1章 緋石と未だ届かぬ蒼穹12

 先を行くドクターの後ろをクローネはついて行く。

 道中、顔色の悪い連中とすれ違ってもドクターは一歩たりとも端に寄ろうとしない。それどころか向こうの方から道を譲っていた。

 何者なのか。

 今にも折れそうな華奢な背中を見ても答えは書いてはいなかった。


 上層の街は混沌を極めた作りをしていた。中層とは違い、隔壁の形で型をとったように円柱状の空間が空いていて剥き出しの岩盤が周囲を囲っている。ところどころに空いた穴は通路となっていて、その気孔から出てくるのは人やモノだった。

 坂を上り坂を下り、十分ほど歩いたところでクローネは後ろを振り返る。分かれ道や合流を繰り返した経路は帰路を霞に変える。

 背中に薄ら寒いものを感じて、見ないようにと前を向く。


 それにしても……

 終着点の見えない洞窟を進みながらクローネは思う。

 臭う。

 隔壁上で作業していた時は気づかなかったが、鼻の奥を刺すような臭いに顔をしかめる。

 ある意味では嗅ぎなれた、排泄物の臭いだ。

 周囲を見渡せば、通路だと思っていたところが袋小路になっていて、そこが自宅だと言わんばかりに大の字になって眠る人がいる。視線を遮る戸などなく、どこで用を足しているか分からないがおそらくは垂れ流しに近い形なのだろうと推測する。

 寒ければ寒いほど臭いは薄れていく。極凍の地でも消さぬ程に染み付いた臭いは、長居させる気持ちを薄れさせていた。


「着いたぞ」


 ドクターが立ち止まる。

 そこは壁だった。三方が石の壁に囲まれた、ただの行き止まりだ。

 まさか担がれたのかと思う。同時になんのためにと疑問が走る。

 ドクターが欲しいのはアグニの花である。単純に奪い取ることが目的なら、レンに許可をとる必要などない。下手人が誰かはっきりしてしまっているからだ。

 それも分からないほど無法者じゃないはずとクローネが見つめていると、ドクターが少し身を寄せる。

 鉄扉だ。小さな入り口が現れる。


「おーい、来客をつれてきたぞ」


 そそくさと穴に消えたドクターを追ってクローネも中に入る。

 おぉ……

 目に飛び込んで来たのは巨大な空間だった。ここまで時折身をかがめないといけないような隘路が多く、見上げるほどの空間というのは隔壁のところ以外では初めてだ。

 クローネは丸まった背筋を伸ばす。パキパキと関節の伸びる音が身体を駆け回る。

 少しだけ筋肉に溜まった疲労感が心地よい。そう思っているとコツコツという音と共に揺らぐ影が足元で大きくなっていた。


「来客? ……これがか?」


 近づいてきていたのは男性だった。その姿を見て、クローネは思わず目を見開いていた。

 ……死相が出てる。

 背の高い男性だった。骨と皮しかないほどに痩せて、髪の毛は脂気がなくまばらに白が混じっている。顔には濃い痣が幾つも浮かんで目元は深くくぼんでいた。

 おおよそ歩けることが不思議な程に身体が弱っているように見える。こちらに向かってくる時も、不自然なほど足に力が入っておらず、鉄の杖をつかねばそのまま転倒してしまっていただろう。

 ……彼が、何?

 クローネは疑問を繰り返し唱える。

 ドクターの言葉通りならば彼こそが友人で空を目指すものだ。それが真実だと言うのなら無理と言うしかない。発進の荷重にすら耐えられそうにないからだ。

 上を目指さないドロッパーですら頭が潰れるのではないかという程に押し付けられる。乗り物とは基本的に身体が健康であるものしか乗れないのだ。ただの自殺に手を貸すような真似をクローネは頷くことが出来なかった。


「驚くなかれ。この方こそ、お主を導く女神となる人ぞ」


「講釈はいい。本題を話せ」


 えらく仰々しい説明に、男性は取り付く島もない。そして面倒を避けるようにクローネに目線を流す。

 死体のような瞳に見つめられクローネは小さく息を吸う。

 怖い。明確な理由もなくそう感じていた。

 目が、顔が、身体が、在り方が。すべてが異臭を放つかのようで動けなくなる。

 ただか弱い幼児のように無鉄砲に逃げることも出来ない。帰路が不明であることよりも、その目の奥にある光に魅せられていた。


 ……なんなの?

 つつけば倒れそうなほど弱々しいのに、心だけはまだ死んでいない。それこそ目的のためなら人をも殺す、そんな覚悟が目の前にはいた。


「つれないなあ。この子はアグニの花を持っているというのに」


 睨み、睨まれ。気を強くもてとクローネが手を白くなるまで握ると、その雰囲気を知らぬかのようにドクターが肩をすくめる。

 何? と、男性の視線が一層強くなる。穴が空きそうなほど見つめられて、クローネはたじろぎながらも首を縦に振る。

 その証拠と言わんばかりにポーチから石を取り出して目の前に掲げると、


「あっ、こらっ!」


「……純度も申し分無し。本当のようだな」


 男性は太刀風のように横からかっさらうと、石を見つめて拳にしまう。

 ……ちょっと!

 強盗だ。それも目の前で。

 返せと手を伸ばしても男性の突っぱねる手に阻まれて届かない。が、それは諦める理由にならない。

 何とかして取り返すために、クローネは距離をとる。その様子を男性は気にもとめずに手にした石を手の中で転がしていた。

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