第5話
純粋無垢な天使のごとき表情で、私をおばさん扱いするアシュバルム・ハーバリストは、まるで新しい玩具を目の前にしたかのように、その瞳を輝かせながら私とオスコの方へとやってくる。
「ねぇねぇ、オスコとおばさんは、ここでなんの話をしていたの?」
アシュバルムに問いかけられ、オスコは平静を装って、口を開く。
「……仕事のお話です、アシュバルム様」
「えー、そうなの? 僕、つまんなぁい」
頬を膨らませるアシュバルムに、私はなんとか自分の中の怒気を抑え込むようにして、口を開いた。
「アシュバルムくん? おばさんじゃなくて、私には、セラっていう名前があるのよ?」
「じゃあ、セラおばさん?」
「……おばさんじゃなくって、せめてお姉さん、って呼んでくれないかしら?」
「えー、それ、変だよ! だっておばさん、お父様の新しいお嫁さんなんでしょ? だったらお姉さんっていうのは、おかしいよっ!」
「それがわかってるのなら、おばさんじゃなくて、おかーー」
そこまで言いかけて、私は言葉を続けられなくなる。
……ひょっとしてこの子、前のお母様のことが忘れられなくて、それで私を受け入れることができないんじゃありませんの? だからおばさんなんて呼んで、冷たくあたっているのかしら?
そう思い至り、私は迂闊にアシュバルムへ母親呼ばわりするよういいそうになった自分の軽率さを恥じた。
確かに私は強引に結婚させられることとなったが、それはこの国の王族やユーリックブレヒト公爵含めた、大人の問題だ。いくら公爵家の一人息子だからと言って、急にやってきた私を、いきなり母親として受け入れることなんて、到底不可能だろう。
……そうですわ。相手は、つい先月六歳になったばかりの子供じゃありませんの。ユーリックブレヒトの前妻、つまりアシュバルムにとって、本当のお母様のことが忘れられないのも、当然じゃありませんの。
そう考えると、ユーリックブレヒトやオスコたちが私に向ける冷たい目線や態度などとは違い、この公爵家の中で、アシュバルムが私に向けて放つ暴言の意味合いが、全く違うものになるだろう。
ユーリックブレヒトたちは、この国の王族含めた貴族たちのしがらみによるもので。
アシュバルムは、そのしがらみによって急遽あてがわれることとなった、偽りの母親に対する反発だ。
……そう考えると、この結婚に振り回されているのは、私だけじゃなかった、ということですのね。
そう思うと、この暴言振りまくアシュバルムに対して、親近感が湧いてきた。
……これからこの子と、仲良くできるといいのですけれど。
おばさん呼ばわりさえしないのであれば、アシュバルムはただただ愛らしい男の子だ。そして、そんな子が私の義理の息子になるわけで、仲良く過ごせるのであれば、この厄介な国同士と大人同士の思惑で放り込まれた公爵家での生活が、もっと色鮮やかなものになるに違いない。
……打倒アシュバルムなんて目標を掲げていましたけれど、それは訂正しなければなりませんわね。
私がそう考えていると、アシュバルムは無垢な笑顔を浮かべたまま、こちらの方へと歩みを進めてくる。
そして私に向かって、手を差し出してきた。拳を柔らかく握るようなその形から、手の中に何かが入っているみたいだ。
「はい、おばさん。これ、あげるよ」
「これは、何かしら? アシュバルムくん」
「いいものだよ。庭で拾ったんだ。仲良しのしるしっ!」
そう言ってアシュバルムは、ニッコリとこちらに向かって笑う。その姿に、私は少し感激してしまった。
……突然新しくやってきた私と、こんな風に距離を縮めようとしてくれるだなんて!
おばさん呼びは相変わらずで、内心私のことは快く思っていないのかもしれない。けれどもこうやって、仲良くしようと行動できるアシュバルムに、私は敬意を抱く。
……いけませんわね。彼より三倍も長く生きている私は、この公爵家に来てから、ずっと誰かに敵意を向けてばっかりだというのに。
もう少し、真心を込めてユーリックブレヒトやオスコに接していたら、また違った出迎え方をしてくれていたのだろうかと、そんなことを考えてしまう。
……いいですわ。まだ初日ですもの。変えられものから、一つずつ変えていけばいいのです。
改めてそう思いながら、私はアシュバルムと目線を合わせるために、その場で屈む。もちろん、彼が手にした何かを、受け取るためだ。
「アシュバルムくんが拾ったものは、一体何なのでしょう? 何かの植物の種ですの? それとも、キレイな石なのでしょうか?」
「それはねぇ! 見てからの、お楽しみ!」
「まぁ、それは楽しみですわね!」
そう言って私は、両手を合わせて、アシュバルムが手にした何かを受け取ろうとする。彼は本当に嬉しそうに笑いながら、私に向かって何かを差し出した。
すると、背後で何か音がする。
視線を向けると、そこには頬を引きつらせ、二、三歩私から距離を取った、オスコの姿があった。
……何を、そんなに怯えているのです?
そう疑問に思うけれども、今優先すべきなのは、眼の前にいる義理の息子だ。彼との関係を良好なものに保つことを、改めて私の第一の目標と定めよう。
そう考える私の目を、アシュバルムが真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
「はい、これが仲良しのしるし! これから、一緒に遊んでね、おばさんっ!」
そう言われて、私の頬もわずかに緩む。おばさん呼ばわりされたとしても、今は寛大な心で見逃してあげよう。何故ならアシュバルムの方から、こちらとの関係を良好なものにしようと、一歩踏み出して来てくれたのだから。
アシュバルムの手のひらが開き、そこの中に隠されていた何かが、私の手のひらに落ちてきた。
「ありがとう、アシュバルムくん!」
その私の言葉を聞き終える前に、アシュバルムは脱兎のごとく駆け出している。どんどん小さくなっていくその背中を見ながら、私はわずかに笑った。
……あらあら、今にして恥ずかしくなってしまいましたの? やっぱり中身は、子供なんですのね。
微笑ましい思いでアシュバルムの背中を見送っている私に向かって、オスコが問いかけてくる。
「……セラ様。アシュバルム様がお渡しになったのは、一体何なのでしょうか?」
「あら? オスコも気になるの? なら、せっかくですし、一緒に見ませんこと?」
「い、いえ、私は大丈夫です! 結果! 結果だけで! 結果だけ聞かせてくださ、あ、あ、ち、近づかないで、近づかないでくださいっ!」
その反応に、私は思わず眉をひそめる。
「……そこまで嫌がらなくても、いいんじゃありませんこと? せいぜい子供が持ってきたものですのよ? しかも、拾ったのはこの公爵家の庭というではありませんか。まさかアシュバルムくんが、動物の骨でも拾ってきたわけじゃあるまいーー」
そう言いながら、私は自分の手のひらに視線を落とす。
そこにあったのは、確かに私の予想通り、動物の骨でもなければ、ましてや人間の骨でもなかった。
むしろ、そんな角張ったものではなくて、それどころか柔らかくって、そしてそれでいて、確かにオスコが苦手にしていそうな、オスコというよりも、女性は比較的全員、いや、男性でもあまり大好きという人は少ないであろうそれが、私の手のひらの中でうごめいていた。
私の手のひらにアシュバルムが落としていった、それはーー
まごうことなき、芋虫であった。
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