第一部 2章 「生ける屍」005
エル・フィーエル妖精国には、日は差さない。大森林の地面の下。巨大な地下空洞を利用しているから、日の差しようがなかった。
日による時間の把握が難しい為、この国には時計の文化が根付いている。
時計といっても、砂時計に魔術を応用したもので、きっちり一時間を延々と繰り返すような、呪いに近い方法で運用されていた。
そしてそれには、目覚まし機能も付いているのだ。
そのけたたましい目覚ましの音によって、アルルは今が8時なのだと思ったし。起きなくてはいけないのかと、目をこすりながら体を起こす。
ベッドから離れた所のテーブルで、何故か相部屋にされたリヴィンが、何やら物を書いている。
ーー別に特に文句は無いけど、ゾンビと相部屋ってどうなんだろ。
そんな思いに駆られるが、寝なくてもいいとリヴィンは言っていた。
もしかしたら、シーツを汚すのを遠慮したのかも知れない。そんな風に考えれば、少しリヴィンを気の毒に思う。
「おはよう、リヴィン。何、書いてるの?」
「オオ、アルルさん。おはようデース……いえ、ちょっと思いついた考察をまとめていたのですヨー。色々と」
そうなんだ、とアルルは目をこすって朝の歯磨きをする為、洗面所に向かった。
綺麗にカットされ、使いやすく丸まったキコの葉と、瓶に入った水が用意されている。
ーーなんか結構サービスの良い宿屋だなぁ。居心地いいし。とは言えこの世界の宿屋なんて初めてなんだけど。意外と他もこんな感じなのかなぁ……。
それから、十二歳の少年と白のローブを目深に被ったゾンビは、宿の食堂で朝食を出して貰う。
十数人くらいは入れる広さの食堂には、アルルとリヴィンの二人だけ。朝食のサラダ(何の葉っぱかは分からない)。と、炊かれた雑穀米が、まるで付け合わせの様に置いてある。
それをアルルは、フォークでつつく。
リヴィンは食べてもしょうがないので、朝食は辞退した。
「お米ってやっぱりこの世界にもあるんだねー。人が作ってくれたご飯って、この世界に来て久々かも」
成長して、手足が動ける様になってからは、ハロックの分も作っていたアルルは。その時の事をふと思い出して、懐かしむ。
「ワタシはこの世界に来てから、調理したものを食べた事はないですネー。ゾンビですシー」
「まあ、そうだろうね。……同情はする」
一通り食べ終わった頃に、シュバルツが食堂に入って来た。朝食を食べ終わるのを待っててくれていたのかもしれない。
「失礼します。アルル殿。リヴィン殿。早速ですが、昨日のお話の続きをしてもよろしいでしょうか?」
シュバルツはそう言うと、手を叩いて厨房のエルフに食器の片付けを、命じる。
「あ、はい。では、お願いします」
ーーオレは結局、何をさせられるのだろう。
少し緊張した面持ちで、アルルは居住いを正す。
エルフの国は、半年前より魔族に侵攻されていた。目的は不明。しかし、大まかに言えば。エルフの国の滅亡は、一歩手前まで来ているらしいのだ。
ある日突然、魔族と名乗る者が一方的に宣誓をしてきたのが始まりだと言う。
『我は崇高なる魔王、
そんな宣誓――かなり一方的な死の宣告。が、エルフの国中に響き渡った。
誰かのイタズラであると思いたかったが、首都フォンより北東に位置する第一都市フォン・アイルが陥落したとの報告が、一両日中には妖精王の耳に入る。
早すぎる都市の陥落に、宣誓はブラフでかなり前にはその都市は落とされていたのかも知れない。が、それを確かめるのは無意味だと妖精王は直ちに戦争の準備に入った。
都市の陥落を受けて、難民の対策も素早く行う。逃げてきた同胞を助ける為に。
しかし、それについては急ぐ必要性はなかった。なぜなら第一都市預かりの地から、無事に生還してくれたエルフは一人しかいなかったのだ。
そして唯一、陥落した旨を伝えてくれたエルフは、伝えた直後に黒い炎に巻かれて灰になる。漫然とした恐怖を残して。
エルフの国に、絶望が忍び寄る。何万もの同胞が、一瞬で居なくなったのだ。
妖精王は直ちに軍を組織し、第一都市に向けて進軍させたが、そこはもうただの焼け野原で、無数の同胞の焼け焦げた死体と家屋があるだけ。
敵の姿は何処にもなかった。
そこから魔族は、第二都市フォン・ツーリャに現れたとの報告が入る。
第二都市が落とされるのは、そこから五か月後。
第一都市がどの位のスピードで落とされたのか、妖精王には知る由もない。それでも、五ヶ月もかけて落とされた訳では無いことは、彼女にも推測できる。
一回目の、魔族とエルフ軍の衝突を見れば明らかだった。五千からいた精鋭のエルフの軍勢は、三日と持たず敗戦の帰路についた。ぴったり三千程のエルフ兵を間引かれて。
妖精王は歯噛みした。ーー遊ばれている。
エルフの国など取るに足らないと、真綿で首を絞めるようにゆっくりと時間をかけてこちらを滅ぼすつもりなのだ。
時間をかけて、魔族の糧でもある絶望を味わう為に。
それが魔族の
ここで妖精王は情報統制を敷いた。戦争になっている事は隠せないまでも、劣勢を極力民には悟らせず、都市間の移動も制限したのだ。
エルフの民の混乱を避けるために。
戦いも局地戦のみに重きを置いて、軍を小分けに小分けにして派兵した。
時間を稼いで、この絶望の打開策を何とか見つける為に。
じりじりと同胞が死んでいくのを歯を食いしばり、耐える。
国が完全に滅んで、エルフが根絶やしにされるよりも。魔族が舐め切っているうちに、幾らかでもエルフの国、または同胞が存続する方に妖精王は舵を切ったのだ。
もはや諦めているともとれるが、それだけエルフの国は追い詰められていた。
「我々の戦況は、いまや絶望的です。妖精王の求心力を以てして、なんとか国が瓦解するのを水際で抑えています。民たちには、情報こそ多くは流れないようにしてはいますが、皆の不安は日に日に増すばかり。はじけるのも時間の問題でしょう」
シュバルツはそう締めくくり、眉根を寄せて悔しそうな表情をする。
「ありゃりゃ。それは確かに窮地でスネー」
「うーん、そんな感じになってるのを、僕らがどうこうできるとは思えませんが……。結局、何をしたらいいんでしょう?」
間の抜けたような事を、アルルとリヴィンは口にするが、シュバルツは何を言うかは決めてあったかの様に二人に向き合う。
「魔族を。死せる太陽のゲインを滅して欲しいのです」
ーー滅するとは? と、アルルは思ったが。倒すという事かと変換して、取り敢えず様子を見たいと申し出る。
ならばとシュバルツは馬車ーー最初に乗った馬車ではなく軍用の馬車だった。に乗って、最前線に視察を兼ねて連れていくという。
二人は朝起きて朝食をとって、それから戦場へと赴くのだ。
用意された流れに則って。首都フォンより、南に位置する第三都市フォン・サールドに。
じりじりと侵略されている、第三都市のさらに最南端に位置するエルフの前線基地に二人は連れて行かれるのだ。
「なんか、この世界の馬ってあんな感じだったっけ?」
軍用の馬車(軍用だけあって、馬にも急所を最低限守るような甲冑が付けてある)に、揺られながら外を見つめていたアルルが、誰とも無くぽつりと呟く。
「イヤー、もうちょっと普通に見た事ある馬だったと思いますケドネー」
馬自体は、ずんぐりむっくりとしていて体毛が長く、何より目が赤黒く微光を放っている。
白のローブを目深に被ったゾンビのリヴィンは、またぞろ何かを書きながらアルルに相槌を打つ。
「ああ、我々の国は地下にあるものですから。地上の馬では運用が難しいので、品種改良して暗視の特性を持たせています」
シュバルツは律義にもそう答えてくれる。
実際このエルフの国は、基本が暗い。
地下なのだからしょうがないとも言えるが、だからと言ってエルフ達に暗闇が見通せる暗視のスキルがあるわけではなく。一応の街灯らしき植物が等間隔で並んでいて、そこそこの明るさはあるのだ。
これも、魔術的なもので補強されたエルフ御用達の植物である。
アルル達でも、別段の不都合は無い程度の暗さだが、やはり暗いは暗い。
なので危機管理の観点から、馬は暗視のスキルを付けるのが、国政としての仕事の一環でもあるという事を、シュバルツは説明してくれた。等間隔に渡って、光を放つ植物を植えるのも含めて。
「あっちの、やたら暗いとこらへんはもしかしてっ……?」
「そうです。第二都市フォン・ツーリャ、の方です。あいつらは、執拗に全てを焼き尽くします。……くっ、なので
シュバルツは声を震わせ、悔しさを滲ませる。
馬車に揺られて、三時間は立っただろうか。アルル達は、前線基地にもうすぐ着きそうな位置まで来ていた。
アルルは何となくで、シュバルツに聞いてしまった事を密かに反省する。
「その、すみません」
「いえいえ、そんなアルル殿。事実です。第一都市の方も、そうなっているでしょう。弔いもできていないので、第一都市はすでに悪霊も蔓延っているかもしれません。戦後があったとしても我々はもう……すでにっ……」
ありゃりゃと、肩をすくめたリヴィン。そんな事を話させるなよと、まるでアルルを責めるようなリヴィンの仕草に、少し苛立ちを覚えつつ。
アルルも肩をすぼめた。
ちょっと考え足らずだったと、もう一度反省する。
一行は程なくして前線基地に着いた。
着いたには着いたが、そこはもう前線基地という体裁を保ってはいない。
静かに黒く燃えているそれは、基地だったものだろう。
むせ返るような死臭は、エルフのものに違いない。
いくら小出しに派兵していたとはいえ、数百の兵士は駐屯していたはずだったが、その影はもう何処にも見当たらなかった。
その代わり、黒く蠢く軍勢がそこら中を闊歩し、エルフの土地を蹂躙している。
その数は数十体、五十はいかない位だろう。
「あ、あ。ああ……そんな、まさか。こ、こんなに早く……」
震える声を絞り出して、シュバルツはその光景を見つめた。
アルルもその惨状を見つつ、黒い軍勢に目を向ける。
腰のロングソードに手をかけるが、横目で震えるシュバルツを捉えてしまい、アルル自身も少し気落ちしてしまう。
ーーシュバルツさん……悲しそうだ。そりゃ、そうだよな……普通。
前線基地を壊滅に追い込んだのは、この数十体の
アルルは一宿一飯とはいえ、すでにそこそこの情をエルフに抱いていた。
「リヴィン、行ける?」
「ハーイ。もちろんですヨー」
「あれくらいなら、多分大丈夫そうだな……昨日も倒したし。行くよ?」
「はいヨー」
シュバルツは震える瞳で、少年とゾンビが魔族の軍勢に走り出すのをただただ傍観する。否、傍観する事しかできないのだ。
この圧倒的な戦力差を目の当たりにして、何故まだ体が動けるのかが理解できなかった。
同胞がついさっき、数百も殺された事実に。怒りよりは、絶望で拳が震えていて、何も考えられなくなっている自身の、なんと矮小な事か。
シュバルツは、ただただ二人を目で追った。
少年は走ったかと思った瞬間には消えて、近場の
ゾンビは突撃をした。
しただけだったが、なぜか
なんでだろうとシュバルツは思ったが、うまく頭が回らない。
たった二人の人間が、
普通だったら、確実な死しかない状況のはずだ。
しかし、四散して飛び散り、ぶつ切りにされて、穴をあけられ、ぶっ飛ばされて、千切られて、細切れにされるのは
瞬く間に、
いや、もはや動くものは無い。
たった二人で、五十体弱の
シュバルツはまたもや膝をつき、妖精王シルフィに祈る。
ここまでの強さとは思わなかったからだ。
妖精王から賜った、シュバルツのみに与えられた密命がある。それは、いかにこの強い者たち(戦況を覆すほどでは無いだろうが、エルフの精鋭達よりかは確実に強いだろう)を懐柔して、この戦争を長引かせるか。
いかに、同胞の犠牲を減らせるか。
もしくは、魔族の目くらまし程度にもなれば幸い。
その程度に捉えて、密かに国の重要人物や重鎮を、国の外に逃がす算段を聞かされていたシュバルツ。
妖精王はハナから二人を利用して、使い潰す気だったのだ。
ーーあぁ、この方たちは本当の救世主。我々エルフの救い主。
もはや零れ落ちる涙すら気付かずに、シュバルツは両手を重ねて二人の英雄を見ていた。
ふうっと、アルルは息をついてロングソードを腰にしまい、リヴィンを見る。刃にこびり付いた悪魔の血を、ぬぐいもせずに鞘に納めた。
リヴィンは、手や足に付いただろう血をぶるぶると振るって落とす。
ぶるぶるし過ぎたのか、リヴィンの腕が千切れて飛んだ。
「にゃーーっ!」
慌てて千切れた腕を拾い、また元の腕にくっつける。
「えっ? ……元に戻るの? まじ?」
「エッヘッヘッヘ……元には、戻ってまセーン。
「え? じゃあ、普段の指が動いているのも超能力でやってたの?」
「マア、そうですネー、アハハ。最初はちゃんと、意志だけで動いたんですが。一度体から離れると、ダメ見たいですネー。意志の通わない状態になっちゃうんです。ゾンビだけに。あはっ。この力がなかったら、ワタシは一体どうなってたんですかネー。ただのスケルトンになっちゃったりシテ―。アハハー」
ーーどこが笑うとこだか、分からないって……。
と、そんな間抜けなやり取りも束の間。
何処からともなく声がする。
「ごるぁぁぁあ! てめぇら何者だぁぁぁーーーー! 折角ゲイン様からお借りした、俺の兵団に何してくれてんだごるぁぁぁぁ!」
気付いた時には、声の主であろう者は。アルルとリヴィンの前に立っていた。
筋骨隆々の体躯に、
後ろに背負った、大きな剣が印象的だ。
黄金の
「この俺様を、あの真祖の吸血鬼ィィ! 死せる太陽のゲイン様の一番弟子と知ってての。狼藉なんかごるぁぁぁぁぁぁーーーーーー!」
咆哮がこだまする。
アルルはソレを、じっと見つめたが。それよりも目の端で捉えた隣のリヴィンが、吸血鬼の単語を聞いてからか、あからさまに興奮している。
気が散ってしょうがなかった。
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