第10話 特命領主夫人、アリス・サウード

 アラービヤ共和国。国土の半分が砂漠の国。その昔、七つのオアシスを拠点に街ができ、現在の王都と六つの領地になったと言われている。


 国全体と各領地の周りは砂漠で囲まれ、砂の粒子は細かく他国の動物や乗り物では移動することは困難を極める。アラービヤ原産の動物シャラパカが率いる砂船が主な移動手段だ。


 婚姻は一夫多妻制、王位は男子のみ継ぐことができる。王が後継を指名するため継承争いは苛烈化。後継や夫人の暗殺が絶えなかったが、十年ほど前に一旦終息を迎える。


 現国王ムハマッド・アル・シャラマンは後継に第二王子のファハドを指名しており、彼は反発する第一王子派の人間との交渉や国力の低下時に外国からの襲撃を受けないよう国外の人間との交友にも力を注いでいる——。


「ファハドって……ファハドさんと同じ名前ですね」

「同一人物ですからね」


 サウード家の書斎でアリスは仰天し「ええ〜!!」と大声を上げた。

 目の前ではファハドの従者ピエールが無機質な真顔でアリスを見下ろしている。


「アリス! どうしたの? 大丈夫?」


 アリスの大声を聞きつけてウィリアムが慌ててやってくる。彼は走ってきたのか息が乱れゼーハーと肩を上下させている。ローブを着込んでいるので控えめに言って不審者にしか見えなかった。


「ウィル、大丈夫よ。ちょっと驚いただけで……。ていうか」


 アリスは立ちあがりウィリアムの前に立つと「ん?」と首を傾げる彼のフードを下ろし肩をガッチリと掴んだ。


「ファハドさんが王子ってことは……。ウィル、弟のあなたも王子様ってこと?」


 だとしたら自分は王族に嫁いでしまったのか?

 出会ったときファハドが「国の有力者の息子」とは聞いていたが、まさか最有力者とは思っていなかった。アリスは自分が実はとんでもない状況に置かれているのではないかと困惑した。

 ウィリアムは気まずそうに顔を伏せており、答えるには時間がかかりそうだ。

 すると、ピエールがふうと息を吐き、その問いに答える。


「ウィリアム様は王の血を引いておりますが、王位継承権はございません」

「え?」


 アリスは首を傾げた。そういえば公にしていないとも言っていた。つまり隠し子なのだろうか。

 その疑問には、夫ウィリアムが辿々しい口調で答えてくれた。


「えーとね、僕の母は身分が低かった上に、僕を産んだ直後に亡くなったんだ。それで子供がいなかったサウード侯爵夫妻に引き取られて。母は王と結婚もしてなかったから、僕には王子の資格も王位継承権もないんだ。ややこしくてごめんね」

「ううん。言いにくいことでしょうに、話してくれてありがとうウィル」


 アリスはウィリアムの手を取り、彼に優しい笑みを浮かべる。妹とは結局仲違いしたし決して裕福ではなかったが、それなりに仲が良かった自分の家庭からは想像できない環境だった。

 彼の人見知りもこういった複雑な環境からきているのかと、悪いとは思いつつ気の毒と思ってしまう。


 さらにアリスは他にも不思議に思うことがった。


 この屋敷に来てからウィリアムとファハド、そしてその従者以外の人物を見ていなかったのだ。アリスの実家の何倍もの大きな屋敷だというのに、維持するための人員が見当たらない。ラウリンゼからや結婚式から帰宅の際に出迎える者もいなかった。それなのに屋敷の中は清潔さを保たれており、アリスが滞在した寝室も掃除やベッドメイクがされていたのだ。

 申し訳ないと思うがやはり聞いておくことにした。


「もう一つ聞きたいのだけど、この屋敷の使用人はどうしているのかしら?」

「僕が、人見知りだから……あまり姿を見せないようにしてくれているんだ」


 ウィリアムが弱々しい声で返事をした。アリスは「そう」と言いながら小さく頷く。いろいろと事情がありそうだが、結婚したからには全て受け止めよう。そのためにはやはり一刻も早く領主夫人として、自分が使用人や領民たちと接していかなくては。


「アリス奥様、あなたのすべきことはおわかりですね?」


 ピエールが切れ長の目でアリスを見据えた。まるでアリスが何を考えていたのか見透かすように。


「はい。とりあえず使用人たちと交流しようと思います!」

「よろしい。では、勉強はまた明日にして……いってらっしゃいませ」


 アリスは大きな声で「いってきます!」と頷く。


 そしてまだ見ぬ使用人たちと出会うべく、勢いよく部屋を飛び出した。


>>続く

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