 突然振られて驚くまりん先輩に、えり子が眉をひそめて言う。

「でも、まりん先輩は、お胸無いし……」

 まりん先輩は途端に目を見開く。

「おい、リコ! お前、表出ろや~!」

 暴れ出すまりん先輩を、拓也先輩が後ろから羽交い絞めにして抑える。

「落ち着け~」

 その様子を他のメンバーは大爆笑で見ている。


「だって、まりん先輩も私と同じくらいだから……」

 いたずらっぽく笑うえり子に、ようやく落ち着いたまりん先輩は、ふくれっ面のまま、手を差し出す。

「まぁ、お互い共通の悩みを持つ者として、仲良くしようじゃないか」

「はい!」

 えり子もまりん先輩の手を取る。

 

(何を見させられてんだ?)

 誠也はあきれ果てた表情でその光景を見ていた。


「リコ。この夏、まずはBを目指すぞ」

 えり子はいつものひまわりの様な笑顔で答える。

「え? まりん先輩、私もうBだよ」

 途端にまりん先輩の表情が険しくなる。

「リコ! やっぱ、お前表出ろや~!」

 再び、拓也先輩がまりん先輩を抑え込む。しかし、えり子はいたずらっぽい笑顔でさらに挑発する。

「ごめんね、まりん!」

「なんだと~! しかも、なんでさっきからタメ口なんだー!」

「だって、お胸は私の方が先輩だから~」

 そう言って、えり子はウインクする。

「リコ~! はよ表出ろや~! ぶっ潰してやる~」

 

 そこにいる全員が、もう腹を抱えて笑っていた。


(このパートで良かった……のかなぁ?)

 誠也はいささか複雑な心境であったが、こうして先輩後輩関係なくバカ騒ぎができる環境は、素直にありがたい。


 そして、それと同時に、そう遠くない将来、3年生が引退するという事実も、受け止めなくてはならないと思った。

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