第14話 後片付け

 懐かしい話をした。

 私がアメリカあっちで思春期を迎えたばかりの頃の話。

 私は淡々とコレキヨに話した。あいつは黙って聞いていた。話しながら、私の頭は時間を遡って過去に飛んだ。あの日の景色……薄茶色に染まった芝生が、目の前に浮かんだ。



 私があいつに恋をしたのは本当に唐突だった。友達に貸したレポートを返してもらって、バスケットコートのフェンスの中をフラフラ歩いていた時だった。不意に私の方に大砲みたいなボールが飛んできた。気づいた時にはもう遅くて、ああ、私の頭は吹き飛ぶんだなと思っていたら、意外にも無事だった。そして私とボールの間に、あいつが立っていた。あいつ……マイケル・マッケンジー。

「ヘイ、怪我は?」

 あいつは紳士的にもそう訊いてきた。私はぽかんとして、「だ、大丈夫」なんて人見知りの子供みたいな返事をしてから、なんとか「ありがとう」と告げた。去り際、あいつが私を呼び止めた。

「もしかしてエミリー・サイトー?」

 私の名前は正確にはエミリ・サイトウだが、多くの友達が私のことを伸ばし棒の多いエミリー・サイトーと呼んでいた。慣れっこだし、いっそそっちの方が楽だとも思っていたから、私は素直に振り返った。マイケルあいつが白い歯を見せた。

「ロッカーが隣だ」

 びっくりした。言われるまで隣近所のロッカーのことなんて気にしたことがなかった。でもそういえば、私の隣のロッカーには背の高い男の子がいたような気がした。あれがマイケルあいつだったんだ。

「覚えておいてくれると嬉しいよ」

 あいつはそう笑ってコートへと戻っていった。私は少しの間、スマホのフラッシュでも当てられたような顔をしていたと思う。

 それから、学校の敷地の片隅、ほんのひと区画だけ芝生が敷かれている場所に座って、私はサンドイッチを食べた。お気に入りの、シュミットさんのところのベーカリーで買ったサンドイッチだったけど、この時は妙に味がしなかった。頭の中には、腕があった。あいつがボールを捕まえた、あの太くて筋の走った白い腕……。


 実際、マイケルは人気だった。

 頭がいい。顔もいい。性格も明るくて、スポーツもできるとくれば必然人気者だ。おまけに彼は課外活動にも熱心で、被虐待児を集めるシェルターの運営もやっていた。近隣で保護された児童を匿っておくための施設だ。特に未就学児を対象としているらしく、まだ歩き始めたばかりの子だったり、喃語を発するようになったばかりの子を保護しているらしかった。それも、そう、二人で。

 マイケルにはガールフレンドがいた。アイリーン・スミスというチアリーディングの子で、笑顔が太陽みたいに眩しい、とてもセクシーな女の子……ポニーテールがよく似合う。マイケルはそんな彼女と二人で被虐待児のシェルターの運営をしていた。二人はそう、まるで前世から結ばれていた夫婦みたいに子供たちの面倒を見ていた。それは、とてもとても甲斐甲斐しく。

 そう、私の恋は始まった時から終わっていた。叶うわけがなかった。そもそもこんなアジア人の……チビの私にあんな立派な男の子、届くはずがなかった。まったく、バカな恋だった。

 だから、かな。

 私はマイケルのことを、つぶさに調べるようになった。マイケルの肉体と精神は、確かにアイリーンのものだ。でもあいつの情報は? あいつを構成する情報は、公のもの、みんなのものだ。そしてみんなは気が向かないのか知らないのか、。私はできる。

 彼のプライベートなパソコンに入った。ちょっとくらいポルノのブックマークがされていても気にならなかった。彼のスマホに入った。アイリーンとのやりとりを見て自分の胸を針で刺した。彼を見つめた。彼の音を、においを嗅いだ。変質的なのは分かっていた。分かっていたけどやめられなかった。

 彼に関する情報はほとんど集めた。アイリーンのプライベートに入り込んで、彼女から見たマイケルも知ろうかと思ったがやめておいた。だが……だが、私のターゲットになり得る存在がもう一個、あった。

 シェルターのコンピューター……。

 シェルターに匿われた子供が十人近くいるのは知っていた。シェルターの運営も、州とやりとりして管理していることも知っていた。シェルターにコンピューターが、マイケルのパソコンがあることは目に見えていた。だから入った。

 同じ頃、マイケルの家の近隣では虐待騒動が増えていた。子供を一人で家の外に出しただの、遅い時間まで放置していただの。親は一様に「私たちはそんなことやっていない」と主張したが、善意の第三者が屋外で一人寂しくしているよちよち歩きのチビを撮影し、州警察に送りつけていたので言い逃れはできなかった。そうして保護された子供たちは皆、親が裁判を受けている間マイケルのシェルターに匿われた。歩きたてのチビ。言葉も怪しい赤ちゃん。ボールが好きな男の子。クレヨンを集めるのが好きな女の子。

 そうして集められた子供たちは皆揃って健康状態に問題があった。発熱、嘔吐はもちろんのこと、妙にハイテンションだったり、癇癪を起こしたり。どれも虐待の影響だと判断された。実際マスコミも「子供を苦しめる親たち」と銘打って大々的に報道した。

 私はそんな哀れな子供たちを匿うシェルターのコンピューターに入った。そこで、見てしまった。


〈アンドリュー:薬は飲みたがらない。やむなく吸引させる。発熱〉

〈クラリス:ゼリーで飲ませれば薬は飲むが、解熱剤の効果が薄い。一旦嘔吐はするので、には吐かせる必要がある〉

〈ジェシカ:薬も飲まないし食事も摂らない。困ると言えば困るが勝手に衰弱するから楽〉

〈ジェームズ:人懐こくこちらが与えたものはなんでも食べる。下剤入りのお粥を美味しいと食べていた。笑える〉


 それはドキュメントファイルだった。作成者を見た。「アイリーン」とあった。

 一瞬、信じられなかった。私が何かを見間違えたのだと思った。が、理解は遅れてやってきた。あ、あの性悪女……! 保護した子供を、匿った子供を虐待していやがる! そう、パソコンの前でいきりたったところでとんでもないものを見た。ドキュメントの作成者は「マイケル」だった。


〈アルファ社取材に応じる。ギャラ二百ドル〉

〈州からの助成金アリ〉

〈先日のアルファ社の記事が送られてくる。子供たちの様子を撮影したものが少ない。やむなくジニーが咳で苦しむ様子を撮影し、送りつける。『こんなに苦しんでいる子がいるんですよ!』〉

〈アイリーンといいホテルに泊まるためにも、収容児童を増やさねば〉

〈お隣のウィルキンソンさんのところに子供が産まれるらしい。うまいことちょろまかしたい〉


 あ……ああ……。

 リアルでそんな声が出ていたと思う。震えていた。怖かった。許せなかった。苦しかった。

 マイケルの家の近くの虐待はマイケルが仕組んだものだったんだ。それから容易に、私には想像できた。

 子育てにはができる。

 親だって万能じゃない。ちょっと目を離すはある。ではその隙を突いて、そしてその隙を大袈裟に取り上げてみたらどうだろう。例えばよちよち歩きの子供が庭に出た。親がふと目を離した隙に、子供をうまいこと誘導して、家の敷地から出させれば? 監督者のいない環境に子供が出たことになる。その場合責任を問われるのは……親だ。そして子供は何が何だかよく分かっていない。そりゃそうだ。そのレベルの幼い子を狙うのだから。そこを撮影したら? 子供は親から虐待を受けていたことになる。ではその子供が行き着く先は……? 

 マイケルたちはそうやって子供たちを手に入れたんだ。そうやって子供たちを合法的に自分のものにしたんだ。そして手に入れた子供たちを、緩やかに痛めつける。何故? 甲斐甲斐しく働く自分たちを見せるためだ。

 虐待された子供たちを守り育てる若い男女。か弱い、傷ついた子供たちを慈しむ男女。世間が応援しないはずがない。マスコミ、自治体、すべてを味方につけて、寄付や援助を受けて、そうした金をのに使ったとしたら? 自分たちの幸福のために使ったとしたら? 

 マイケルたちがやっていたのはそういうことだった。すべてを知った時、私は胃の底からえずいてパソコン横のゴミ箱に吐いた。ひとしきり吐いて、吐いて、吐いて、最悪な気分になってから私は途方に暮れた。これ、どうしよう。

 まぁ、常識的に考えれば、通報すべきだろう。不正アクセス云々は、情報元を伏せるなりして告発すればどうにでもなる。つまり私の存在を認知されることなく通報はできる。でも、できる? だってマイケルだよ? あのボールを受け止めた……。

 少し、深呼吸をした。

 それから私は手を動かした。

 テキストファイルをひとつ作った。作ってから、コンピューターの中にあったものを全部消した。あの虐待の記録を全部。なにもかもを闇に葬ってから、私は作ったテキストファイルを、そのコンピューターの中に残した。デスクトップに置いて、すぐ目につくようにした。そこにはこう書いた。


〈ずっと、見てました〉


 私の精一杯のラブレター。

 それからシェルターがどうなったのかは知らない。マイケルとアイリーンがどうなったのかも、知らない。

 翌年のことだ。

 自棄を起こした私が、FBIのシステムに侵入したのは。

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