第4話 パートの配属

 翌週17日、月曜日。この日は顧問の山本先生によるオーディションの日だ。

 

 放課後、音楽室に集まると、部長の友梨ゆり先輩からオーディションの流れについて説明があった。黒板にはパートごとにおおよその実施時間が書かれている。オーディションの順番が近づいたら部長か副部長が呼びに行くので、それまではパート練習をしているよう指示された。


 一通りの説明が終わり、トップバッターでオーディションを受けるフルートパート以外は、それぞれのパート練習場に移動した。


「あ~! 私絶対、部活クビになるよ~」


 トランペットパートの練習場である1年6組では、早速、穂乃香ほのかが泣きそうな顔をしている。


「大丈夫だよ! 穂乃香ちゃん、ちょっとずつ音出せるようになってきたし!」

 そんな穂乃香をえり子が笑顔で励まし、その隣で誠也せいやも横で大きくうなずく。


「神様、仏様……、あ~! もう誰でもいいから私をトランペットパートにして~!」


 今の穂乃香を見たら、神も仏も多少の不敬には目を瞑ってくれるだろうか? それほどに今日の穂乃香は緊張しまくっていた。


 さすがにどんなに楽器が下手であろうと部活をクビになることはないだろうが、トランペットパートに配属されるかどうかは微妙なところだ。


 トランペット希望の1年生は誠也とえり子、穂乃香の他にも、颯真そうま恵梨奈えりながおり、穂乃香以外の4人はともに経験者だ。恐らくこの4人は希望通りトランペットパートになるだろうと誠也は予測していたが、初心者の穂乃香に関しては、現実的に見て他のパートの充足具合に左右されるだろう。


 吹奏楽はアンバランスな楽器編成では演奏が成り立たなくなってしまう。かといって、楽器経験者を他の楽器に移動させることは基本的に得策ではないので、どうしても楽器経験のない初心者でバランスをとることが多くなる。


 そう考えると、穂乃香がトランペットパートに配属される可能性は五分五分と言ったところか。

 えり子が勧誘して部活に入れた手前、穂乃香もトランペットパートになってほしいと、誠也も思うのだが。


 トランペットパートの先輩方は1年生に気を使ってくれて、オーディションの時間まで全員個人練習となった。


「まずは、オーディションで最善を尽くすとしましょう!」

 えり子の呼びかけで、1年生は各自気持ちを落ち着かせて、音出しを始めた。えり子は自分の音出しもそこそこに、穂乃香の練習に付き合っている。



 おおよそ予定の時刻になったころ、副部長の香苗かなえ先輩がトランペットパートの練習場にやってきた。


「トランペットパートさん、そろそろ時間で~す!」


「はい!」

 1年生5人は楽器を持って出発の準備をした。


「みんな、頑張ってね~!」

 咲良さくら先輩をはじめ、2、3年生の先輩方が笑顔でお見送りをしてくれた。



 音楽室に入ると、待機していた友梨先輩から、空いている席に座るよう指示される。

 音楽室の隣の教官室からは、前のパートのホルンの音がかすかに聞こえる。全員が座るのを待って、友梨先輩が続けて指示を出す。


「名簿順に案内するので、トランペットは、伊東君、片岡君、小寺さん、櫻井さん、佐々木さんの順ね」


「はい」

 5人はそろって返事をする。


「トップバッター緊張するな~」

 颯真が胸をさすりながら不安そうに呟く。

「大丈夫。落ち着いて、いつも通りに」

 友梨先輩がいつになく優しい笑顔で颯真に話しかける。

「はい!」

 と、颯真も笑顔で答える。


「ありがとうございました!」

 教官室からホルンの生徒が出てきた。すぐに友梨先輩が颯真を案内する。


「では、伊東君。教官室へどうぞ」

「はい!」

 颯真が席を立った。

「颯真、頑張れ!」

 誠也も応援を送る。

「おう!」

 そう言って、颯真は教官室へ入っていった。


 暫しの沈黙が訪れる。残された4人は全神経を耳に集中させて、必死に教官室の中の様子を探ろうとしていた。


 やがてトランペットの音が聞こえる。

 短いコラール。

 そして再び、沈黙が続く。


 程なくして、颯真が「ありがとうございました」と言って、教官室から出てきた。


(これだけ?)

 誠也は思わずえり子と顔を見合わせた。えり子も同じことを思ったらしい。


「では、片岡君」

 友梨先輩に促され、誠也は席を立った。

「はい」

 ちらっとえり子の顔を見ると、えり子は小さくウインクをした。誠也は楽器の持つ手に若干の力を込めて、教官室に入った。


「失礼します。片岡誠也です」

「はい、片岡君ね。どうぞ」


 山本先生は飄々と出迎えた。そして入部届の書類に目を通しながら言った。

「君は……若葉中だね」

「はい」

「あの泣き虫ちゃんと一緒か」

 山本先生の笑顔に、誠也もつられて笑みがこぼれる。

「えり子のことですね。はい」

「あの子、きっと純粋でいい子なんだろ?」

 山本先生の問いに誠也も正直に答える。

「まぁ、そうですね」

 山本先生はさらに続ける。

「ああいう子ほど実は傷つきやすいからな。3年間しっかり守ってやってくれよな」

 誠也は一瞬戸惑ったが、再び「はい」とだけ答えた。


「去年のコンクールは?」

 急に本題に入った。

「B編で県大会予選ダメ金でした」

 山本先生はメモを取りながら、質問を続ける。

「曲は?」

「バーンズのアルヴァマー序曲です」

「冒頭吹いてみて」

「はい」

 誠也は楽器を構えると、山本先生がカウントをとる。

「ワン、トゥ、さん、ハイッ」


 誠也は思いのほか山本先生のカウントのテンポが速かったのと、ノーマークだった久しぶりの楽曲に若干の戸惑いを感じながらも、冒頭部分を吹いた。


 吹き終えると更に山本先生は質問を続ける。

「ありがとう。中学校の他に、どこかで楽器やってた?」

「いいえ。でも、中2までは札幌に住んでいたので、別の中学校でした」

「ほう。中2のコンクールは?」

「A編全道大会でダメ金でした」

「なるほどね」

 山本先生は再びメモを取ると言った。


「以上終わり!お疲れ様でした」


 誠也は席を立ち、「ありがとうございました!」と元気に挨拶をして退室した。



 教官室を出ると、順番を待つえり子に軽く目配せをして、そのまま音楽室を出てパート練習の教室に向かった。

 誠也がパート練習の教室に戻ると、先輩たちは既に曲の練習を始めていたため、先に戻っていた颯真の横に座り、先輩たちの練習を見学した。

 少し間があって恵梨奈が戻って来たが、先にオーディションを受けているはずのえり子が戻ってこない。不思議に思っていると、暫くして穂乃香と一緒に戻って来た。

 恐らく穂乃香のことを心配して廊下で待っていたのだろう。えり子らしいと誠也は思った。


 この日の帰り道は、必然的にオーディションの話題となった。


「片岡、アルヴァマーやってたね!」

 えり子がいつもの明るい笑顔で誠也に話しかける。

「はじめに中学校の時のコンクールの結果聞かれてさ。曲はアルヴァマーだったって答えたらいきなり『冒頭吹いてみて』って言われてさ。正直ノーマークだったから焦ったわ」

「しかもテンポ速いしね!」

「ヤマセンがカウントとったんだけど、早くてビビったよ」

 誠也はその時のことを思い出して、眉間にしわを寄せた。


「あとは?」

「アルヴァマー吹き終わったら、ヤマセンが『中学校の他にどこかでやってたか?』って聞かれたから、『中2までは札幌でした』って言ったら、札幌でのコンクールの結果聞かれて、それで終わった」

 誠也はそう答えた。あえて前半のえり子の話題は話さなかった。


「えり子は?」

 これ以上聞かれないよう、誠也はえり子に話題を振った。

「私は、中学校の時の結果とかは全然聞かれなかったよ」

「まぁ、俺と中学一緒だからな。それで?」

 誠也は先を促す。

「はじめに、この前感動して泣いちゃったこと、いじられた~」

 そう言って、えり子は照れくさそうに笑う。

「余程ヤマセンにもインパクト強かったんだろうね」

 誠也もあきれ顔で言う。


「それからさ、いきなりアーバンの教則本出されて、『ここ吹いて』って」

「ほうほう」

 えり子の時は教則本で来たか。と、誠也は心の中でうなった。


「で、吹き終わったら、最後に『この部活で何したい?』って聞かれた」


 意外な質問に誠也も軽く驚いた。

「へえ~。で、えり子はなんて答えたの?」

「いきなりでびっくりしたけどさ。『私たちの音楽を聴いてくれる人、一人ひとりのために、心に響く演奏ができるようになりたいです』って答えたら、ヤマセンも『君は、すごくいいね』って言ってくれた!」

 えり子はヤマセンに言われた部分をヤマセンの真似をしながら、嬉しそうに話した。


 続けて話題は穂乃香に移った。

「そうそう、ちなみに穂乃香ちゃんはね、『マウスピースだけで音出してみて』って言われて、その通り吹いたら『大事な練習だから、多少つまらなくても焦らず、その調子で毎日練習続けなさい』って言われたんだって。これってさ、トランペットに決まりってことじゃない?」

 えり子は自分の事のように、うれしそうに話す。

「まぁ、確かに可能性はあるな」


 誠也はえり子の推論に同意しつつ、「ヤマセンってすごい人かも」と、心ひそかに思った。


 ♪  ♪  ♪


 21日金曜日。いよいよ1年生の担当楽器が発表される日となった。

 放課後、いつも通り授業隊形のままの音楽室に全学年の部員が集合し、活気に満ちていた。例のごとく、学年に関係なく、席に着くことのできた部員は着席し、その他の部員は壁際に立っていた。


 ガヤガヤと騒がしい中、部長の友梨先輩が前に立つと副部長の香苗先輩が号令をかける。


「起立!」

 部員一同、一瞬で静かになり起立する。

「礼」

「よろしくお願いします!」

「着席」

 友梨先輩は、壁際にいる部員以外が着席し終わるのを見届けると、話始めた。


「先日のオーディションの結果、1年生の担当楽器が決まりました。これからパートごとに名前を呼びますので、呼ばれたら返事をしてください」

「はい!」

 1年生が緊張の面持ちで一斉に返事をする。


「それでは、フルートパートから」

 そう言って、友梨先輩はパートごとにメンバーの名前を読み上げて言った。誠也は恐らく「経験者は希望通りになるだろう」と予想しているが、やはり穂乃香のことが気がかりである。

 えり子は両手を組んでお祈りのポーズでその時を待っていた。


「続いて、トランペット」

 友梨先輩がいよいよトランペットパートの名前を読み上げる。


「伊東颯真君」

「はい!」

 颯真がガッツポーズをする。


「片岡誠也君」

「はい!」

 誠也は右隣にいた颯真と拳を合わせる。


「小寺えり子さん」

「はい!」

 えり子は誠也に笑顔で目配せするが、「お祈りポーズ」はそのままだった。恐らくえり子は、自分のことを祈っているわけではないだろうと誠也も思っていたので、それには合点がいった。


「櫻井恵梨奈さん」

「はい!」

 恵梨奈と目が合った誠也は、グッドのサインを出すと恵梨奈も笑顔で返してきた。


「佐々木穂乃香さん」

「はい!」

 えり子の表情がパッと明るくなった。そして穂乃香とえり子は声を出さないよう、静かに手を握り合っていた。


 1年生全員のパート発表が終わると、1年生は全員前に出るように指示があった。32名の新入部員が黒板の前に並んだ。


 全員が並び終わると、友梨先輩が指示を出す。

「では、一人ずつ簡単に自己紹介をお願いします。時間があまりないので、一人30秒以内でお願いします。まずはフルートパート。浅野さん」


「はい!」

 そう明るく返事をして、満面の笑みで女子生徒が前に出た。フルートパートの先輩方が送る期待の眼差しの中に、意味深長な何かを感じたのを誠也は見逃さなかった。


「みなさん、はじめまして! フルートパートに決まりました、浅野陽毬ひまりです! 『ひまりん』って呼んでもらえると、すご~くうれしいです! 将来は『歌って、踊って、楽器の吹けるアイドル』を目指しています! 誕生日は2月22日。『にゃんにゃんにゃん』で、ねこの日って覚えてください! よろしくお願いしま~す!」


 そう言って手を振ったと思ったら、次の瞬間90度以上の深いお辞儀をして、陽毬は元の場所に戻った。


(やべぇヤツ来た! 初っ端から、やべぇヤツ来た!)


 誠也が感じたことと同じことを、音楽室にいたほぼ全員が心の中で呟いただろう。大抵のことに冷静沈着な友梨先輩をもってしても、驚きを禁じ得なかったことが、一瞬の自失から見て取れた。


「あ、ありがとうございます。次、太田さん」


 次に友梨先輩に指名された次の生徒は、こわばった表情で前に出た。陽毬の後では無理もない。


「えっと……、フルートパートの太田 かえでです。あの……、普通に、名前で呼んでください。えっと……、誕生日は11月16日なので、特に語呂合わせとか、ないです。す、すみません。よろしくお願いします……


 楓は真っ赤な顔をして、最後は消え入りそうな声で後ずさっていった。


(無理しなくていいんだよ、普通で)


 音楽室にいる誰もがそう思いながら、見守っていた。結局、誠也の頭の中では、陽毬に全印象を持っていかれ、残念ながら他の部員の自己紹介はほとんど記憶に残らなった。下手したら自分でも何を話したのか怪しくなるくらい、彼女のインパクトは絶大だった。


 1年生全員の自己紹介が終わると、引き続きパート練習となった。トランペットパートの練習場である1年6組には、3年生3名、2年生3名、そして1年生5名の計11名が揃った。パートリーダーの直樹なおき先輩が挨拶をする。


「改めまして、1年生の皆さん、トランペットパートへようこそ! 今日からはこの11人が村上光陽高校吹奏楽部のトランペットパートです。是非一緒に、素晴らしい演奏をしていきましょう!」


「はい!」

 1年生が5人そろった返事をすると、拍手が起こった。


「あと、今年度の部員名簿がクラウドにアップされているから、適宜活用してくださいって部長から」

 直樹先輩がそう伝えると、各自早速、スマホやタブレットで開き始めた。


 チューナーやメトロノームのアプリ化も驚いたが、高校に入り急にICTを活用する機会が多くなった。入部届など、正式に学校に提出する書類以外は、部活動においてもデジタル化が随分と進んでいる。この高校の生徒は授業でタブレットを使用するため、全員入学時にタブレットも購入している。そういった生徒側の環境が整っているのも要因だろう。


 不意にえり子が質問した。


「直樹先輩! 部員って全部で何人になったんですか?」


「えっと……」

 直樹先輩はタブレットの画面を慣れた手つきでスワイプし、別の資料を見ながら答えた。


「3年生が34名、2年生が27名、それに1年生が33名入って、全部で94名になりました!」


「お~!」

「すご~い!」


 先輩たちがそれぞれ感嘆の声をあげる。誠也もこんな大所帯で演奏ができることに、改めて気分が高揚した。

 

 みんなが自然と笑顔になる中、えり子だけが明らかに悲しそうな顔をして言った。


「94人もいて、名前に『子どもの子』が付くの、私だけだ~」


「え?そこ?」

 思わず誠也が突っ込むと、一同爆笑した。



 かくゆえに今年度の村上光陽高校吹奏楽部はスタートしたのであった。

 

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