第2話 馬主 阿栗孝市






 名古屋競馬場の3階にある特別観覧席の柔らかなシートに座り、これから始まる愛馬のレースを待つ阿栗あぐり孝市こういちは、落ち着かなかった。

 

 ようやく、長年の念願だった『東海ダービー』に愛馬を出走させることができた。

 出走させるだけではなく、愛馬アグリキャップは一番人気に推されている。

 全幅の信頼を置く久須美調教師も、九分九厘勝てると太鼓判を押してくれているし、追い切り後の安東克己騎手も距離が伸びても問題ないと手応えを感じているようだった。

 枠順が最内の1枠1番であり、コーナ―で包まれると減速を余儀なくされるという部分だけは気になるところだが、このレースは2角後方のスターティングゲートから発走後、バックストレッチの直線を400m強走った後に最初のコーナーである3角に差し掛かる。1周1100mで小回りのカーブを6度回らないといけないレースだが、3年前にもこの『東海ダービー』を制している安東騎手なら、最初の3角までの間にコーナーワークに問題のない位置取りをしてくれるだろう。

 そうした安心材料だけが積み上がっているのだが、どうにも上手く行きすぎていて何か落とし穴があるのではないか、と根拠も具体性も無い単なる不安感が時折心にふわっと湧き上がってくる。

 

 どうにも落ち着かない。


 阿栗孝市は同じ特別観覧席にいる他の馬主に、自分の落ち着きのない様子を気取られぬよう息をゆっくりと吐き、隣に座っている稲穂いなほ裕司ゆうじの様子に目をやった。


 稲穂裕司は阿栗の愛馬アグリキャップを生産した稲穂牧場の跡取りで、生産者代表として阿栗が今日招待した。

 といっても中央競馬とは違い、主催の東海公営から優勝馬に生産者賞が出る訳でもないため、口取りに生産者が必ず参加しないといけない訳ではない。

 純粋に、自身らが携わった生産馬の晴れ舞台を見たかろう、という阿栗の好意からだった。

 裕司を指名した訳ではなく、牧場長である裕司の父、稲穂いなほ富士夫ふじお宛てに連絡したのだが、高齢の富士夫は飛行機でわざわざ愛知まで来るのが体に堪えるとのことで裕司が代役として来場している。

 

 稲穂裕司は、阿栗以上に落ち着きがなかった。

 ソファに腰かけているのに柔い背もたれを堪能しようともせず、前かがみになって自身の両膝の上に両肘を付き、組んだ両手で額をコンコン忙しなく叩いている。

 足は絶えまなく爪先が上り下がりして床を不揃いなリズムで叩く。


 おいおい、直接岐阜まで直談判に来るくらい思い切りが良い行動をするってのに、えらく可愛らしいとこあるじゃないか、裕司は。


 阿栗はそんな稲穂裕司の様子を見ていると、不思議と落ち着いてきた。


「裕司くん、久須美さんのとこ厩舎初めて行ったの、いつだったっけか」


 阿栗は自分でも驚くほどに落ち着いた声で稲穂裕司に問いかけた。


 稲穂裕司は阿栗にそう問いかけられると、額を叩く両手を止めて上半身を垂直に起こした。


「はい、あれは確か……別れた妻と一緒になった時の新婚旅行替わりでしたから……もう11年前ですね」


 緊張でこわばる口で稲穂裕司がそう返答する。


「あれは、びっくりしたってもんだわ。久須美さんも驚いとったもん。1度しか会った事ない牧場のせがれがいきなり来て、馬を繁殖で預けてくれって突然言い出すもんで」


「……本当に若気の至りとはいえ、申し訳ありませんでした」


「謝らんでもえーて。もう昔のことやで。それに、殆ど初対面相手の懐に思い切って飛び込むってゆう無鉄砲なとこ、わしも気に入ったもんでね。

 裕司くんの熱意にほだされてってのもあったけど、元々スマイルワラビーをどこに預けるかっちゅうのは決めてなかったでね、こっちもある意味渡りに舟みたいなとこあったんだわ」


 阿栗がそう言葉を返すと、稲穂裕司はホッとしたように「ありがとうございます」と返す。

 稲穂裕司の緊張も多少解けたようだ。


 まだ出走馬はパドックで輪乗りしているのか、返し馬には出てきていない。

 もう少し雑談した方が、互いの緊張もほぐれる。


「そういや裕司くん、あの若いあんちゃんと外人の嬢ちゃん、元気でやっとるんかね」


布都野ふつのくんとセラさんですか。元気に働いてくれてますよ。僕が今日来れたのも彼らがウチで働いてくれてるおかげでもありますから」


 稲穂牧場は家族経営の小さな牧場で、牧場長の父母と裕司の3人で切り盛りしていた。11年前に結婚した裕司の妻は牧場の仕事に馴染もうと頑張っていたが、かえってそれが仇となり5年前に離婚していた。

 従業員の布都野ふつの顕元けんげんとセラフィーナ=ヒュッティネンは離婚した裕司の妻と入れ替わるように突然4年前稲穂牧場に働きたいとやってきた。

 そんな2人を牧場長の稲穂富士夫はすんなりと受け入れ、以降は繁忙期の8カ月間稲穂牧場で働いている。


「あの2人は、付き合っとるんかね?」


「どうなんですかね。憎からず思いあってるとは思いますけど、仕事中はそんな様子見せませんね。でも阿栗さん、どうしたんです、うちの従業員のことを突然。何か失礼でもありましたか」


「いやあ、別に失礼なことされたって訳じゃないんだわ。気にせんでええから。単なる雑談、雑談。裕司くんが緊張しとるもんだから、ほぐすための雑談よ」


 阿栗はそうは言いつつも、その若い男女の従業員に言われて気になっていたことがあった。だが、それを稲穂裕司に言うと若い彼らが雇い主の裕司に叱責されるかと思い、あえて口に出さず胸に秘めたままにした。


 アグリキャップが生まれた年の夏、牧場に久須美調教師と共に当歳馬を見に行った時、放牧地の案内役が布都野ふつの顕元けんげんとセラフィーナ=ヒュッティネンだった。

 若い者が入ると随分と牧場の様子も華やぐな、と二人と世間話をしつつ案内されながら呑気に阿栗は思っていた。

 セラフィーナはスウェーデン出身で日本の大学に留学し、もう在日期間は通算5年になるそうで、時折カタコトにはなるが達者に日本語を操り、よく喋った。

 布都野顕元は大学でセラフィーナと知り合い、卒業後興味があった馬に携わる仕事がしたいという理由でドイツの牧場で働いていたが、契約切れで帰国後たまたま稲穂牧場にやってきた時に気に入って働かせてもらうことになった、と話した。セラフィーナも頼んでいないのにドイツにもここにも一緒にくっついてきた、と冗談のように言った。

 2人とも気負いなく自然体で、阿栗は好感を持った。


 彼らに母馬のスマイルワラビーと一緒に幼名ハツラツが放牧されている放牧地まで案内され、牧場長の稲穂富士夫と入れ替わるように彼らが立ち去る際、彼らが独り言のように言った呟き。


 ”末永ク×××が一緒にいてくれたラ、ハツラツは幸せなのかシラ”

 ”少なくとも、ハツラツにとっては前の時よりは幸せなことだと思うよ”


 布都野とセラフィーナの間で小声で交わされた遣り取りは、阿栗に聞かせる意図ではまったくなかっただろう。

 牧場長の稲穂富士夫も、同行した久須見調教師も二人について何も言わず会話を続けていたため本当にたまたま阿栗の耳にだけ入ったのだと思われた。

 その小声の遣り取りが耳に入った時、阿栗自身も気に留めず聞き流し忘れていた。

 馬主として自分が所有した馬は最後まで手放さず面倒を見ることは自分のポリシーであり、まして繁殖牝馬スマイルワラビーは阿栗にとっても思い入れのある馬で、その子はそれまで全頭阿栗が所有して笠松の久須美厩舎で走らせていた。

 だから阿栗にとってはスマイルワラビーの6番目の子、ハツラツもアグリの冠名で自分が所有し笠松で走らせるのは当然すぎる程に当然だった。

 当然のことを呟かれたとして頭に残らなかったのだ。

 

 そして、そんなことがあったことを長い事思い出すことも殆どなかった。


 アグリキャップが昨年5月に笠松でデビューし、年齢別重賞を連勝し出すと周囲がざわめき出した。

 この馬は、相当なものじゃないか。

 特に昨年10月14日に中京競馬場で行われた中京盃(芝1200m)を、今日の『東海ダービー』にも出走するネツアイに2馬身差をつけて勝った後は、阿栗は周囲の知己の馬主から「アグリキャップを中央競馬で走らせないのか、もったいない」と問われることが多くなった。

 ダートだけでなく芝でも走るとなると、芝のレースが中心となる中央競馬で試したくなるものだろうと周囲は当然のように思ったのだ。


 阿栗は元々久須美調教師の師匠にあたる調教師に「地元笠松競馬を盛り上げるために馬主になってくれ」と熱心に口説かれたのが馬主になるきっかけだった。

 岐阜市を中心とした地元でガス器具販売を主として事業を営んでいた阿栗は、山間部の寒村から裸一貫で出て来た自分がいっぱしに社長と呼ばれるようになれたのは地元の皆のおかげだという感謝の気持ちを常に持っていたので、その誘いに応じて笠松競馬の馬主になることにした。

 そうした経緯で笠松競馬の馬主になった阿栗は、笠松競馬を盛り上げる以外に考えておらず、他の競馬場の馬主登録はしていなかった。

 当然中央競馬で自分の馬を走らせることなど夢にも思ったことはなかったため、中央競馬の馬主資格を取得していない。

 

「この馬は笠松で終わるような馬じゃない。この馬の真価を世間に知らしめるため中央競馬に移籍させたいので譲ってくれ」

 

 やがてそういった中央移籍の為のアグリキャップ買収話が阿栗の元に殺到した。

 中でも一人、非常に熱心に口説いてくる馬主がいた。


 その佐梁さはり磯雄いそおという馬主は、名古屋でファンシーグッズ製造を手掛ける会社の社長をしており、折からのリゾートブームで土産物としてのファンシーグッズ事業が好調であった。

 当初阿栗は佐梁さはりに胡散臭さを感じていた。

 佐梁さはりについての周囲の評判は、馬を商品として考えている情の無い男というものだったからだ。

 実際佐梁さはりは調教師と共に牧場に幼駒を見に行き購入するということは殆ど無く、活躍が目立った馬を他の馬主から購入し、勝てる競馬場で走らせるということが多かった。

 佐梁さはりの所有馬で3年前の東海菊花賞、東海キング、名古屋大賞典を制したカウントステップと言う馬は、元々岩手の水沢競馬場で18戦16勝2着2回という敵なしだったのを元の馬主から買い取り、賞金額の高い大井、川崎の南関東で走らせており、大井で3戦勝ちきれないと見るや名古屋に転厩させ4戦3勝させると次年度は再度南関東に戻した。

 そうした佐梁さはりの行動は当然東海地方の競馬サークル内では眉をひそめる者が多く、阿栗も当然知っていた。


 だが、佐梁さはり磯雄いそおはそうした自身の背景にあかして、つまり金をちらつかせてアグリキャップを売って欲しいとは阿栗に決して言わなかった。

 能力の高い馬がいつまでも笠松競馬のような小さな競馬場に閉じ込められて能力を発揮できないのはサラブレッドとしても不本意なことだ、競馬を愛するファンにとっても不幸なことではないか、と阿栗に正面から訴えるように語った。


 世間で言われる佐梁さはり評とは全く違い、佐梁さはりなりに馬のことを考えているのだと阿栗は感じた。ただ、それが世間の慣例とは違っているということなのだ。

 阿栗は佐梁さはりの言を聞く中で、一度は「アグリキャップのためにはそうした中央移籍方が良いのではないか」と売却に心を動かされていた。


 笠松競馬の4歳馬としては、もう相手になる馬はほとんどいない。古馬を見渡しても数頭いるかいないか。

 所有馬が必ず勝つレースを見たいと思うのは馬主、調教師のエゴかも知れない。

 やはりどの馬が強いのか、それをはっきりさせるためにレースをするというのが健全なのではないのか。

 アグリキャップがどこまでやれるのか見てみたい。

 そのためには、中央に移籍するべきなのかも知れない。

 そう考えた阿栗は、佐梁さはりの売却話の条件次第では、と心を動かされた。

 そうして条件の細部を詰める交渉中、突然脳裏にあの日稲穂牧場での若い男女の従業員が交わしていた呟きが鮮烈に蘇ったのだ。

 

 ”末永ク阿栗サンが一緒にいてくれたラ、ハツラツは幸せなのかシラ”

 ”少なくとも、ハツラツにとっては前より幸せなことだと思うよ”


 そうだ。

 あの時、こんな状況になるとは夢にも思わず当然自分がずっと所有すると思っていたから、聞こえなかった部分があったことすら忘れていた。

 やはりあの時、セラフィーナさんは俺の名前を言っていたのだ。

 自分の所有した馬は、絶対に手放さず最後まで面倒を見る、それが俺の馬主としてのポリシーだったじゃないか。

 地方競馬笠松の、単なる一馬主でしかない自分だが、少なくともアグリキャップにとって良い馬主であり続けることは出来るはずなんだ。

 俺がアグリキャップを手放すのは、ダメだ。

 アグリキャップにとって何が一番良いのかを考えてやらにゃいかんのは俺だぞ、阿栗孝市。

 人に委ねちゃ、いかん!

 

「すまん、佐梁さはりさん。やっぱりキャップは売らん。売れん」


 阿栗はそう言って席を立ち、強引に売却話を蹴った。


 その結果、今日の『東海ダービー』を迎えている。


 ただ、その決断が正しかったのか、阿栗は密かに悩んでいた。

 


 




 

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