・考乃巻
「“
|論理の道筋を後藤が説きだしそして全員に動機があると断言する《ここから始まる考乃巻の何処で犯人に気づくかがこの推理の挑戦である》。
「そ、そんな事は……」
「お主、一影斎めにしつこく言い寄られていたであろう? 報酬の増減まで口にされながらな」
否定しようとする輪廻を、逆に後藤は否定した。流石忍び、耳が早い。
「参佐と四郎兵衛が御館の跡目を狙っておったのも、衆知の事じゃ」
飛騨忍びの里は実力主義、まして下克上の乱世である。その指摘に参佐と四郎兵衛は蛙の面に小便といった様子で頷いてすら見せた。
「俺は」
「お前が口論の末かっとなって他の忍びを殴り殺したのは二度や三度ではなかろう」
「弱いくせに強い奴を怒らせるのが悪い」
無名獣が自分が疑われる理由はなんだと問い、後藤がそれに答え、平然と無名獣はある意味それを肯定した。
「だが、俺がこんな七面倒な事をするか?」
「……やもしれぬな。が、これまでの粗暴が演技という可能性もあろう。それが忍びというものだ」
その肯定をもってして逆に、密室殺忍等といったややこしい事をするタイプではないと主張する無名獣に対し、成る程と言いながらも後藤は一旦保留とした。
「かく言う俺は、絡繰り頼りの一影斎のやり口を嫌っていて、ついでに御館とふんぞり返るあやつの性根を嫌っていた、という訳だ」
「それでそのお主が
「思うた所をとりあえず言っておるだけよ。そなたらも存念があれば申せ」
その上で自分にも動機となる感情があると公平に自覚する後藤に対し参佐が嫌みを言うが、それに対して後藤は逆に意見を求めた。
「そうさな……四つほど気になる事があるな。そもそも、ここは本当に
それに対し、参佐は謎を数え上げる。
「確かに、しかし調べるに用心せねば、次郎太の二の舞になりかねん」
四郎兵衛が頷いた。何しろ、ここは既に次郎太を殺し多絡繰忍者屋敷である。どんでん返しだの抜け道だのは、寧ろあってしかるべきという所だが、しかし同時に迂闊な調べ方をすればそれだけで命取りになりかねない剣呑さが、転がされっぱなしの次郎太の死体から漂う。
「それに、少なくとも気配はないぞ。それは入った時からそうだ」
そしてまた無名獣も、抜け道があっても抜け道の中に人はおらぬと請け負った。
「……となれば、そも御館様が何時死んだかが先よな、これが二つ目だ」
抜け道の有無を確かめるのは、今潜んでいる者がおらずまた我等が入った時にもなかったという無名獣の言葉を信じるなら、抜け道が使われたのは突入前という事になる為、まずは殺された時間を確認する必要があると参佐は考えた。
「血の乾き、
「なれば抜け道も探らねばならんか」
輪廻が骸の額に指を這わせて呟き、四郎兵衛が面倒臭げに呻いた。
「となれば、三つ目の疑問も大事だな。……御館様は果たして、上を向いて寝転がった状態で死んだのか、死んでから仰向けに倒れたのか」
左手で喉笛を抑え右手を突き出し仰向けで息絶えている一影斎の骸を見下ろしながら、参佐は言う。どちらか分かれば、まだ調べる範囲を絞り込めるのだが、と。
「……この手は、手裏剣を投じたように見えます」
突き上げられた右手の指を見て、輪廻。
奇襲の一撃を加えられ咄嗟に反撃するも、奇襲の一撃が深手であった為そのまま息絶えた。ありそうな話しだ。
ならば、と、五人の忍びは視線を壁と天井に這い寄らせ、そして各々眉を潜め眉間に皺を寄せた。
棒手裏剣が突き立っているのは、壁と床が交わる直角の境目だった。これでは、そこに抜け道があるとも、壁目がけて撃とうとしたのが喉笛に一撃食らってもんどりうった結果とも、天井を撃とうとして致命傷に力及ばず倒れ際に明後日の方向へ飛んだとも受け取れてしまう。
「……最後だ。御館様の喉の傷だが」
一旦手裏剣の件を置いて、参佐は存念の最後を口にする。
「これは如何なる手段でつけられた傷だろうか。“小口切”の言う通り、これは確かに刀傷ではない。鈍く強い何かが引きちぎったのだ。素手か、鍵縄か、手甲鍵か、獣か、はたまた……忍法、か」
忍法!
遂に、謎解きを至難とする言葉を参佐は口にした。
この飛騨において忍法とは即ち“忍法何某の術”と称される、一忍一種の忍者の異能である。それぞれ“何某”の部分で表される独自の効果を持ち、普通人の常識からすれば超常と言ってよい力。
血統と鍛錬と服薬などの荒行でもって育まれるもの。
「お前等、忍法を言え」
無名獣がぶっきらぼうかつ無神経に言った。全員の忍法を改めねば“
「冗談じゃない、秘中の秘たる忍法を明かせるか」
四郎兵衛が言ったその言葉は無名獣以外の全員が思うところであった。忍法は秘中の秘である。あえて知らしめる事で抑止力となるものもあれば、知らしめても問題無い程度に単純なものもあるが、それは皮肉にもこの中では死んだ一影斎と次郎太、そして発言者である無名獣のみであったのだ。
一影斎の忍法は“忍法絡繰の術”。これは忍び頭を名乗るだけあって大したもので、様々な絡繰を作る天才頭脳という応用力のある術だ。作れる範囲なら絡繰り次第で様々な事が出来る万能の忍法と言ってもいい。単に明かしただけでは破れはしないし、忍び頭の威光を示す為に明らかにしていた。
無名獣の忍法は“忍法けだものの術”。これは単純至極に、野性の生活で脳神経が肉体の枷を外した事によるその超人的な五感と身体能力だ。身体能力は破るもへったくれもない単純だが圧倒的な暴力であり、五感は眩さや悪臭で逆用しようにも、忍び樽者五感の幾つかを欠いても他の感覚で補い戦うのは基本の技である。
「ええい面倒だ、俺以外全員殺してしまえば良い!俺が犯人ではない事は俺が知っているんだからな!」
その代わり、無名獣の頭は至極単純だ。そう吼え、暴れだそうとするのを、だが輪廻が制止した。
「お待ち下さい。確かに無名獣様はこの中ではもっとも大力剛勇。されど一人生き残ったのであれば、この屋敷の中では良いでしょう。ですが外の里に出れば、謀反人を討ち果たした者か謀反人かは、里の者が決める事になります。さすれば無名獣様に恨みを持つ者は、必ずやよからぬ事を企みましょう」
「むむ」
粗暴で直情で賢くはない無名獣だが、輪廻の言葉が良かったのか、思い当たる節があるのか、さすがに里一つを敵に回すのは無理と見えて、一旦大人しくなったが……一触即発の空気は続く。
「……俺は明かす」
猜疑と緊迫の中、手を上げたのは後藤だった。
「元より、当初から秘してはきたが二つ名になる程には知られた名だ。俺の“忍法小口切の術“は”相手の体の端、その前より細待っている部分に限定して、念と息吹の複合で切断を発生させる“力だ。……見た事がある奴もいよう」
「……はい」
そう言って後藤は輪廻と参佐を見た。輪廻は頷く。かつて斬り合いの最中、後藤の忍刀を太刀で受けた武者が、その瞬間受け太刀を握る指がバラバラに切り刻まれ、そのまま討たれた。正に指の小口切り。剣戟においては恐るべき忍法だ。
「中々使い勝手のある技だが、生憎コイツも“斬る”技でな。おおかた、何時か斬る刺すの効かぬ忍びと出会った時が俺の最後であろうよ」
「そう、刀で斬るのと、見た目はそう変わらん忍法だ」
「何が言いたい」
だが同じく目撃者であった参佐は、深編笠の下で目をぎらつかせた。
「武芸者の中には、稀に我等の忍法じみた剣技を使う者もいる。“小口切”とやらが実は忍法ではなく剣技で、別に忍法を隠している可能性は残るぞ」
「くくく、剣技の嫌疑か」
「笑い事ではないわ!」
後藤が明かした自らの忍法情報に対し虚偽では無いかと疑問を呈した参佐。成る程不可能ではないかも知れぬと思わせる話だ。
「まあ、俺としてはそれは無いと言っておくが、信じるか信じないかはお主等次第よ。少なくとも俺は、あまり長い間こんな屋敷にいるの好まん。とっとと調べ事を終えたい。語り続けておれば情報は集まる。あるいはこの中で誰ぞがボロを出すやもしれぬ。あるいは一人だけ語らぬ事で他の者達に、“こいつが下手人ではないか”“こいつが下手人という事でいいのではないか”と思われる」
それに対して冗句で受けた後藤だが、そう言葉を続ける。証言はあくまで証言、そこに駆け引きがあり、そして何より。
“下手人を撃つこと”と“下手人とされた者を一先ず討って落とし前を付ける事”との間にどれほどの違いがあろうか、と、輪廻、参佐、四郎兵衛に圧をかける。
「「「!」」」
この瞬間、参佐、輪廻、四郎兵衛の間に激烈な葛藤と心理戦が発生した。三人の中で忍法を明かす事が最も遅れれば、最悪その瞬間下手人扱いされて殺される恐れがある。
ならばいの一番で明かせばどうなるか。この中に犯人がおり、忍法を明かさずに戦う事を選んだ場合、忍法を知られていれば不利となる。忍法の世界は広大無辺、一人で多数を相手取る為の手段など幾らでもある。
理想の展開は一人目が忍法を明かした直後に忍法を明かしたくない者が暴れ、それを倒せれば己一人忍法を秘して事件を解決出来る。だがそんな僥倖等……そんな時!
「けええええええっ!」
突如“霞の”四郎兵衛が叫んだ!どむ、という腹に響く炸裂音と共に白煙が周囲を満たす!これが“霧の”忍法か!?
その霧の中を、幾つかのぎらつきが翻った。
……そして、霧が晴れる。
「……大した戦力だ。奴も中々の忍びであったな」
後藤が呟いた。その手にした刀の柄には、補足しかし異常に強い糸が繋がった畳鍼か五寸釘に七支刀の枝を生やしたような異様な忍具が突き刺さり、バチ、と静電気を放ち、朽ちた。凄まじい速度だったようで、後藤の刀の拵えが砕け、刀身が地面に落ちる。後藤は舌打ちした。
「ふ、そしてお前も“なかなかの”忍びであったな」
対して、参佐は四郎兵衛が四方に飛ばした針を、事前に察知したかのように完全に回避していた。無傷で……そして、尺八に仕込んでいた刃で、即座に四郎兵衛の頭を断ち割っていた。
つまり、この言葉は、四郎兵衛より後藤は少し上でしかなく、己は更に上だという自負に他ならない。
「手厳しい。そこまで言っては、死んだ者が哀れだろう」
後藤は嘆息した……避ける事も出来ず喉笛から脊髄まで七支針を撃ち込まれた輪廻の骸を見た。
首無し四郎兵衛の、七支針に繋がった糸を巻き付けた指が、藻掻くように動いた。それに従う傀儡のように、輪廻の骸は動いたが……首無し四郎兵衛の指が止まると同時に、輪廻の骸も動くのを止めた。
「霧はあくまで目眩まし、本命は殺した人間を使役する術か。ただの煙球かあの雷めいた力が霧作りにも作用していたのかは兎も角、霧使いではなく人の使い切りであった訳か」
「成る程凝った忍術。おおかたこの雷で他人の脳を動かすか。
後藤の分析煮続けて、七枝針を余裕綽々で歯で銜え防いだ無名獣が、針をかみ砕きながら針諸共吐き捨て。
【
【四人目の犠牲者、“辻の”六道輪廻】!
(霧に乱れはなかった、“小口切”は使わなかったようだな)
(あの体勢からあの反応速度。参佐め、何か使ったな?)
参佐と後藤、共に鑑札を巡らすが。
「二段構えか、それならば参佐、お主もその虚無僧形の、尺八だけでなく深編笠にも何か隠しておるかもしれんな」
「ふん」
「虚無僧? そいつの格好がか?」
後藤が、仕掛けた。
参佐が受け流した直後に、無名獣が怪訝な顔をする。
「何を」
「いや、妙な格好だとは思ったが、我等忍びには奇態な者はしばしばおる為に気にしなかった。だが、虚無僧とはそのような出で立ちではなかろう」
参佐が、覿面に狼狽した。
「……|虚無僧がその格好になるのはもう数十年後の事なんだよ《時代考証の間違いだとでも思ったか!》」
くつくつと笑いながら、後藤が暴露する。お前の事は理解したぞと。
「……ならば何故お前はそれを知っている?」
「昔斬ったのさ。同じように、少し先を使える術としても使える忍法を持った忍びを。確か、“
「……!」
参佐が何か言おうとした。かつて忍法時滑りで殺され掛かった後藤はその術の起こりと効果と隙を知っていた。
「先を読むのは数瞬まで。過去に戻るには長い儀式を要する。七面倒ではあるが……実に有用な忍法だ。瞬間的な立ち会いにしても、計画殺人にしてもな」
じわり、と、後藤が足の位置を変える。忍法小口切による構えか。だが、既にその手に刀は無い。
「成る程、確かに俺ならば出来る。そして、飛騨忍群を則るのは我がシンの主、未来にて待つ由井正雪様のご指示でもある」
最早隠し事は出来ぬと、参佐も答えた。同時に、刀を失った後藤など恐れるに足らぬ、とばかりに構えるが。
「だが俺ではないぞ」
「……証拠は」
しかし次の瞬間、参佐は己の犯行を否定した。やや以外の、しかしその可能性もあるにはあるなという表情で、後藤は問いを重ねる。
「俺であれば、貴様等に目撃もさせなければ、生かしてもおかぬ。こんな探り合いの無様なものなど、忍法
「ぬかしよる」
傲然言い放つ参佐に、後藤はにやりと笑った。
「実際お前ではなかろうさ。むしろ逆の理由でな」
「何?」
後藤の言葉に、訝しむ参佐。
「お前の術程度では犯人にはなれんと言うたのだ。己が死んだ事に気づいておらん」
「なっばっ!?」
後藤の挑発的な言葉に怒りかけた参佐は、直後に血を吐き、そして己の喉笛から刃が生えているのを見て驚愕すると同時に落ちる首を踏み砕かれ事切れた。
【五人目の犠牲者、“見切れず”参佐】!
「“見切れず”参佐が見切れずに逝ったかよ。にしても……」
無名獣が地口で一人笑いし……
「それがアンタの術か」
そう、参佐の後ろにのっそりと立ち上がった、死んだ筈の六道輪廻に告げた。
【四人目の犠牲者、“辻の”六道輪廻】、犠牲者撤回!【五人目の犠牲者、“見切れず”参佐】、四人目に繰り上げ!
「ええ、忍法しびと黄泉がえりの術。
「依頼か」
「ええ。彼に未来を変えられては困ると、さる神様から……一応、巫女ですからね」
本性を表した落ち着いた口調でとんでもない事をほいほいと言う輪廻。倒れた参佐の懐を漁りながらの後藤の言葉に頷いて、一方後藤も慌てず騒がず。
轟!
直後空気が鳴った。剛拳によるものである。即ち、無名獣。
(死んだ奴でも、死んだ奴を殺すのが目的の奴でもなし、となれば!)
俺でない以上お前だとばかり、即断して後藤を撲殺せんとしたのだ。
「……いいや、違う佐」
だがその攻撃を、後藤は【二人目の犠牲者、“アオジシの”次郎太】の骸を盾にして受けていた。次郎太の頭蓋が石榴のように爆ぜた。
「……そしてどうやら、次郎太でもないか」
「何を言う。そいつは死んで……」
言いかけて、無名獣は気づいた。死んだと思っていた輪廻が蘇ったように、他に術があれば、術によっては死の偽装は出来る。
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