1章 配管工のおしごと1

 朝。

 街に鳴り響くのは鐘の音だ。一日に七回鳴る鐘から朝が始まる。

 朝日というものはここ六百年以上存在していない。深い雲が空を天蓋てんがいのように覆い、陽の光を喰らっているせいだった。それでなくとも山の中に住む住人にとって空というものはおとぎ話の中でしか存在しないものであった。


 鐘の音とともに街の人々は起きだす。皆仕事へ向かう準備をしなければならないからだ。

 クローネもその一人だった。一の鐘の音を聞いて瞼を開けた彼女は前日の夢の続きを前に、重い頭を抱えていた。

 ……またやっちゃった。

 目の前に広がる図面を見て、クローネは昨夜のことを後悔する。

 夜遅く、七の鐘を過ぎてまでドロッパ―の設計図とにらめっこしていた彼女は、突然襲ってきた睡魔に勝てずそのまま眠ってしまっていた。貴重な紙の図面には真ん中に大きなよだれの跡がついて、インクがにじんで奇怪な模様を描いている。


 寒いと身震いしたクローネは椅子の背もたれにかけてある麻布を身体に巻き付ける。毛布などという上等なものはなく、ところどころ擦り切れて穴の開いた麻布ですらかなり高価な代物だった。大して温かくもない、固い布が肌をやすりのように削っていく。


 赤らむ皮膚をいつもの事と片付けたクローネは思いっきり腕を伸ばしていた。長時間机に突っ伏して眠っていた身体は、骨がゴキゴキと悲鳴をあげながら伸びていく。


「んーっ」


 思わず声が出ていた。関節の痛みよりも凝り固まった筋がほぐされていく方が気持ち良いと感じ、胸を張って呼吸を止める。そのままの体勢で数十秒してから、クローネはようやく身体を弛緩しかんさせていた。


 何度も読み返し、もはや見ずとも寸分違わず書き写せるようになった設計図を丸めて仕舞う。その下には岩を砕き、臼で挽いた砂を敷いた砂盤さばんがあった。貴重な紙の代わりに何度も書き直せるよう作られたものだった。


 荒れた表面を銅板で鳴らしてクローネは立ち上がる。朝の時間はドロッパーのように早く過ぎていくものだ。ぼやぼやしていられないとまだ重い瞼に力を入れる。


 クローネが住んでいるのは岩をくり抜いて作った洞窟のような部屋だった。剥き出しの岩肌は層を作り時代の積み重ねを感じさせる。ワンルームに出来る限りを詰め込んだ部屋は手狭で、その大半を工具と、ほろを被ったスクラップの山が占領していた。


 クローネは入口近くにある箱を開ける。金属製のそれは表面に多量の汗をかき、一部が凍結、結晶を作っていた。厚手の手袋をして取り出したのは、抱えるほどの大きさもある圧縮した雪の塊だった。


 雪室ゆきむろと呼ばれるその箱はどの家庭にも必ずあるものだった。水道や井戸というものが存在を消して随分と経った今では水を得る手段としてそれしかなかった。


 クローネは慣れた手つきで雪をシンクに置くと、垂れ下がるノズルを雪に向け蒸気栓を開く。カシュッカシュッと詰まったような音の後に、勢いよく蒸気が吹き出していた。


 ……今日はまあまあね。

 高温の蒸気が雪を飴のように溶かす様を見ながらクローネは思う。

 蒸気は本線、支線とパイプを流れて各家庭へと供給されている。そのため一斉に使い始めると圧力が減って出が悪くなる。また蒸気を生み出す大元の温度が低ければ、末端に届くまでに冷えて水に戻ってしまうこともあった。


 立ち昇る湯気がまだ緩む顔をふやかす。雪をすべて溶かしきる前に栓を閉めると、近くに立てかけてある金属製のコップで飲料分の水をすくいあげた。

 軽く一口含む。舌の上で転がした水は、直接蒸気に当たっていたからか、なまぬるい。その微かな熱は氷のように冷え切った身体に染みわたり、身体を動かす呼び水となっていた。


 シンクの中には透明な雪が水に浮いていた。クローネはコップの代わりにスポンジを手に取ると、水に落とす。

 服に手をかけて、乱雑に脱ぎ始める。地面に落ちたそれらを足で器用に脇に寄せると、固く絞ったスポンジで身体の汚れを落としていた。

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