七月の七分七十七秒のゆくえ

蜜柑桜

宇宙の時

 七夕はいつから地上のイベントになったのだろう。

「スペースドームにご来館ありがとうございます。こちらが館内マップになります。本日はプラネタリウムが七夕特別プログラムになりますので、ご観覧をご希望でしたらお早めに二階にてご予約をお勧めいたします」

 いつもの挨拶に今日既に何度も繰り返した文言を加え、星座の描かれたカウンターの上で館内マップを滑らせる。

「また本日は織姫と彦星の出会いに寄せて、展示ブースでは恋人たちの幸せを占う星占いや限定ゲームイベントも開催しております」

 恋人、という言葉にはにかみながら顔を見合わせ、無言の会話を交わす男女。

 それを見なかったことにして、星型のワンポイントビーズのついた白手袋をスッと上に上げ、極上の笑顔を作る。

「観覧順路は二階からになります。悠久の時へ、星空の煌めきを心ゆくままお楽しみください」

 二人が辿っていく床には、今日のためだけに敷いた天の川の誘導線。「星の上辿るなんてオシャレだねぇ」なんて和やかに笑い合う様はなんとも幸せそうな織姫と彦星。

「さあ、星巡りのはじまりです! あなたの旅がかけがえのないものになりますように!」

 嬉しそうに礼を述べ、くるりと背を向ける二人組。

 後ろ姿を見送る顔から、極上の笑顔が消えたのを感じた。



「腕を組んでいくなんて、この暑さの中でよくやるわねぇって思いません? キラキラした天の川なんて現実に歩けるわけないんですよー。その先がブラックホールではないといいですわねーって感じじゃないですか」

「って……その天の川ナビ、考えたのスズちゃんじゃなかった?」

 休憩室に入るなり穏やかにお昼を食べていた先客にぶちまけると、星歌さんはサンドイッチに伸ばした手を止めて眉尻を下げる。受付の私より昼休憩が早い星歌さんは、大抵この時間は手製のお弁当を食べつつ午後仕事の準備をしている。

 今日も例の如くだった。しかし私が資料の確認を邪魔したというのに、流れるようにエスプレッソ・メーカーから私の分の珈琲を出してくれるあたり星歌さんだ。さすがプラネタリウム星空解説員。声まで落ち着いて和ませる。天使か。だから私も顔を見るなり口が開いていたのだけれど。

「それはそうとしても、どうして七夕だからってそんなに浮き足立ちますかね。今日は織姫と彦星のデートであって地球人に何の関係もないじゃないですか」

「まぁプラネタリウムスペース・ドームにとっては集客にちょうどいいイベントだし……」

「天体イベントには関係ないじゃないですか!」

「今年は金星が最高光度でしかも三日月に見えるよ?」

「そんなコアなもの知ってる人間いませんよ! 星歌さんと空人さんくらいですよ浮き足立つの」

「いや、奴と一緒にしないで」

 わざと乱暴に椅子に座ると、目の前に珈琲を差し出される。碾きたての豆から作った芳しい香りがくすぐったい。

 鼻先に漂う芳醇な香が沸騰した感情を少しだけ抑えてくれる。一口啜ると、誰かの差し入れらしい焼き菓子を差し出された。

 甘いお菓子に罪はない。手に握りしめていた受付帽を傍に置き、お礼を言ってありがたく一番大きなガレット・ブルトンヌを失敬する。

「だって来るお客さん次から次へとカップルばっかりでもう。見ていて恥ずかしくなるくらいみーんな幸せオーラ出しちゃって」

「そりゃあ、七夕恋占いとかペア・ミッションとか今日の特別イベントはカップル向きだしねぇ」

「織姫と彦星は一四・四光年離れてるんだから会えっこないのに人間がかこつけてデートなんて嫌味じゃないですかぁっ!」

「いや、あの企画もスズちゃん発案だよ?」

 どこまでも冷静かつ優しく切り返す星歌さんはどこまでも素敵だけれど、どうしても唇を尖らせてしまう。星歌さんに言われなくても分かっている。

 私は一体、誰のためにあんな企画を出してしまったのだ。人の幸せをお膳立てして眺めているだけとは惨めすぎる。

 一緒にプラネタリウムに来る彼氏もおらず、帰って共に天の川を眺める旦那さんなどほど遠く、それでもにこやかに皆様の至福の時をご案内するばかりとは。

「そんなこと考えるのが性格良くないって思うんですけど……やっぱり日がな一日見ていると滅入ってくるんですよねぇ。ああ私もあんな風になあって」

 単なるひがみなのは自覚している。しかし止めようと思っても憧れてしまうものは憧れてしまう。

 愚痴ってしまうのも甘えだな、と言っているそばから嫌になるのだけれど、星歌さんは少し空を見てからサンドイッチをつまみあげ、ぱくりと齧り付いた。

「空人見てれば分かると思うけど、相手に腹立つことも多いよ」

 続けて海老のピンクとアボカド、胡瓜の若草色が食パンの白に鮮やかに映えるサンドイッチがランチボックスから消えていく。

「ていうか腹立つことの方が多いよ。こっちの心境も分からないやつは。ブラックホールに行ってしまえってね」

「とか言いつつ空人さん、星歌さん大好きじゃないですか」

 プラネタリウム解説員の星歌さんの旦那さん、空人さんは天文台の研究員をしている。星歌さん曰く地に足がついていない宇宙人だそうで、天体イベントがあれば夫婦イベントそっちのけで天体観測に行ってしまう。そのおかげでしょっちゅう星歌さんが腹を立てているけれど、まあ星歌さんも似たような天文バカであるし、お似合いはお似合いだ。

 喧嘩の内容すら天文バカなので、星歌さんの文句を聞いている私ですら、傍目から見ていると痴話喧嘩ようにしか見えない。それも星歌さんが怒るばかりで空人さん無自覚の。

 しかも、お互いに想うからこその怒りではないだろうか。そもそも想ってくれる存在がいる時点で羨ましい。

 そうこぼすと、星歌さんはごっくん、と咀嚼物を飲み込み、憐れむでも呆れるでもないなんとも言えない微笑を浮かべる。

「でもそうは言いながらスズちゃん、モテるじゃない」



☆☆☆

続く


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