第86話 しあわせ


 アルトンの家の玄関先では、何とも言えない空気が漂っていた。


 その一翼を担っているのは、他でもない私だった。


「白魔女様。そんな顔をしないでください。またいつでも帰って来て構いませんよ。もし何かあっても、ここを第二の実家だと思ってください」


 アルトンは私の方を見て、どこか心配そうにそう告げた。


「マリィ~! アタシやっぱやだよ、出てかないでよぉ!」


 ミォナも少し俯いていただけだったが、突然情けない声を上げて泣きついてきた。


「ずっと一緒にいてよぉ~! やっぱり私のママになってぇ……明日からも毎日一緒に寝ようよぉ!」


「うぅっ……ミォナ」


 ミォナは私に抱き着いて、離そうとしない。私もその背中を撫でた。しばらく毎日一緒に過ごしてしまったせいで、私もここを離れるのが寂しくなり始めていた。


「ミォナ、お前相変わらず……全く……」


 アルトンは額に手を当てて、ため息を吐いた。


「アタシたち仲良くなったじゃん……どうして置いてくの?」


「ミォナ……私だって置いていきたくないですよ」


「嘘つき! アタシよりアリシアが大事なんだろ! アタシの方が絶対、マリーの娘なのにぃ……」


「うぅ……うぅ……ミォナ、アルトンさん、私やっぱりここに残って……」


 後ろから大きなため息が聞こえる。


「ハァー……あんなに行きたくない行きたくない言っていたのはどこのどなたですか? ねぇお姉さま」


「うぅ、アリシア、だってぇ」


 アリシアは二人に渡すお礼の荷物を運ぶために、一緒に来てくれていた。先ほどからしばらく、別れの場面を静観していたが、ついに我慢できなくなったようだった。


 たかだか数日、一緒に暮らしただけのことだ。しかし、寝食を共にするというのは想像以上に日常を侵食して改変し、それを当たり前にしてしまうらしい。この当たり前を失うのがとても辛いと感じるようになってしまった。


 テレビでホームステイなんかで別れ際に泣いているお涙ちょうだい場面を、どこか冷めた目で見ている性質だったというのに、私も今や全く同じような心境だった。


「聞き捨てならない発言もありましたし、そろそろ離れていただけませんか! ねぇ! ぐぐぐ!」


 アリシアは私のお腹を後ろから両腕で掴んで、ミォナから引きはがした。


「あぁっ……! マリー! 行かないで!」


「ミォナぁ!」


「うるさいうるさい! いいから離れなさい!」


 アリシアは無理やり私とミォナを引き離すと、間に入って立った。


「お世話になりました、アルトンさん。こんな情けない先生を、今までありがとうございました」


「いえいえ、こちらこそ色々頂いてしまって。何より、ミォナの夢を手助けしていただけることが嬉しいのです。この子も最近は少し反抗期だったのですが、お店を開けると分かってからは……幼いころに戻ったかのようです」


「まぁ、それは良いことですが。お姉さまとの連絡用のブレスレットは問題なさそうですね」


「ええ。本当に助かります。まあ本来、使わないのが一番ですが」


 アルトンは白い糸を編み込んだ輪っか状のブレスレットを、腕には付けずに手に持っている。それと同じものが、私の手首につけられている。


 これは、リサに注文して買ったものだ。村に危険が及んだ際、アルトンがそれを千切れば、私の腕に巻き付いたものも自然と千切れるようになっている。そうすれば私は村の異変に気づいて、すぐに箒で駆け付けることができる。


 あの奇麗なドアを用意してもらったお礼だ。あればかりはオーダーメイドでつくってもらう必要があったし、メイと行ったみたいに突然買いに行くわけには行かなかったのだ。


「それが無くたって、何日かに一回は、誰かしら来るようにしますよ! 私たちも、少し離れてはいますが、白森の街の住人だと思ってください!」


 アリシアはえへん、と胸を張って、言い切った。アルトンもそれを聞いて、嬉しそうに頷いた。


「マリー、今度お家につれてってよ。でもさ、アタシは誘拐する程かわいくないかな?」


「ううん、ミォナ。ミォナはとっても可愛いですよ、いつか招待しますね。いいえ、むしろ今から」


「あー! もういいですから! くっつかない! この浮気者!」


 私は再びミォナから引き離された。私たちは今生の別れのように腕を伸ばしたが、アリシアにずりずりと引きずられて遠ざけられていく。


「あぁっ! マリー! 行かないでぇ!」


「ミォナ! アルトンさん!」


「お世話に! なりました! では、また!」


 アリシアは私を引きずりながら、もう本当に連れていくとばかりに別れの挨拶をした。


「はは……本当に仲がいい。しかし……本音を言えば……私も寂しくなります」


「アルトンしゃんっ……! うぅっ……!」


 軽く俯いてそう言ったアルトンに、私は今まで堪えていたのに鼻の奥がツンと熱くなった。はっきり言ってアルトンは気遣いの塊だった。むしろ厄介者が出て行ってせいせいしてもいい位だというのに、寂しいと言ってもらえるなんて。


「ぐぎぎ……! 本当に帰りますから! お姉さま、自分で歩いて!」


「お世話になりましたぁぁ……! また、また来ますから……私のこと忘れないでぇ……」


「はい、またいつでも」


「マリぃ~!」


 アリシアに引きずり出されて、無理やり外に出る。支える者がいない扉が、バタン、と閉まると同時に二人の姿が視界から消えてしまった。


「あぁっ!」


「ほら待たない! 見送られたらまたこれが続くんですから。歩く! 自分で歩く!」


「うぁぁん、アルトンさん、ミォナぁ……」


「全く、油断も隙も無いんですから! 人たらしで惚れっぽいんだから手に負えない!」


 アリシアは素早く安全紐を私の腰に巻き付けると、胸元に押し付けるように箒を渡した。


「ほら! 早く乗って! 二人が待ってますよ。美味しい料理を用意した二人の前でも、そんな顔ができますか?」


「メイとシャルロッテが……?」


「シャルロッテと私も手伝ったんですよ。きっと喜んでもらえるって、そう思ってるのに。そんな泣き顔見せたら、どんな気持ちになるでしょうね!」


「うぅ……帰る……」


「当たり前です! 早く乗って!」


 私は初めて、アリシアに先導されながら箒で飛んだ。


 安全紐をつけているが、もはやアリシアの為というより私の為だった。しかし、確かに二人の前でこんな姿は見せられない。精一杯深呼吸をして、心を落ち着けた。




 小屋に戻ると、二人は笑顔で出迎えてくれた。あのシャルロッテさえも、どこか嬉しそうに笑っていた。


「お帰りなさいませ、お嬢様。再び共に過ごせる日を心からお待ちしておりました」


 メイはいつものように礼儀正しく、私を出迎えた。


「戻ったわね、マリー! 見なさいよ、この料理! おいしそうでしょ? 私が作ったんだから!」


 机の上には、沢山の料理が並んでいた。色とりどりのサラダや肉料理、海鮮まである。明らかにいつもより豪華だった。


「ただいま、二人とも! すごいですね! おいしそうです!」


「シャルロッテ……あなた少し手伝っただけでしょ。それにお姉さまったら……ついさっきまで泣いてた癖に……」


「泣いてた? 何で泣くことがあるのよ」


「わー! 泣いてません! ちょっと落ち込んだだけです、何言ってるんですかアリシア!」


 それから私たちは食卓に着いて、一緒にその豪華な晩御飯を平らげた。


 眠るときはアルトンの家に行っていたとはいえ、小屋には毎日普通に顔を出していた。それなのにここまでしてくれるなんて思っておらず、素直に嬉しかった。メイだけではなく、二人も手伝ってくれるなんて。


「あー! それは私が食べようと思っていたのに!」


「なによ、アリシア。だったらすぐに取ればよかったのに。でももうダメよ、私が取ったんだから」


「私は王女ですよ⁉ 返しなさい!」


「ここじゃ私が先輩魔女だもんね~ 生意気な後輩にあげるご飯なんて無いし!」


 賑やかに騒ぐ二人を見ていると、心が温まる。勝手に口元が緩んでいくのを感じた。


「こういう感情って、何て言うんでしょうか」


 誰ともなく呟いた言葉を、メイが拾い上げる。


「もし、お嬢様が私と同じ気持ちなのだとすれば……」


「うん?」


「それは、幸せ、という感情ではないでしょうか」


 幸せ……喜怒哀楽とは違って、これが幸せだ、と分かりやすく感じたことは無かったかもしれない。


 しかしそう言われてみると、この心が満たされてじんわり温まるような感触は、ただ喜びとか、楽しいとかで表されるようなものではなく、幸せ、という言葉がまさに適当に思えた。


「幸せ……そうですね。私、今、幸せかもしれません」


「はい、お嬢様。きっとみんな、同じ気持ちですよ」


 メイはそう言って、珍しく笑った。少し驚いたけど、私もすぐに微笑み返した。


 色々あって、こんなに同居人が増えてしまった。不安しか無かった他人との生活を、私は今、幸せと言い表している。


 私を含め、色々な物事が、変わっていく。それが嬉しいような……


 でも今は……変わらない今がずっと続いて欲しいような。


 私はそんな矛盾したような不思議な気持ちになったのだった。

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