第22話 爆弾(再び)

 もう絶対、絶対に絶対に絶対に、高いところには上らない。誰がなんて言ったって絶対に上らない。神様に会いに行くなら神様の方に来てもらう。こんなことするなんてアフリカかどこかの未開の部族だけだぞ。くそっ、今日はどこまでもついてない……。

 着ていたパーカーを脱ぐ。オーバーサイズの暖かいやつ。ジップアップじゃない、トレーナータイプの黒のパーカー。下着だけになるとやっぱり寒かった。今頃になってブラのワイヤーが肋骨に食い込んでいるのを知る。さっきからあばらが痛いのってもしかしてこれか? 私は脱いだパーカーをパタパタはためかせて風を通し、再び袖を通した。覚悟を決める。緩く着たパーカーの上からホースを巻く。消火栓のホースだ。私は何度かそれを引っ張って安全性を確認した。まぁ、これからやることに安全性も何もというところではあるのだが、やらないよりはマシだ。

 ゆっくりと、屋上の縁へ行く。いくつかのパイプ、足場、柵を超える必要があった。消火栓のホース自体は十分な長さがある。私が屋上の、文字通り崖っぷちまで行ってもなお、余りある。

 ハンドガンを握りしめる。大きく息を吸って覚悟を決める。肋骨が痛んだ。脇腹を押さえる。やっぱブラのせいじゃねぇな。くそっ、こうなるならもっとセクシーなやつつけてくりゃよかった。セシリナの持ってた黒のフリフリ、私も買っときゃよかったかな。今頃あいつ、あれ着てマクギーの耳元で「ベイビィー」なんて言ってんのかな。そんなことはどうでもいいか。やるしかない。やるしかない。

 こういう時って上見てた方がいいのかな。でも真っ逆さまなのは嫌だな。かといって下を見てればいいわけでも……。

 ええい、もういい! やるっきゃない! 水中にもぐる時みたいに息を止めて! とにかくやれ! やるんだエミリー! 

 もう一度息を吸う。そして、走り出す。

 やるぞ。

 バンジージャンプだ。



 コレキヨとカレンには指示を出しておいた。

 私たちが持っていたものを活用したプランだ。

 私たちが持っていたもの。

 K2(銃)、パソコン、スマホ、トランシーバー、ニッパー、そして……。

 屋上を吹っ飛ばすために設置されていた、あの爆弾。



 あああーっ! 

 声が出る。でも不思議で、そんな声も大きな空のどこかに吸い込まれていってしまってほとんど聞こえない。

 反転する世界。重力に体全体が引っ張られる。頭がガンガンにシェイクされ、見えてきたガラスに……私は銃を撃つ。

 乾いた音。でも大きい。

 悲鳴。男女の。

 どうか誰も怪我しませんように! 

 そう、神様に祈って飛び込んだ先。

 破られたガラス。混乱する人々。そのど真ん中に私は飛び込んだ。即座に、脱ぐ。パーカーを、黒のオーバーサイズのパーカーを、脱ぎ捨てる。

 パーカーと一緒にホースも私の体から外れた。これが狙いだ。バンジージャンプで二十階に入り込めてもホースのせいで行動を制限されたんじゃ意味がない。ホースは私を二十階に運んだらすぐ外れるべき。だからパーカーと一緒に脱ぎ捨てた。

 晴れて安全ロープであるホースから自由になった私は、デニムの上にちょっとくすんできた白のブラという出で立ちになってすぐ、銃を構えた。すると目の前に、あいつが現れた。キム。あのインテリおじさん、キム。

「おやおや」

 あいつは私の登場に驚きはしたようだが、それでも余裕があった。ニヤニヤと下卑た笑いを顔に貼り付けている。奴はほざく。

「また会えるとは思っていなかったよ。今度はスパイダーマンにでもなったつもりかな? それにしちゃセクシーだが」

「うるさい。黙れ」

 私はハンドガンの銃口をキムに向ける。

「今すぐ降参しろ」

 キムが笑う。

「まだ立場が分かっていなかったようだな」

 と、今頃になって私はキムの足下に目が行く。

 ぐしゃぐしゃになった髪の毛、血が滲んだシャツ、ほとんどぼろ雑巾みたいになっている、傷だらけの男……パパだった。私のパパだった。

「え、えみり……」

 かすれた声。弱った声。胸を抉る、パパの変わり果てた姿。でもよかった、死んでない! 私は泣きそうになる。でも、必死に銃を構える。

「パパ!」

「ハハハ」

 キムが笑った。ぐいっとパパの髪の毛をつかみ、そして、引きずり上げる。自分の顔の下あたりにパパの顔を持っていった奴は、そのまま持っていた銃をパパの顎に突きつけた。それからまた、ほざいた。

「私のビジネスに協力してくれないか頼んだんだが聞き分けが悪くてね。ちょっと痛めつけさせてもらったよ……安心したまえ。この肩の傷は……」

 ぐりぐりと、銃口でパパの左肩、傷口を抉る。パパの悲鳴。やめろっ! 

「この傷は幸いにも弾が貫通している。怪我の具合としては、まぁ、そこまで悪いもんじゃないだろうよ」

「お前パパを撃ったのか!」

 キムが歯を見せた。

「こいつが私に従わなかったからだ」

 と、私はキムの足下を見た。小型のキャリーケース。まだ口を閉じていない。ジッパーは閉じ切っていない。そしてそこから覗いていたのは……紙? 紙切れ? 

 すると、キムが私の目線に気づいた。またニヤっと笑う。

「私のビジネスが何か分かったようだね」

「なんだそれ」

 私は素直に訊ねる。実際、キャリーケースから覗いているそれが何なのか私には分からなかった。するとキムが告げた。

「連結子会社の持ち株含めたこの会社が持っている証券の類全てだよ。それと重要な企業秘密もいただいた。斉藤製薬の証券、そして機密ともなれば欲しがる奴はたくさんいる。ごまんといる。幸いにも今、この会社はレラネゴブの開発で人も資材も、そしてもちろん金も大量に集まっているところだった。この会社の売り上げ規模はどれくらいか知っているかね? 四十兆だよ。紙の形で残っているだけでも十兆はある。私も悩んだんだがね。電子上の仮想資産を盗むのより、現実世界にある資産の方が手が届きやすいと踏んでこの行動に出た。もし電子上の資産の方がやりやすければそれこそ、君のような優秀なハッカーを雇っていただろうよ。どうだね? そういう未来は。まぁ、今回は君がこの副社長の娘だと分かった時点で、君の名前をちらつかせたら金庫のナンバーを吐いてくれたからある意味共演はしているわけだが」

「ふざけやがってっ! これだけ人を殺しておいて結局やりたいのはコソ泥かよっ! たったそれだけのために社長のじいさん殺したり警察を吹っ飛ばしたりしたってのか! 屋上ごと人質を爆破しようとしたってのか!」

「いいか。親の財布から一万円抜くのとはわけが違うんだ。十兆だ。やるなら徹底的にやらねばならんのだ」

 今、私の部下がエレベーターで下りている。そう、キムは続けた。

「私たちはモグラでね。地下から来たんだ。だから地下から帰る。仲間が今、盗んだ品を地下の出入り口まで運んでいる。ほら見ろ、この電光掲示板でもエレベーターがどんどん下りていくのが見えるだろう」

 確かに、エレベーターの表示はどんどん下へと向かっている。十四階、十三階、十二階……。

 それよりも。と、キムは歯噛みした。

「こんなところまで来るとはよほど目の前で親父を殺されたかったと見える。安心しろ。望みどおりにしてやる」

「黙れ! 銃を下ろせ!」

 私は銃を向けたまま叫ぶ。

「下ろさないと撃つぞ! 下ろせ!」

 キムがまた笑った。

「窓から飛び込んできてそんな格好になってまで何をするかと思えば安い脅しか。いいか、撃ってやると言った時にはもう撃っていないと駄目なんだよ。それを今、教えてあげよう……」

 と、奴が銃をパパの顎にくっつけようとした、その時だった。

 轟く。

 そして、エレベーターのドアが火を噴く。

 やった! 

 私は確信する。コレキヨとカレンが、上手くやったんだ! 


 プラン六:後片付けをする

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