静謐たる宙

 水の星、地球の海の青を表すターコイズ・ブルーの受付帽。握りしめた鮮やかな珊瑚礁の色地に月と星の刺繍が光る。

 このスター・ドームで一番にお客様を迎える受付の制服は、私の誇りで戦闘服だ。人目を引く華やかな衣装だけれど、決して遊びでやっているんじゃない。

 ——結局、スズちゃんに寄ってくる人たちがスズちゃんをちゃんと分かっていないんだよね。

 そうなの。星歌さん。

 受付はスター・ドームの顔である。ハッと振り返る超絶美人ではなくとも、来た方が快く思うようにそりゃ身なりには気をつけている。介添が必要な方のために走り回っても崩れないメイク、何があろうと落ち着いた笑顔、人を避けるのではなく馴染みやすいような印象で。

 そんな私の見た目が人の目にはどんな風に映るのか自分では知らないけれど、どこか誤解を受けるらしい。

 なんとなく、「遊んでいそう」みたいな印象なのだろうか。人好きする印象を出そうと思って、受付として恥ずかしくないような接し方を鍛えて身につけてきたつもりだったのだけれど。

 ——お姉さん、受付やってるくらいなんだから人と話したりも好きじゃない? ちょっと飲みに行かない?

 ——好きだねぇ、接客業。そんなに無理して笑顔続けなきゃいけないって疲れない? 

 ——なんだ、結局のところ仕事かよ。突っ立ってるだけなのって辛そうなのに。

 ふざけるな。

 行き場なくロッカーにぶち当てた拳が痛い。手袋を脱いでしまったので強い振動が骨に直に響く。

——でも手袋を先に外した自分、偉いわ。衝動に任せて真っ白な手袋を汚すところだった。

 熱くなる拳を握りしめたまま、そんなことでも思わないとやっていられない。

 私に惹かれたと言って寄ってくる人間たちは、私とは別の何かを見て勝手に像を作り上げてくる。きっと手袋の手首にくるりと描かれた銀の線の上に太陽系が並んでいることにすら、彼らはいつまで経っても気づけまい。

 ——いや、気付けなくてもいいのだけれど、そういうこだわりへの理解くらい。

 衝撃にたまらず閉じた目をうっすら開けると、手袋の留め具の跡が手首にできていた。

 いつもなら一日の仕事を終えて素肌の手が空気に触れたら、ほっと心地よい気の緩みと満足感が指先から全身に伝わっていくのに、今日は痛覚しかない。

 ——スズちゃんは根っから真面目だし、受付仕事に誇りを持ってるからこそ中身も見た目も素敵なのにねぇ。

 自分では自分にかけてあげられない星歌さんの褒め言葉が胸を熱くする。

「もう……星歌さんと結婚したい……」

 喉の奥に濁り固まった異物を吐き出そうと冗談で笑おうと思ったのにいまいちうまくいかない。

 二階より上の会場ではまだ七夕特別イベントが続いている。でも私はもう帰るだけだ。手袋を雑にロッカーのポケットに突っ込むと、引き換えにトートバックを引っ張り出して即座に扉を閉めた。

 誕生日に一人っていうのも悲しいけど、帰って星でも見ながらケーキと一緒に一人祝杯だ。

 更衣室を後にして靴音高く廊下を闊歩する。早番シフト終わりの人数は少ない。今どんな顔をしているかなんて想像がつく。がらんどうの通路は寂しいどころかむしろ清々しい。

 そのまま高速でいつもの通り関係者入り口に進もうとしたが、会場に続く扉の前で、ふとパンプスが止まった。

 私が提案した天の川の案内は今日までだ。星の楽園に続く道標には、想いを込めた。

 空の特別な日に訪れたお客様にとって特別な日になるように。大事な人と一緒に素敵な時間へと歩むようにと。

 ——せっかくだから、見納めして行こっかな。

 どうせなら私だって恋人と歩きたいなんて憧れがなかったとは言わない。でも残念ながら、そんなのいないし。だったら頭を捻って考えた渾身の企画に思い切り自己満足して、天の川で浄化されて帰る。決めた。

 突発的な思いつきに我ながら感心したら気分も急上昇した。仕事上がりの時間も早いし、運が良ければ駅前の店の限定ケーキも買えるかもしれない。

 気持ちばかり軽くなった足でエントランス・ホールに躍り出る。入場受付が終わってもう無人のホールに出ると、すぐ側に空気を圧迫するものがない広々とした空間で足元から高い天井まで散りばめられた無数の星辰に囲まれて、本当の宇宙みたいだ。行ったことはないけれど。

 途端に気持ちよくなって金銀に煌めきながら蛇行する天の川を辿っていこうと一番近い川辺に近づき、流れに向かう方向へパンプスのつま先を合わせた。

 足先がしっかり星屑の線上に揃ったのを確認し、さあ下流へ、と頭を上げたとき——自分の顔が一瞬にして瓦解したのを自覚する。

 天の川と地上との接点、すなわちスペース・ドームの出場ゲートの向こうに、さっきの青年たちが立っているのである。壁に寄っかかってスマホをいじっているが、画面に集中している風でもない。明らかに誰か待っている。

 思い上がるつもりはないが、自分の経験が答える。かなりの可能性で待ち人は私だ。ああいう人間は時折り目標物を求めてドームの中を窺い見る。下を向いているあの目が上がったら終わりだ。

 膨らんだ気球のガスが針で刺されて抜けていく時のように、気分が急降下するのと反比例してとてつもない緊迫感がどんどん増していく。こうなったら天の川を断念して素直に職員用出入り口から出るしかない。

 忍足で川から出ると、今出てきたばかりのスタッフ用扉の中へ戻ろうとそろそろ戸を押す。

 しかし今度はあろうことか規則正しい足音が近づいてくる。この重さは男性。直感よ当たるなと虚しく願いながら音の方を振り向けば、案の定、直感は当たっていた——更科さんだ。

 どちらかに行ったらどちらかに捕まる。最悪、両者が無駄な喧嘩を始める。あれでも一応、お客様だ。表面上、礼節を保って接しても、更科さんが水面下の爆弾を隠し切れるとは思えない。七夕の夜にまさか不純物衝突まがいの危険に遭遇するなど不吉にもほどがある。退路も進路も絶たれた。

 しかしどうしようか躊躇していると、青年の片方がおもむろにスマートフォンから目を離し、こちらへ顔を上げた——


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 続く


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