夜会の憂鬱

 ある日、王家とも縁続きのとある侯爵家にて夜会が開かれる事となった。

 なんでも、隣国に嫁がれた侯爵令嬢が久方ぶりに里帰りを許され、その祝いも兼ねているとか。

 エセルバートが招待されているため、シャノンも当然ながらその妃として同伴する事になる。

 話によると王太子ベネディクトとキャロラインも招かれているらしい。

 妃教育がどの程度進んだか見ものだと笑うエセルバートを見ながら、シャノンは心の中で密かに溜息をつく。

 もう関係ない、むしろその失敗こそ望むべきなのだと思っても。

 それでも、割り切れないという事はあるものなのだ。


 やがて、夜会の日がやってきた。

 煌びやかな灯りに照らされる豪奢な屋敷に、華やかな宴の設え。集う優雅な物腰の人々の素晴らしい衣装に装飾品が輝く。

 心の中で目を見張りながら、上品な淡い翠のドレスに身を包んだシャノンはエセルバートのエスコートを受けて楚々とした佇まいを崩さない。

 そして、エセルバートもまた居並ぶ令嬢や婦人方を魅了して已まない貴公子の笑顔を隙なく浮かべている。

 この笑顔を似非王子やら似非貴公子やら、更には悪魔などと思った事も、思えば随分懐かしい。

 確かに、この人の本性はそれなりにやんちゃで、上品で優雅な様子は作り物ではあるけれど。

 この人は、優しい。傲慢に思える物言いに態度の裏に、ちゃんと人を気遣う心がある。

 エセルバートは王太子を追い落としたいと言っていた。

 けれど、それはきっと理由があるはず……。

 

 夜会の主催者に挨拶をした後、歩みよる人々と次々に言葉を交わし、笑みを交わす。

 内心では慣れない表舞台に冷たい汗が流れるほどだったが、何とかそつなくこなせていたようだ。

 やがて近づく人もおさまり、エセルバートは所用といってシャノンをその場に残して歩いていく。

 エセルバートがシャノンから離れたのを知ると、目の色をかえた令嬢達がエセルバートを取り囲むのが見えた。

 彼女達の目は星が宿っているのではと錯覚させる程に輝いている。

 ああ、あれは諦めてないな、とシャノンは笑顔を崩さぬままに小さく心に呻いた。

 彼女達は、エセルバートが妃を迎えた現在も、彼の妃となる事を諦めていない。もしくは、愛妾の地位を狙っている。

 どうにも、自分は虫よけとして機能出来ていない気がする。

 確かに、咲き誇る大輪の華にも等しい令嬢方にしてみれば、地味で冴えない、しかも引き篭もりの出来損ないという噂があったシャノンなど障害にもならないのだろう。

 交流のある夫人達がさりげなく、あれは気にしなくてもいい、と苦笑して言葉をかけてくれる。

 感謝を伝えながら頷くシャノンだったが、エセルバートが望んだ役割を果たせていない事に胸が痛んだ。

 

 ふと、遠目に王太子達の姿が見える。

 王太子ベネディクトは、銀色の長い髪を緩くまとめた、蒼い瞳の線の細い青年だった。国王譲りだという蒼の瞳は弟と同じである。

 その隣に寄り添うのは金色の髪に翠の瞳の妹。

 久しぶりに見る妹は、少しばかり痩せた気がするが、その美貌は損なわれていない。少しばかりしっかりとした雰囲気になった気がする。

 ただ、周りの彼女を見る目は厳しいものが入り交じる。

 ご婦人の一人が耳打ちしてくれた事によると、どうやらキャロラインが実績を偽って事は少しずつ藍玉宮以外にも漏れているようだ。

 噂が広まるのは早いもので、上流階級の方々の中でもキャロラインが『張りぼて』であると囁くものとているらしい。

 それまでの評判が華々しい程、悪意ある声はその瑕疵をあげつらう。

 苦い想いでキャロラインを見つめていたシャノンだったが、ひとつ気付いた。

 キャロラインは、少し怯えた翳りは感じられるものの、それでも顔をあげて真っ直ぐに話す相手を見つめている。

 何を話しているかわからないが、その物腰も、受け答えする様子も、落ち着いたもの。

 そしてその隣にいるベネディクトは、そんな彼女に温かな眼差しを向けて見守っている。

 もしかして、あの子は以前シャノンが可能性を口にしたように『化け』つつあるのではないか。

 そんな事を考えていた時、非常に険しく刺々しい声がシャノンの耳に届いた。


「……よくも、こんな場所に顔を出せたものだわ」


 振り返らずとも背後に立つ人間が誰か分かる。

 どのような形相でこちらを見ているのかも、容易く想像がつく。

 盛大に溜息をつくと、シャノンは静かに振り返る。そこには、予想していた通りの人間が怒りの形相で立っている。


「お久しぶりです、カードヴェイル伯爵夫人」


 出来る事なら二度と見たく無かった顔を見て、よく笑顔を作れたと自分を褒めてやりたい。

 シャノンは殊更優雅な所作で一礼をした。

 頭など下げたくないが、一応これは継母であるし、最低限であっても相応の礼は尽くさなければならない。

 ただ母と呼ばなかったのは、シャノンの抵抗だ。

 シャノンの丁寧な礼に更に苛立ちを深めたという様子で、ジョアンナは更に目を吊り上げて吐き捨てた。


「あの人を誘拐するような真似をしておいて……!」

「……エセルバート殿下のご厚意で、療養のために良い環境へお連れしただけですが?」


 エセルバートは侍従に命じて父を幽閉先から連れ出して、気候の穏やかな自身の直轄地にある屋敷に移してくれた。

 医者も世話をする人間も付けてくれて、父は穏やかに暮らせているらしい。

 少し調子も戻ってきたようで、先日は短いながらも手紙をくれた。

 しかし、目の前の相手は当然ながらそれが気に入らないらしい。

 シャノンは口元に扇を当てて、思わず引き攣りそうになるのを隠しながら、静かに返した。


「殿下のお心遣いが、余計な事だと……?」

「……生意気な……!」

 

 シャノンの声音があまりに落ち着き、淡々としてすらあったのが気に障ったのだろう。

 ジョアンナは叫んで、手を振り上げようとした。しかし、それは途中で止まる。


「いかに伯爵夫人であろうと、妃殿下に対して何て不敬な……」

「あれなら、令嬢を虐げていたという噂は本当かも……」


 囁く貴婦人達の声が、シャノンにもジョアンナにも届いたのだ。

 どうやら、ジョアンナが実は継子であるシャノンを虐げていたらしい、という噂が密かに流れていたらしい。

 ……誰が流した噂であるのかは、大体察したが。

 キャロラインの名声の失墜と相まって、カードヴェイル家の醜聞として語られているようである。

 むしろ、ご自分のほうがよくこんな場所に顔を出せたことと皮肉をいう声に顔を赤くしながら、ジョアンナは身を翻した。


「思い上がっていられるのも今のうち。……すぐに思い知る事になるわ!」


 捨て台詞をはいた継母は、そのまま床を踏み抜くのではないかというような足取りでその場から去っていく。

 シャノンはまたひとつ、大きく溜息をついた。


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